第2話 謎の王女
それから三日後、二人は王都の間近までやってきた。王都の手前に横たわる小高い山脈の峠を越え、ようやくその姿が見えた。王都は長径10kmはあり、まるで中世ヨーロッパの絵画から飛び出してきたかのように美しく、迫力があった。都市は城壁に囲まれており、城壁の上には塔や櫓が立ち並び、兵士たちが見張りをしている。城壁の中には、石畳の道が縦横に張り巡らされ、市場や教会、住宅が建ち並んでおり、都市の中心には王城がそびえ立っていた。
あれが、アンブロワーズ王国首都、ヴァリスティア……
リオがヴァリスティアに来るのはこれが初めてで、その威風に鳥肌がたった。
リオとライナは城壁外側の関所を目指し、山を下っていったが、その途中で異変がおきた。二人が向かう先の彼方から怒号が響いてきたのだ。何らかのトラブルが起きている。
「いくわよ、ライナ!!」
「えー、マジすかー!?」
嫌がるライナを引っ張りながら、リオは走った。しばらく走って、怒号の出所へたどり着く。そこでは、10人ほどの野盗のような荒々しい身なりの集団が、5人ほどの下級騎士のような服装の集団を包囲していた。そして、下級騎士たちはリオと同い年くらいの少女を守るように取り囲んでいた。
リオはその少女の姿を見て、息を呑んだ。白い肌に艶やかな銀髪をなびかせ、瞳は瑠璃色に輝いていた。とても優しそうな美しい顔立ちだが、暴漢に囲まれたこの状況で臆することなく、毅然とした表情をしていた。衣服は淡い青色のワンピースに白いジャケットを羽織っており、それらはかなり高級な作りで、おそらく貴族の令嬢ではないかと推測された。そして、手には今しがたつんできたばかりと思しき白い花を何十本も抱えていた。リオは、その少女の姿がまるで氷の宮殿に佇む妖精のように見えた。
下級騎士たちが手にしているのはみな平時に帯剣している細剣で、一方の野盗たちは大剣や槍、弓などで武装している。どうやら令嬢と下級騎士の一団は待ち伏せで計画的に囲まれたようだった。野盗たちは駆けつけてきたリオとライナに気付き、リーダーと思しき男が脅しをかけてきた。
「旅人かい? 命が惜しかったら、首を突っ込むなよ」
野盗の言葉にリオはわざとらしく考え込むような素振りをしながら呟く。
「命は惜しいわね」
「賢いお嬢さんだ。だったら……」
「でも!!」
野盗の言葉に、リオは強引に自分の言葉を押しかぶせる。
「私は白魔術師なの。だから、私が惜しいのは……」
リオは地を蹴った。
「この目に映る人すべての命!!」
野盗たちとの間合いを詰めながら、呪文を唱える。
「ビブラシオ!!」
野盗の1人が剣を振りかぶって、リオに襲いかかる。互いの間合いに入った瞬間、野盗は剣を振り下ろすが、リオは体を右にひねってかわす。避けた勢いで、そのままリオは右手を野盗の耳にたたきつける。たたきつけた力はさして強いわけではなく、野盗は次の攻撃に転じようと頭の向きをリオの方に向ける。だが、その瞬間、野盗は強いめまいを覚え、その場に崩れ落ちた。他の野盗たちも、騎士たちも、令嬢も、リオが何をしたのか理解できなかった。リオが使ったのは風の精霊を利用し、空気の振動を起こす魔術だった。振動は極めて微弱なものだが、ぶつけた場所が問題だった。リオが振動がをぶつけた耳には“前庭”という器官があり、直線加速度や重力を感知する。その前庭に直接的に振動を加えられたことによって、船酔いに似ためまいを起こしたのである。
末梢性めまいという疾患群がある。原因はさまざまだが、耳の前庭が障害されることによってめまい症状を呈する。急性期にはめまいで動けないほどのこともあるが、多くは自然軽快する良性疾患だ。この世界は必ずしても治安がいいわけではなく、旅の道のりで暴漢に襲われる可能性もあり、護身の技術が必要だった。そこでリオは末梢性めまいという疾患からこの方法を思いついたのだ。非殺傷でありながら、速やかに相手を行動不能にし、後遺症も残さない。理想的な護身魔術なのである。
