第25話
憲兵隊の詰所に暴漢たちを突き出したエドガーは、彼らがソランスターから来た庶民だと聞いてなんとなく事情を察した。多分、彼らは職がないのだ。手っ取り早く金を得るために、裕福そうな旅行者を襲ったのだろう。事実、男たちは金が必要だったと供述した。ソランスターの屋敷で働いていた下男たちで、給金もまともにもらえないまま解雇されてしまったらしい。
「今の領主様はそんなに厳しいのか……困ったな、親父たちは無事だろうか。憲兵さん、俺の故郷はフィゲンズなんだよ……一体いつからこんな風になっちまったんだ」
「フィゲンズか。なんでもソランスターの新しい領主様は、軍港の整備のために税を重くしたらしい。前の領主様がお亡くなりになってから、厳しくなる一方なんだとよ」
「お、お嬢様はどうなさった? 前の領主様にはお嬢様がおられたはずだ」
エドガーは、口が軽そうな憲兵に少しだけ踏み込んだ質問をしてみる。すると、知っていることを余程話したかったのか、憲兵は頼まれてもいないことをベラベラと話し始めた。
「ああ、あのご令嬢ね。どこかの子爵様のところへ嫁いでいったと噂だぜ。海軍もだんまりを決め込んでるようだし、いずれ大公様がお取り潰しをお命じになられるんじゃないかって話だ」
「お取り潰し……そうか、ここのように直轄領になれば苦労しなくて済みそうだな」
「だと思うけどな。あんたも帰ってきたばかりで仕事がなかったら、軍隊に入ればいいと思うぜ」
簡単な事情聴取を終えたエドガーは、宿で待つレインリットの元に帰る前に酒場に立ち寄った。憲兵から聞いた話だけでは判断がつかないので、ソランスターの話を集めておく必要がある。もっとも、入国管理所の職員や自分たちを襲った男たちの話から、ウィリアム・キーブルが暴利を貪っていることが明らかになったのだが。
――フォルファーン大公が動くとなると厄介だ……領地を取り上げられてしまったら、レインリットの決意と努力が水の泡になってしまう。
エドガーは喧騒に包まれた酒場の隅の席に座り、噂話に耳を傾ける。どこの国も同じく、噂話が好きなようだ。果実酒を頼み、ちびちびと飲みながらエドガーはレインリットのことを考えた。暴漢たちに怯まず、勇敢にも短剣を持った男に立ち向かった彼女の姿が頭から離れない。一歩間違えれば彼女が死んでいたかもしれない恐怖とは別に、自分の身を案じてくれたことがとても嬉しかった。
――それにしてもあの光は……まさか、本物の『妖精』なのか?
エドガーは、レインリットが発した眩い光を確かに見た。細い指先から放たれた光が暴漢に当たり、痺れたように身を硬直させて倒れたのだ。
リングールという島には、その昔『妖精に愛されし者』と呼ばれる人々がいた。彼らは何もないところに火を起こしたり、風を呼んだり、果ては癒しの力を持っていたりと不思議な力を使い、崇められていたのだ。ソルダニア帝国にもその末裔が住んでおり、力のある者は非公式の魔法研究機関で魔術師として君臨している。
レインリットの兄であるファーガルは、彼女のことを『幸運の妖精』と呼んでいた。エドガーは、彼が目に入れても痛くないほど妹を可愛がっているのだろうとばかり思っていたが、そこに驚くべき真実が隠されていようとは思ってもみなかった。
――彼女の抱える最大の秘密だろうな。
それを知ったからと言って、エドガーにはレインリットの不思議な力を利用しようという考えなど浮かぶはずもない。むしろ、悪用しようとする者から護らなければとしか思えないというのに。打ち明けてもらえなかったことに心が重くなる。彼女にとって自分はそれだけの男だったのかとさえ思え、エドガーは深い溜め息をついた。
果実酒をあおったエドガーの耳に、重い税によりソランスターの領地から逃げてきた人々の嘆きが聞こえてくる。明日には、初代ソランスター伯爵の生誕地フィゲンズに着く予定だ。まずは教会に行き後見人名簿をめくらなければならない、と思いながらも、まぶたの裏にはレインリットの強張った顔が焼き付いて消えなかった。
◇
エドガーが手配してくれた宿で、レインリットは久しぶりにエファから叱られていた。緊張が解けたためか、宿に着くなりしばらく震えが止まらなかった。事後処理のために憲兵隊の詰所まで出向いていったエドガーはまだ帰ってこない。部屋の外には護衛を兼ねた従僕が待機しており、身の安全は確保されている。
