第25話 青木ヶ原樹海



 樹海の中には、すでに闇が進駐していた。


 凌は、観光名所になっている氷穴には目もくれない。

 十六夜が止めるのも聞かずに、さっさと樹海へとわけ入った。


「どこに、行かれるのです」


 十六夜が、苦しそうに声をかけた。

 完全に、息が上がっている。


 凌の足取りは、まるで短距離走者の全力疾走だ。


 いかに鍛練をつんだ十六夜であろうと、溶岩と樹根の絡まるこの場所では、凌を見失わないのが精一杯だった。


「置いていくぞ。早く見つけないと、日が暮れてしまう。夜は妖魔の世界だ。そしてここは青木が原、魑魅魍魎や悪霊には事欠かない」


「でも、どこに」


 凌が一瞬立ち止まったおかげで、十六夜はようやく追いついた。


 すでに数キロは走りつづけている。

 ハッハッと息を乱し、苦しそうに深呼吸する。


 それでも月影衆だからこそ、それで済んでいるのだ。

 常人であればとうに、心臓麻痺をおこしてくたばっている。


「バスをおりてからずっと、心霊探査を行なっている。照香が注意したことを信じれば、敵は強固な結界を張っているはずだ。

 守るものがあれば、そのまわりには見張りを置くのが自然だろう? これだけ霊的に過敏な場所であれば、妖気を発散する度合は何倍にも増幅される。ほら、あれを見ろ」


 凌は右手に見える小高い丘を指さした。


 まばらな木立ちのあいだに、ちろちろと怪火あやしびがゆれている。


。普通の場所では、とうの昔に浄化されているはずなのに、ここでは、いつまでもエネルギーが昇華することはない」


 凌は歩き出した。

 今度は、ゆっくりとした速度を保つ。


「こっちの方角に、異様な霊気を感じる。普通の霊能力者であれば、幻覚をおこしかねない強さだ。心霊医療のメカニズムを知っていないと、簡単にたぶらかされる」


「わたしには、なにも感じられません」


「月影衆は、心霊攻撃に対する耐性訓練を積んでいるだろう。それのせいだ。悪く言えば、きわめて鈍感だということだな」


「まあ、ひどい」


 凌の冗談を、十六夜は嬉しそうに受けとめた。


 雛子にしか見せなかった内面を、自分にも見せてくれている。

 その思いは、十六夜を有頂天にさせた。


「気をつけろ」


 前を歩いていた凌が、急に立ち止まった。

 惚けていた十六夜は、ドスンと凌の背中にぶつかってしまった。


「しっかりしろ。どうやらお出むかえらしいぞ」


 前方の暗がりに、それよりも、もっと暗い淵が口を開いている。

 暗黒の地底へと通じる、溶岩洞窟の入口だ。


 その周辺に、無数の鬼火がゆれている。

 目を凝らすと、鬼火の周囲で、いくつものうごめく姿があった。


「汚ない奴らだ。亡者を利用するとはな」


 凌は、姿を現した者を見て、ちいさく罵った。


 それは、亡霊の集団だった。

 青木が原で死んでいった多くの悲しき人々。

 その自縛霊が、悪霊となって実体化していた。


 ぼろぼろの背広を着た、片目をぶらさげた男がいる。

 半分、獣に食いちぎられた乳房をさらけ出した、若い女がいる。


 カタカタと歯をならす、首だけの頭蓋骨が宙を舞っている。

 首を結びあったまま、仲良く空中をさまよう、心中したアベックがいた。


 それらがじっと、青白く光る半透明の体をゆらせて、凌たちを見つめていた。


「任せてください」


 十六夜は背中のデイバッグをおろし、中に手を突っこんだ。

 おおよそ似つかわしくない、近代的なを取り出す。


 銃の尻にはフレキシブル・コードが連結されている。

 それは、デイバッグの中へとのびていた。


 クゥオオォ――ッ!


 敵意を感じ取ったのか、亡霊どもは一斉に宙へ舞いあがった。


 長い霊波の尾を引きながら、逆さ落としに凌たちへ襲いかかってくる。


 ――ルルルォーッ。


 澄みきった、ほとんど電子楽器を奏でるような音がした。


 十六夜の持った、小型の自動拳銃ほどの武器。

 そこから、連続した金色の光条がほとばしった。


 ――グオッ!