「魔術師か!?」
野盗のリーダーは、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。詳細はわからないが、リオが何らかの魔術を使ったということは理解できた。
「白魔術師よ」
野盗の言葉を訂正し、リオは不敵な笑みを浮かべた。余裕をかましているリオの背後から、別の野盗が槍を振りかぶり、リオの後頭部をめがけて振り下ろす。が、振り下ろしきったときには、槍の先端がなくなっていた。
「さして強いわけでもないんスから、あんまり調子のらないでくださいよ」
いつの間にそこに移動してきていたのか、ライナが抜き身の剣を持って、リオの傍らに立っていた。野盗の槍がリオの後頭部に到達する前に、ライナが剣で槍の切っ先を切り飛ばしていたのだ。ライナは自堕落で怠惰で何事にもやる気のない男だが、貴族が令嬢の護衛にたった一人でつけているだけあって、剣の腕を含む戦闘能力はかなり高い。
「クソ!! 全員でかかれ!!」
しびれを切らした野盗のリーダーが全員に号令をかける。
「ライナ、人道的に殲滅しなさい!!」
「いや、むちゃくちゃ言わないでくださいよ!!」
そこからは、リオ、ライナ、野盗、それから騎士たちも交えて乱戦になった。リオは振動の魔術で、一人ひとり行動不能にしていき、ライナは“人道的”にということで、武器破壊に徹している。騎士たちも細剣でなんとか応戦している。そして、野盗達の武器がライナによってほとんど破壊され、野盗の半数近くがリオの魔術で行動不能になった時点で、野盗のリーダーはとうとう状況不利と判断した。
「クソ!! 撤退だ!!」
動ける野盗達はさっさと退いていき、リオによって行動不能にされた者たちも頭をかかえてフラフラしながら逃げていった。リオはふぅとため息をつき、ライナははぁとため息をついた。
「ハロルド!! 大丈夫か!?」
二人が気を抜いていたところ、騎士たちの方でそんな声が上がった。二人が駆けつけると、騎士の一人が右の前腕に大きな傷を受けており、血を流していた。おそらく剣撃から頭部をかばうように受けたものと思われ、15cmはある切創だった。リオは傷をみた瞬間叫んだ。
「すぐに圧迫を!! 誰か、厚手の布のようなものを持っていませんか!?」
別の騎士が、自身の服の端を破って、その布を傷口に当てた。リオは考えた。
傷口が大きい。縫合が必要だ。だけど、野盗の剣で切られた傷なんて、かなりしっかり洗わないと高確率で化膿する。でも、それにはかなりの水が必要だ。こんな山道でそんな水なんて……
「リチャード!! それじゃ、圧迫が弱いわ!! 代わりなさい!!」
リオが熟考している横で、そんな叱責の声が上がった。
え?
リオが驚いてそちらを見ると、貴族令嬢と思われる例の少女が介抱にあたっていた騎士を押しのけ、代わって傷を圧迫していた。しかも、どこからか紐を取り出して、上腕を縛っていた。
リオは驚愕した。出血する傷の処置は、まず何より出血部位の圧迫。これだけで、かなりの血液の喪失を防ぐことができ、傷によってはこれだけで止血できることもある。それでも出血が多い場合は、出血部位にくる血液量を減らす必要がある。それには血液の流れてくる上流を遮断しなければならない。つまり、前腕の出血を止めるためには、より心臓に近い上腕を縛れば、出血を減らすことができるのだ。少女のとった行動は全て、出血の応急処置の基本を押さえているものだった。そして、解剖学も生理学も発達していないこの世界では存在しないはずの理論である。リオは少女の姿を見て戦慄した。
この子、何者なの?
