第17話 また、あいつか!



「大丈夫か」


 男は、地面に伏している凌に声をかけた。


 だが凌は、あまりに受けたダメージが大きすぎて、激痛のあまり動くことすらできなかった。


 しかたなく、自分自身の身体に応急の霊波治療をほどこしながら、大の字になって男を見あげている。


「すまない。助けてくれて」


 凌はゆっくりと深呼吸した。


 途端にむせかえり、ごぼっと口の端から血泡を吐き出す。

 どうやら、折れた肋骨が肺を傷つけているらしい。


 しかし凌は、もう一度、深呼吸にトライした。

 吸った息を下腹部にため、それから順ぐりに下から脊柱にそって上昇させる。


「へえ。その体で、調息法を行なうとはね」


 男は感心した様子で眺めている。


 凌は自分の肉体に、本格的な心霊治療を施すことに決めた。

 応急処置では、受けたダメージを払拭することはできない。


 しかし根治療法を行なうには、精神エネルギーの大半を消費する。


 もし目の前の男が敵ならば、凌に防御の手段はない。

 まさに捨て身の治療だった。


 まず呼吸を確保するために、折れた肋骨を修復する。


 手指を用いずに、体の内面に霊力を集中させるのは難しい。

 霊力と密接に結びついている精神エネルギーが漏洩している今、自己修復は、もっとも難しい心霊治療のひとつなのだ。


 じっとりと、額に汗がにじんでくる。

 次に、へし折られた右腕を、無事な左腕でなでた。


 思いっきり引っぱり、正常の状態にもどす。

 かすかに、うめき声が漏れた。


 あとは、かなり楽になった。


 骨折部に霊波を送りこみ、細胞増殖を賦活させる。

 痛んだ骨と神経は、通常の数千倍のスピードで増殖を開始する。


 しかし、増殖が早いだけに苦痛も大きい。

 いわゆる『成長痛』を数万倍にも増幅したような激痛が、これでもかと中枢神経を刺激する。


 やがて――。


 凌は、よろけながら立ちあがった。

 その姿は、ゆうに数キロは痩せてしまったかのようだ。


 いくら心霊治療とはいえ、修復する材料は体内からしか供給されない。

 エネルギー保存の法則からは、霊力といえども逃れられないのだ。


 余分な肉体を削り、破壊された部分に充填したため、いまや凌の姿は幽鬼さながらだった。


「たいしたもんだ」


 男は凌の心霊治療を見ても、さほど驚いてはいない。

 それどころか、その存在を当然のごとく思い、手際の良さに感心していた。


「次から次へと、今日は変なヤツと出会う日らしいな」


 凌は苦笑まじりに声をかけた。


「おれが変? 助けてやったのに、そりゃないぜ」


 男は、スポーツ刈りの頭に手をやった。

 余分な脂肪や筋肉がほとんどない、ウエルター級のほれぼれする肉体を持っている。


 現役のボクサーらしいが、もし試合に念動力を使用しているのなら、あまりフェアな行為とは言えないだろう。勝つに決まっているからだ。


「すまない。ちょっと疲れているんだ」


「だろうな。その調子じゃ、そうとう霊力を使っただろう」


「礼をしなければ……あんたの名は?」


「雷太、建野雷太たけのらいただ。聞いたことないかい?」


 男は、ちょっぴり不服そうな顔になった。

 凌が自分の顔を知らないことが、さも不満そうだった。


「申しわけない。ボクシングには興味ないんだ」


 男がボクシングをやっていることは間違いないが、凌は本当にその名を知らなかった。


「ちぇ。日本チャンピオン程度じゃ、やっぱり目立たねえんだな」


 心底から、悔しがっている。

 面白い男だ、と凌は思った。


「あんたの実力だったら、世界チャンピオンでも朝飯前じゃないか」


「止められてるんだ。目立つなって」


 雷太は不満の矛先を、見知らぬ相手にむけていた。

 あからさまに怒りの表情を浮かべ、念動力を使った試合は禁じられていると答えた。


「ここにいるの、偶然じゃないな」


 凌は、雷太の顔をまっすぐに見つめた。


 たまたまトレーニングの途中で公園にやってきたにしては、あまりにも簡単に、ボクサーの命取りになりかねない殺人を犯している。


 凌にとっては日常茶飯事のことも、にとっては異常なことだ。だが雷太は公園に入ってくるなり、いきなり坊主の頭を破砕した。


「じつはそうだ。照香から、おまえを連れてこいって言われてきた」


「また、あの女か」


 凌は、ウンザリした表情を浮かべた。


「まあ、腹をたてるな。あいつは性格は悪いが、実力はある」


「あんたとの関係は」


「おれかい? おれは照香の従兄だよ。芦原家の分家にあたる」


「それじゃ伝えてくれ。あんたの顔を見ると反吐が出るってね。いや、実際に見たことはないが、想像しただけでゲロゲロだ」


 雷太は大きく口を開けて笑った。


「さすがは、恐れ知らずの出雲だけある」


 凌はふうっ、とため息を漏らした。


の知らない所で、よほど有名らしいな。迷惑なことだ」


「そうよ、それ。あんたの名声の秘密、来ればわかるぜ」


「いや、やめとこう。自分のことは自分でわかってるつもりだ。それに、あんたらに関わるとロクなことがない。雛子の言う通りだ」


「そうかい。おれは照香じゃねえから、無理強いはしねえけどよ。でも、請け負ったことだけは伝えとくぜ。

 気がむいたら、新宿の建野重工業本社ビルにきなよ。そこで照香かおれの名前を出せば、きちんと案内してくれる。なんでもあんたは、この国にとって大切な御仁らしい。そうは見えんがね」


 雷太は新宿副都心に新築されたばかりの、日本最大の規模を誇る超高層ビルの名を告げた。


「建野って。もしかして?」


「そうさ。おれの親父のビルだよ」


 雷太はあたりまえのように返事をすると、乱れていたトレーニング・スーツのすそを引っぱった。


 そのまま二三回、シャドーボクシングをする。

 すぐにランニングを開始した。


「じゃあな」


 遠ざかる雷太の背から、声が聞こえてきた。

 どうやら、本当に伝言を伝えにきただけらしい。


 伝言ついでに人間一人を殺し、また風のように去っていこうとしている。

 凌はもう一度、大きくため息をついた。


「後始末、どうしよう……」


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