 光条は亡霊に到達するや、まばゆい光輝となって炸裂する。


 亡霊の体が、明るいオーラを発して燃えあがった。

 紙が燃えつきるように、中心部から周辺へと燃え広がり、またたくまに消滅する。


 十六夜は、つぎつぎに光条を発していく。


 それをかいくぐって、頭蓋骨が凌に迫った。


 凌は、無造作に手刀をふりあげる。

 音もなく、まっぷたつに寸断される。


 左右にたち割られた頭蓋骨は、地面に落下するまえに消滅した。


「一丁あがり」


 十六夜の銃が、鳴りをひそめる。

 銃口を天にむけ、得意そうにガッツポーズを決めた。


「すごい銃だ。月影衆が、飛び道具を使うとは思わなかった」


「何事も近代化ですわ。残月なんかは、心気のこもった刀を好むけど……わたしは、こっちのほうが好き」


「どういう原理なのだ」


「悪霊とか魑魅魍魎というのは、いわば負の心霊エネルギーによって賦活されているわけですよね? だから正の心霊エネルギーをぶつけてやれば、相互に打ち消しあって浄化されるのですわ。建野重工業謹製の、最新兵器をわけてもらいましたの」


「あそこは、そんなものまで作っているのか」


 凌は、心底からあきれた。


「ゴーストハンター部隊だって、自衛隊の中にちゃんと存在していますわ。建野製の武器は、そこに納入するのですからね。

 それに常人からみれば、銃弾が発射されてるようには見えないわけですから、サバイバルゲームでもやってるって思うでしょうし。

 実際、夜間にゲームをやっているように見える集団の何割かは、ゴーストハントをしている秘密部隊ですわ」


「やれやれ、そんな奴らが跳梁しているようでは、都市伝説には事欠かないわけだ」


「都市伝説といえども、なんらかの真実を核にしていることが多い。玄蔵様が、申されておりました」


「むうっ」


 無駄口をたたいていた凌の表情が、急に引き締まった。


「新手だ」


 ふたたび、十六夜が銃をかまえる。


 ――グオオォォォ――ッ!


 いっせいに、周囲の森が吠えた。


 先ほどの怨霊の叫びなど、赤ん坊の鳴き声に聞こえるほどの、魂を芯から凍らせる暗黒の波動だ。


「いかん!」


 凌の緊迫した声があがった。


 まわりの樹々の上端から、なにかがいっせいに立ちあがった。


 十六夜の銃が吠える。

 光条は闇を切り裂き、周囲から襲いかかろうとする壁のごときものにぶち当る。


 まばゆい炸裂!


 しかしすぐに周囲から暗黒が押しよせ、燃えあがったオーラの炎をかき消してしまう。


 十六夜は銃口をふりまわし、盲滅法に乱射した。


 だが、巨大な壁の一部を破壊しても、すぐに蜂蜜が穴を埋めるように、まわりからどろりとしたものが押しよせ塞いでしまう。


だ。怨霊の集団が合体して、巨大な壁を作っている。押し潰されたら、負のエネルギーに取りこまれるぞ」


 壁が近づくにつれ、表面をびっしり埋めるものが見えてきた。


「きゃあっ!」


 十六夜の表情が恐怖に染まった。


 壁を埋め尽くすもの、それは、ありとあらゆる人間の顔だったのだ。

 無数の、喜怒哀楽を凍りつかせた顔が、一様に口を開け怨磋の声をわめいている。


 それが津波のように重なりあい、大気をふるわせる怒涛となって襲いかかってきた。


 凌は立ちすくむ十六夜を抱きかかえ、フルパワーで溶岩洞窟へと走った。


 すんでのところで、洞窟内部に転がりこむ。

 背後で、大気をゆるがせて壁が閉じた。


「しまった。やつら自体が結界だったのか」


 凌は、自分の短慮を悔いた。

 ぬりかべが閉じたことによって、この溶岩洞窟は霊的に封印されてしまったのだ。


 突破するのは容易ではない。

 自分だけならなんとかなるが、十六夜がいては無事には済まないだろう。


 凌はしかたなしに、茫然としている十六夜の尻をたたき、洞窟の奥へと進んだ。


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