少女はさらに次の指示を騎士たちに与えた。
「この近くに小川が流れてたはず!! そこまでハロルドを運びましょう!!」
リオさらに驚愕する。リオは、傷を洗浄するために大量の水が必要だと思案していた。その考えを少女にまるで見透かされているかのようだった。そう思っていた矢先、少女はリオに声をかけてきた。
「旅の方!! 助けて頂いたのに、この上お願いなどおこがましいのですが、鍋か、フライパンか、何かお湯を沸かせるものを持っていませんか?」
リオはもう自分の頭の中が覗かれているのかとすら思った。天然の水には菌や寄生虫が含まれていることがあり、傷の洗浄に使うには十分に煮沸してから使うほうが望ましい。
この子、もしかして……
少女の正体について疑問はつきなかったが、今は何よりもけが人の治療が優先だ。リオは少女に応えた。
「ええ、あります!!」
少女の言ったとおり、すぐそばに川が流れていた。怪我をした騎士を川辺まで運び、リオは鞄の中から金属製のポットを取り出した。今回と同じようにけがの処置でお湯が必要になることがあるため、そのためにリオは医療道具と一緒に持ち歩いているのだ。周辺から枯れ枝を集めてきたライナが火をおこし、リオはポットに川の水を汲み、火にかけた。沸騰したお湯をぬるま湯くらいの温度に冷ましたところで、少女に渡した。
「ありがとうございます!!」
少女は傷の圧迫を解除し、傷口にお湯をかけていく。怪我の騎士は顔をしかめるが、声は出さず耐えた。先ほどに比べればやや出血の勢いはましだが、それでも血は出続けている。
「 私の鞄を!!」
少女に言われて、騎士の1人が革製の鞄を持ってくる。鞄を開けて、中から取り出したのは手袋、針、糸だった。
リオはそれを見て思った。
まさか……
「ハロルド、頑張れる?」
「ええ、もちろんです!!」
少女が怪我の騎士に優しく声をかけ、騎士はこれから何が行われるかわかっている様子で力強く頷いた。そして、少女は出血が続く傷を針と糸で縫い始めた。それも単純な縫い方ではない。傷口から離れたところから深く大きく針をかけたあと、針を返して同じ線上で今度は浅く縫っている。つまり、一本の糸で深いところと浅いところを同時に縫っているのだ。その様を見てリオは思わずつぶやいた。
「垂直マットレス縫合……」
少女がやっているのは、元の世界の医師にとってもやや高度な縫合法であり、単純に傷を縫い合わせるよりも傷の広い範囲が密着するため、治癒の面で非常に優れた方法なのだ。深い傷を縫う場合、皮膚の奥を先に縫ってしまう方法もあるが、その場合糸が完全に埋もれてしまい、傷が治ったあとに糸を除去できない。元の世界では吸収糸という皮膚に溶けてなくなる糸を使ってそういった縫い方をしていたが、この世界にはない。ゆえに、深い傷を縫う場合、少女がやっている方法がベストであり、リオも同じ深さの傷を縫う場合はそうしている。
この子、やっぱり……
この世界に存在しないはずの知識、技術。リオはこの少女が自分と同じ別の世界から転生してきた医師ではないかと考えた。だが……
え……
その考えはすぐに揺らいだ。針を通したあとの糸の結び方がでたらめだったのだ。自己流でかなり効率のいい結び方をしてはいるが、元の世界の医師がやるような外科結びとは全く異なっていた。
外科結びは元の世界だったら、研修医でもできる。それができていない。にもかかわらず、垂直マットレス縫合なんて高度なことをやってのけている。わけがわかない。
少女の謎は深まるばかりだった。そして、きわめつけにリオを驚かせたのは……
速い……
少女が傷に針を通し糸を結ぶスピードは凄まじく速く、そして正確だった。5分もかからないうちに傷の端から端まで綺麗に縫い合わされ、出血もぴたりと止まっていた。
嘘でしょ……この子、.私より上手い……
リオは元は内科医であり、縫合はそこまで得意ではない。 ゆえに、少女の縫合技術は完全にリオを超えていた。縫い終わったあと、少女は傷口に布をあて、その上から包帯を巻いて固定した。
「はい、おしまい」
少女はそう言って、ふぅと息をついた。手当を受けた騎士は泣きながら喜んだ。
