第26話 洞窟での死闘
ゴツゴツした、冷え固まった溶岩。
その地肌をつたい、急な斜坑をおりていく。
洞窟の中は、漆黒の闇だ。
十六夜が、持ってきたトーチに点火しようとした。
「灯すな」
凌は、発火ピンを握った十六夜の手を押えた。
明かりは敵の目標になる。
「用心するに越したことはない。無灯のまま進もう」
「はい」
十六夜は、トーチをデイバッグに戻した。
闇の中に、ぼんやりと十六夜のオーラが光る。
緊張を意味する、青っぽい色だ。
「足もとに気をつけろ。氷結しているぞ」
斜坑を下りたところは、ある程度の大きさをもったホールになっていた。
そこから前方へ、水平な通路がのびている。
洞窟が出来たときに、溶岩が流れていった場所らしかった。
凌は学生服のままだ。
それに革靴をはいている。
十六夜のハイキングスタイルにくらべ、洞窟内部での行動は、楽なはずがない。
だが凌は、なんの滑りどめもない革靴を逆手にとっていた。
スケートをするように、むしろ滑りを助長することによって、安定した速度で先へと進んでいく。
スニーカーを履いた十六夜のほうが、よほどおぼつかない足取りをしていた。
しばらく進んだころ、凌は立ち止まった。
「おかしい……」
そっと、独り言をつぶやく。
「どうしたんですの?」
追いついた十六夜が、考えこんでいる凌を覗きこんだ。
「あれほどの悪霊集団を動員してまで守っているにしては、入ったあとの防備が、なにもない。変だと思わないか?」
「もっと先で、待ちかまえてるのじゃありません?」
「いや。ここから噴き出す霊気は、ものすごいものがあった。それが中に入った途端、ぱったりと跡絶えてしまった」
「きっと、逃げたのですわ」
「そんなはずはない。俺たちに恐れをなす程度の、そんな弱い霊気ではなかった」
「では……」
凌は十六夜の発言を押えた。
じっと考えこんだ凌を感じ、邪魔してはいけないと、十六夜もまた黙りこむ。
沈黙がおとずれた途端、周囲の闇がどっと押しよせてきた。
「そうか!」
凌は、なにかに気づいたようだ。
「なにか、わかりました?」
「探査の方法が間違っていたんだ。敵の発する霊気を感知する心霊探査は、こちらが隠密行動をとっていてこそ効果がある。こちらの存在がバレている以上、敵は息をひそめて待ちかまえているわけだ」
「霊気を遮断するのは、そんなに難しくありませんものね」
「そのとおり。したがって、こっちの捜索は徒労に終わるという寸法だ」
「では、どうなさいますの」
「簡単なことだ」
凌は両手を広げ、体の内部に霊力を集中した。
「頭を低くしていろ。気を失うぞ」
あわてて、十六夜は氷床にはいつくばった。
凌はその場で、急速にスピンを開始する。
くるくるとまわりながら、体の内部に蓄積したプラスの霊力を、両手の先から放射する。
たちまち洞窟内の空気は、すがすがしい清涼感を取りもどしはじめた。
ブン……。
新たなエネルギーの導入に、空気の分子が震動をおこしはじめる。
岩石や氷の中の蛍光物質が惹起される。
洞窟の壁全体が、ほのかに光を放ちはじめていた。
凌は回転を止めた。
ゆっくりと両腕を下ろす。
洞窟内は、光に満たされた。
「きれい」
十六夜が感嘆の声をあげる。
漆黒だった周囲はいまや、あわい薄緑色に染めあげられている。
含有されている蛍光物質の濃淡にあわせ、いたるところに微妙な縞模様が現われていた。
「見つけたぞ」
照りかえしを受けた凌の顔が、あやしげな笑いを浮かべている。
凌は前方の氷床を指さした。
そこだけは、いまだ漆黒に染められたままだ。
「やつらは、秘密の通路を氷の下に作っていたんだ。プラスの霊気とマイナスの霊気が打ち消しあって、あそこだけ蛍光を発していない」
凌はゆっくりと歩みより、勢いよく手刀をふりおろした。
――ゴッ!