「まったく、伯爵様はお逃げになるようにおっしゃってくださったのですよね? それを助けに入るなんて……あの鋭い刃がお嬢様に刺さったら、命の保証はないのですよ!」
「ごめんなさい、エファ。身体が勝手に動いてしまったの」
「これでは伯爵様がお可哀想でなりません。お嬢様をソランスターに送り届け、あの憎き男を裁くという約束は、お嬢様無くしては成り立たないのです」
「そう、ね。皆、私のためにここまで来てくださったのだから、私はこんなところで死んではいけないのよね」
そう言ったレインリットに、エファは違うと首を振る。その顔は、怒っているというよりも、泣いているように見えた。
「レインリットお嬢様、こんなところだろうともどんなところだろうとも、死んではなりません」
涙声になったエファは腰をかがめ、大人しく椅子に座って反省していたレインリットに視線を合わせる。そして、子供の頃から言い続けている言葉を、迷いなく口にした。
「私はずっと、お嬢様と共に」
それはレインリットがいつも勇気づけられている言葉だ。エファは侍女としての自分に誇りを持っている。だからレインリットも、伯爵の娘として、エファの主人として恥じぬように自分を戒めていたはずだった。
「後先考えずに行動するのは私の悪いくせね。きちんと考えなきゃ……」
そう、レインリットはとうとう、エドガーの前で力を使ってしまったのだ。暴漢が倒れた時にこちらを見ていたエドガーの顔は、驚愕に目が見開かれていた。
――きっと、気持ち悪いと思われた。
たまに力を持つ子供が生まれるソランスターでも、表に出してはならなかったというのに。レインリットは自分の手を沈痛な面持ちで見つめた。この力があったからこそ救われたと思うものの、広くは『魔法』と呼ばれる力を持つ者はごく僅かにしかいない。レインリットにとっては普通のことも、持たざる者には畏怖と嫌悪の対象でしかないということを、大人になるにつれ理解していったはずであった。
――だから、知られてはならなかったのに。
しかし、エドガーが傷つけられると思った瞬間、レインリットの中には助けなければということしかなかった。
「ねぇ、エファ」
「なんでございますか?」
「エファは、私の力のことをどう思う?」
これまで当たり前だったので、面と向かって聞いたことはなかった。しかし今、レインリットは気になって仕方がなく、恐る恐るエファを見上げる。
「私のお嬢様が、ソランスターの妖精と呼ばれることが、私の誇りです」
しかしそんなレインリットの心配をよそに、エファは胸を張って答えた。
「お嬢様の侍女として召し上げられてから十一年。見習いの頃より、羨ましく思っておりました」
怖がりもせず、エファはレインリットの手を両手で包む。二つ年上のかけがえのない侍女は、崇めるようにその手に額をつけた。
「時に私の荒れた手を癒してくださったり、時に興奮して手のつけられない猛牛たちを宥めてくださったり、妖精に愛された奇跡の力を忌み嫌うことなどございません」
「エファ、ありがとう」
「まあ、いたずらに使われるのはご勘弁願いたいですけれど」
「もう、それは子供の頃の話よ」
顔を上げ、茶目っ気たっぷりに付け加えたエファには、畏怖や嫌悪など全くない。レインリットはホッとして表情を緩めるも、エドガーのことを思うとすぐに自信がなくなってしまった。
「……でも、エドガー様は」
「伯爵様は大丈夫でございます」
「本当?」
「あのお方は、お嬢様をお力ごときで選別するようなことはしないと、そう思います」
レインリットはそれには返事をせず、曖昧に微笑んだ。
「明日、打ち明けるわ。だからもう寝ましょう……明日はフィゲンズに行くのですから」
「はい、お嬢様。おやすみなさいませ」
まだエドガーは戻らない。レインリットは待つのをやめて寝台に横になる。
エドガーに嫌われたくないと強く思う。そんな風に思うまで好きになってしまった心は、もう恋を知らなかった頃には戻れない。
――受け入れてくださるかしら。
身内以外にこの力のことを話すのは初めてだが、避けては通れないことだ。正直に打ち明けて、そしてもう一度心配をかけたことを謝罪しよう、と考えながら、レインリットの意識がふわふわと遠のいていく。
結局レインリットはその晩遅くに宿に戻ってきたらしいエドガーに気づかず、悶々と考えながらいつの間にか寝てしまった。
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