「ありがとうございます!! これで姫様に救われたのはいったい何度目か!?」
その言葉に、リオとライナは驚愕の声を上げた。
『姫!?』
少女は、「あー、いけない」と立ち上がって、二人に恭しく礼をした。
「急を要する事態で、ついご挨拶を欠いておりました。誠に申し訳がございません」
少女は顔を上げ、自らの名と身分を告げた。
「私の名はパルス・アンブロワーズ。アンブロワーズ王国の第一王女です」
リオとライナは開いた口がふさがらなかった。身なりと護衛を連れていることから、かなり身分の高い貴族令嬢だろうと思っていたが、まさかの王女。それも第一。リオはしばらく呆然としていたが、すぐに我に返り膝をついた。
「失礼を致しました!! まさか王女殿下とは!? 私は白魔術師のリオ・クラテス!! そちらの男は私の従者でライナ・ストランドと申します!!」
リオが大慌てで自己紹介したが、ライナがまだぼーっと突っ立っているので、「この馬鹿従者!!」とライナの頭を掴んで地面にこすりつけた。
「ああ、やめてください!! お二人は私達の命の恩人です!! 頭を上げてください!!」
パルス王女は二人の元に駆け寄り、膝をついて二人の肩に手を添えた。
「もったいないお言葉、ありがとうございます!!」
リオは目をうるませながら顔を上げるが、ライナの頭を押さえつけている手の力は緩めない。
「お嬢……もう、手放して……」
頭を押さえつけられたままのライナは、半分潰された虫のように手足をバタバタしている。そんな二人の様を見て、パルス王女はクスクスと笑った。と、そこで何かを思い出したようにキョロキョロとまわりを見回す。
「花を!! 誰か花を持ってきてくれていますか!?」
パルス王女の声に、騎士の一人が応える。
「ご安心ください。こちらに」
騎士は白い花の束を王女に差し出した。それは野盗に襲われていたときに王女が抱えていたもので、怪我をした騎士の手当に夢中になり、放りだしてしまっていたのだった。
「ああ、ありがとう!!」
王女は安堵の笑みを浮かべながら花を受け取った。花はどうやら百合のようだった。この世界には魔法や魔獣といった超常の事物も存在するが、人間の解剖生理や疾病、自然界の動植物等、自然科学領域の事象はほとんど元の世界と同じである。ゆえに、元の世界と同じ花が同じように生息しているのだ。
「その花を摘まれるために、こんな山の中にいらっしゃっていたのですか?」
「ええ、そうです」
リオの質問に王女がそう答え、リオは怪訝な顔をする。
「そのようなこと、家臣にお任せになられればよいでしょう。王女殿下自らこのようなところにいらっしゃらなくても。実際、先程のように不要な危険に御身を晒されているではありませんか」
「この花だけは私が直接摘みに来なければ意味がないのです」
王女はそう言って、悲しそうな目をして空を見上げた。
「それに、こんな山中だろうが、宮殿の中だろうが、私の命の危険に変わりはありません」
「それはどういう意味ですか?」
リオの問いに、王女は自嘲気味に答えた。
「私は、死を望まれている王女なのです」
「死を望まれている?」
物騒な王女の言葉をリオは反芻した。
「何をおっしゃいますか、姫様!?」
「姫様を亡き者にしようしているのはごく一部の者たちだけです!!」
「そうです!! 我々のように姫様に命を救われた者は皆、姫様を何よりも尊くかけがえのないお方と思っております!!」
騎士たちが口々に叫ぶが、王女は首を振る。
「みんなの気持ちは嬉しいけれど、一方で私がしてきたことがお兄様を追い詰めているのよ」
リオは王女たちのやり取り聞きながら、想像を巡らせた。
これは、要は王位の跡目争いだな。もしかすると、さっきの野盗も敵対する王子の差し金……いや、滅多なことは考えるのはやめておこう。興味がないわけではないけど、私が首を突っ込むことじゃない。それに、私にはやるべきことがある。
「込み入ったことをお聞きしてしまったようで、大変失礼致しました。先を急ぎますので私どもはこれにて失礼致します」
リオはそう言って頭を下げた。