火花が散った。
氷床が、まっぷたつにたち割られる。
その下から、黒々とした新たな通路が現われる。
凌は十六夜を体に密着させ、穴の中をのぞきこんだ。
「寒い……」
十六夜が震えはじめた。
両腕で胸を抱きしめ、歯を鳴らして震えている。
急速に気温がさがりはじめていた。
ゴウッ――。
穴の中から、真っ白な冷気が吹きあげてきた。
ピシピシと音を立てて、大気中の水蒸気がたちまち凍りはじめる。
「しまった! ワナだ」
凌は十六夜をうしろに下がらせようとした。
しかし、体がかじかんでしまった十六夜は、歩くことさえままならなくなっている。
冷気は穴の上空に停滞すると、ゆっくりと形を取りはじめた。
凌の心霊探査の指数が、いきなりピンと跳ねあがる。
冷気の塊は、いくつもの首を放射状に広げた、ヒドラのような化物の形となった。
十六夜が叫ぶ。
「国津神――
「おまえが親玉か!?」
凌のするどい誰何がひびきわたる。
嘲笑が返ってきた。
空気全体が震動して、胸くそ悪い嘲笑のニュアンスを伝えてくる。
同時に、猛烈な冷気が吹きつけてくる。
バリバリッと音をたてて、凌の顔面に氷の膜が張りついた。
「
凌の腕が、十文字に組みあわされる。
同時に呪文めいた言葉を発した。
言葉は
強大な心霊力を駆動するときには、言霊の力を借りなければならないのだ。
両腕を思いっきり開く。
グオオオッ――。
冷気が左右に分断される。
進路を曲げられた冷気は、洞窟の壁にぶち当たり、キラキラと氷の破片を散らした。
「こちらからも行くぞ。
両掌をあわせ、それを大上段にふりかぶる。
すばやく調息を行い、心気を集中する。
――ブォッ!
袈裟掛けにふりおろす。
強烈な霊波の放射が、空気の分子を発光させる。
弓なりの光条が、名椎の白い胴をみごとに分断した。
名椎は、耳が痛くなるような鳴き声をあげた。
胴体から四方にのびる首を打ちふり、でたらめな方向に冷気を放射している。
――バンッ!
名椎の分断された体が、一瞬にして冷気の霧に分解した。
ふたたび集結する。
凌に与えられたダメージは、瞬時に修復されてしまった。
「くそっ!」
「凌様。名椎は、冥界に冷気を送りこむ神です。国津神に特定の形はありません。こやつらは自然の精霊なのです」
消え入りそうな十六夜の声。
霊力を集中している凌の手足すら、すでに感覚はない。
このままでは、勝利を得る前に十六夜が凍死してしまう。
凌は賭けに出た。
大きく息を吸い、下腹部に心気を集中する。
脊髄を中心に湧きあがってきた霊力を、吸いこんだ空気に付加していく。
「破ッ!」
空気そのものをプラスの霊波で震動させ、高熱のエネルギー流に変換する。
それを、そのまま名椎に放射する。
技とも言えぬ、力まかせの技だった。
――ブオオォォ――ッ!
猛烈な水蒸気が巻きおこる。
名椎はふたたび分解した。
しかし、決定的なダメージには程遠い。
凌は半分凍りついた十六夜を抱きかかえ、急いで出口へと逃げた。
名椎はふたたび結集し、凌の後を追いかけてくる。
「ハッ、ハッ、ハッ!」
凌の呼吸が荒くなった。
多大な霊力の行使は、凌の肉体を急速に消耗しつつある。
もう一度、おなじ技を放射する余裕はない。
今は、ひたすら逃げるだけだ。
幸いなことに、名椎は途中までしか追いかけてこなかった。
その場を守るよう命じられているのか。
それともあの場所でないと、自分の能力を自由に扱えないのかはわからない。
どちらにしろ、凌にとっては有難いことだった。
二人は、ふたたび洞窟の入口にたどりついた。
凌は十六夜の体をこすりつづけている。
むき出しの皮膚は、死人のように青白い。
呼吸は浅く、目はうつろだ。
このまま放っておけば、やがて凍死する。
そうはさせるかと、凌は肌がむけるほど力をこめて、延々とこすりつづけた。
やがて、朦朧としていた瞳に光が舞いもどってきた。
「い、痛い……」
十六夜の全身に、激しい痛みが湧きあがってきたらしい。
あまりの痛みに、のたうち回って泣き叫ぶ。
急激な血行の回復によって、全身の神経が、たまらず悲鳴を上げているのだ。
「我慢しろ。生きている証拠だ」
「は、はい」
十六夜は、痛さのあまり涙をぽろぽろとこぼしている。
そうしながらも、自分の服のすそを噛みしめ、じっと耐えている。
その姿に、凌はいじらしさを感じた。
しかし、こする手をゆるめようとはしない。
「それにしても、困った」
凌は躊躇していた。
出口は、悪霊のバリアーに阻まれている。
なんとか破るくらいの霊力は残されているが、それを使ってしまえば、ディスチャージにおちいってしまうのだ。
心霊力は、肉体の限界と密接なつながりを持っている。
ある程度までの消耗は、時間さえたてば回復していく。
しかし限度をこえて消耗してしまうと、ディスチャージといって、一定時間まったく回復能力が失われてしまうのだ。
凌は過去に、一度だけそれを味わったことがある。
ベトナム帰りの兵士の心霊治療を行なっているうち、とてつもない悪霊集団を祓わなければならないはめになった。
一人や二人の悪霊憑依ならなんともない。
だが怨念に凝り固まった、数百人の虐殺霊相手では、いくら凌でも荷が重すぎた。
凌は除霊の最中にディスチャージにおちいった。
米兵は治療の甲斐もなく、肉体を四散させて即死した。
霊力が回復したのは、まる一日以上たってからだった。
「背に腹はかえられないか」
凌は、天井をふさぐ巨大な暗黒のオーラにむかって、全霊力を放射した。
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