「王都へ行かれるのですか? もし先に伸ばせる御用ならば、今はやめておいたほうが」
「伝染病のことならば、ご心配には及びません。私たちはそのためにここまで来たのです」
王女の助言に、リオは胸を張ってそう答えた。
「そうですか。リオ殿は白魔術師とおっしゃっておりましたね。ですが、此度の病は魔術省も宮廷魔術師達も手も足も出ない有様です。仮にリオ殿がどれほどご高名な白魔術師であっても」
「魔術省……宮廷魔術師……」
リオはその2つの名を反芻し、クククッと含み笑いをした。
「どうせ、焼け石に水の回復魔術と薬草、それから効きもしない護符を病人の家に貼って回っているのでしょう」
リオの乱暴な物言いに王女はたじろぐ。
「た、たしかに、効果が得られていないのは事実ですが……」
リオは右の人差し指をぴっと立てて、高く掲げた。
「こと病から人を救うという一点において、魔術はまもなく時代遅れになります!!」
「じ、時代遅れ……」
リオの発言に、王女と騎士たちはざわつく。この世界において、魔術は人々の生活を支える根幹であり、権威でもある。それをこともあろうに白魔術師であるリオが“時代遅れ”と宣ったのだ。普通であれば、正気の沙汰とは思えない発言である。リオはばっと両手を広げ、不敵な笑みを浮かべて宣言した。
「 なぜならば、このリオ・クラテスが世界を変えるからですっ!!」
リオの宣言に王女も騎士たちも唖然としていた。リオの後ろでは、ライナが「あちゃー、またやっちまった」という顔で頭を抱えている。そんな中、リオだけが満面の笑みで胸を張って立っていた。
「えーと、すいません、うちのお嬢は持病で、ときどき思ってもないこと口走るんですよー!! ねー、『世界を変える』って意味わかんないですよねー!! まーったく、そんなこと、これっぽっちも思ってないですからねー!! それじゃこの辺で失礼しまーす!! さいならーっ!!」
ライナがそう言ってリオを脇に抱えて、荷物をひっつかんでばびゅーんとその場から逃げ去った。
王女たちの姿見えなくなった頃、リオはライナに文句を言った。
「ちょっと、もう下ろしてよ」
ライナは言われるままリオを下ろして、ぜーはーと息をついた。
「そんなに息が切れるまで慌てて逃げてこなくてもよかったのに」
「いや、逃げますよ!! 何考えてんスか!? 前も街なかでおんなじことほざいて、不穏分子として役人にしょっぴかれかけたでしょ!? しかも、今回の相手は王族!! 国家権力そのものスよ!! 名前と顔覚えられてて、このあと指名手配されて、王都で活動しにくくなったらどうするんスか!? 伝染病の調査どころじゃなくなるでしょ!!」
「う……」
ライナの最もすぎる説教に、リオはぐぅの音もでなかった。
「いやー、テンションあがっちゃって、つい……」
「テンションあがったら何してもいいんスか!? テンション上がってたら、窃盗も、暴行も、◯◯も、××も、ぜーんぶ許されるんスか!? それだったら、俺なんか!”#$を%&¥@して、さらにその上……」
「あー、ごめん、ごめん、わたしが悪かったから、謝るから……」
完全に変なスイッチが入っているライナをなだめるのに数分を要した。
「あー、でも、肝心なこと聞きそびれちゃったなー」
王都に続く道を歩きながら、リオは思い出したように呟いた。
「知りませんよ。お嬢が悪いんスからね」
ライナはまだ少しふてくされていたが、リオは気にせず話を続けた。
「あの王女様、何者なんだろう?」
「王女様でしょう」
ライナが身も蓋もないことを返す。
「じゃなくて、あの知識と技術よ。とてもこの世界のものと思えないわ」
「お嬢と同じよその世界からの生まれ変わりってことスか?」
ライナは、リオが異世界からの転生者であること、リオが元いた世界では医学という白魔術よりはるかに優れた治療技術が存在していたこと、リオが前世ではその治療技術を習得した専門職であったことを知っている。ライナがリオの従者として旅をするようになって1年。リオの行動や言動にはあまりにもおかしいことが多く、ライナが何度も問い詰めているうちに、あるときリオはとうとう素性を明かしたのだった。にわかには信じられない話であったが、それまでのリオが患者を治した知識や技術はたしかにこの世のものとは思えず、信じざるをえなかったのだ。そういった経緯でリオの正体を知っているライナは、同じようにこの世界にないはずの知識と技術を持っているパルス王女も、リオと同じ転生者ではないかと考えた。だが、その考えにリオはこう返した。
「真っ先にそれを考えたけど、違う気がするの」
「なんでっスか?」
リオの答えにライナは顔に疑問符を浮かべて問い返す。
「傷を縫合してたときの糸の結び方よ」
リオはそう言って、糸を結ぶ仕草をして見せる。
「私が元いた世界の医者は、傷を縫う時に糸を外科結びという特殊な結び方で結んでいたの。その結び方は医者になる者ならば学生のうちに学んでいるものだから、医者だったら必ずその結び方をするの。でも彼女はそうしていなかった。自分なり工夫しているようだったけど、あまりいい結び方じゃなかった。それまでのことは全部元の世界の医療とほとんど同じようなことをやってたのに、そこだけすっぽり抜け落ちてるのよ。だから、彼女が私と同じ世界から来たっていうのはしっくりこない」
リオの説明を聞いて、ライナはうーんと唸って、別の説を話した。
「生まれ変わりは別にいて、その人から知識と技術を学んで、糸の結び方だけ教えてもらってないとか」
「それも考えたけど、その糸結びは医者になるための初歩なのよ。そこをすっとばして他の高度なことを教えるのは理屈に合わない」
「そういうもんなんスか」
ライナはそう言ってまたうーんと唸った。
「それから、彼女は怪我については信じられない知識と技術を持ってるけど、おそらく病気についてはそうじゃない」
「なんで分かるんスか?」
「彼女、『此度の病は魔術省も宮廷魔術師達も手も足も出ない有様です』って言ってたでしょ。もし病気に対しても怪我と同等の知識があるならば、魔術省や宮廷魔術師たちが役立たずのクソだってわかるはずだから、そんな言い方はしないわ」
リオは非科学的で傲慢な魔術師の権威を嫌悪していた。特に、魔術省と宮廷魔術師はその権威の頂点であり、ついつい目の敵にして罵ってしまうのだった。
「あー、またそんな物騒なこと!! お願いですから、王都に入ったら口が裂けてもそんなこと言わないでくださいね!!」
「あー、わかった、わかった」
ライナの口うるさい注意に、リオはめんどくさそうにうなずく。だが、リオは心の奥では納得していなかった。もし、王都でたくさんの人がバタバタ死んでいる中で、何の役にも立たないどころから、むしろ害にすらなるような方法を魔術省や宮廷魔術師たちが偉そうに人々に吹聴していたら、やはり怒りで罵ってしまうかもしれない。いくらこの世界が未発達であるとしても、知恵ある者として権威を持っている魔術師たちが、自分の目と耳で確かめることもなく、自分の頭で考えることもなく、古い迷信を盲信し、あまつさえそれを人々に広めるなど許されることではない。そんな考えにふけっているリオをライナはまた嗜める。
「お嬢、またよからぬことを考えてるでしょ。ダメっスよ。魔術省と宮廷魔術師に睨まれたら、お嬢の話なんか誰も聞いてくれなくなりますよ。そしたら、どんなにお嬢の治療法が正してくても、誰も受けてくれないっスよ」
ライナの言葉にリオはキョトンとした。いつも自堕落で怠惰なライナだが、リオが頭に血が登っているときは必ず横から止めてくれる。この1年の間に、ライナはいつの間にかリオの良き相棒になっているようだった。
「うん、ごめん。ライナの言う通りだよ。私は白魔術師であり、医者だ。何よりも人を治すことを優先するよ」
そう言ってリオはライナにニッコリと微笑んだ。突然の不意打ちを食らったライナは「全くお嬢は...」とブツブツ言いながらそっぽを向いた。
「パルス王女の正体は気になるし、魔術師たちの古い体制もなんとかしなきゃいけないけど、今はまず王都の伝染病をぶっ飛ばす!!」
リオはそう言って右拳を振り上げ、決意を新たに王都に向かうのだった。
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