第12話
「え……エドガー様?」
レインリットのところへつかつかと速足でやってきたエドガーが、彼女を囲うようにして両手を突き出し、ソファの背に手をついた。彼の端正な顔がこれ以上ないほど彼女に近づき、一気に顔が赤く染まる。
「メアリ、私と君が結婚をすれば解決すると思わないか?」
エドガーの銀色の瞳が鋭い光を放つかのように怪しく煌めく。緊迫した空気に動けなくなったレインリットが喉を鳴らした瞬間、その唇は柔らかく熱いものによって塞がれていた。
「んんんっ!」
何が起きたのかわからず、レインリットは銀色の瞳を間近で見てしまい、ギュッと目を瞑る。それからやにわに唇を食まれ、キスをされていると気づいた。
「んっ!」
頭の中が驚きに支配され、レインリットは咄嗟に両手で胸を押す。しかしエドガーの身体はビクともせず、逆に抱き寄せられてしまった。熱い何かが唇の間をこじ開けようとしてきたため、首を左右に振って逃れようと必死になる。
「やめて、ください、エドガーさまっ」
「まさかその反応……君は初めてなのか?」
「当たり前ですっ! こんなふしだらなこと」
呆然とした表情のエドガーから顔を背け、レインリットは両手で唇を押さえた。
「いきなりなんて、酷いです」
ワナワナと震える唇はしかし、エドガーから与えられた温もりを確かに感じ取っており、レインリットは羞恥に顔を熱くする。
「……すまなかった。だが、結婚するということは、夫となる男ともっとふしだらなことをするということだぞ。君はそれが嫌で逃げてきたのではないのか?」
言われたことが理解できず言葉を失ったレインリットに、エドガーが畳みかけるように言葉を続ける。
「君はそれができるのか?」
「それは……」
あのウェルシュとキスをして、その先までゆるさなければならないなどゾッとする。エドガーに指摘されるまで、レインリットは具体的に考えていたわけではなかった。子を成すということは、つまりはそういうことなのだ。
「わかりません。でも、必要なことであれば」
レインリットは唇を噛む。そんなレインリットに、エドガーが荒々しさを潜ませて、諭すような声音になった。
「その役目は、私では務まらないか?」
「エドガー様」
「我が皇帝陛下も、きっとシャナス公国との友好の架け橋として祝福なさってくださるさ。私もいつかは結婚し、後を継ぐ者を育てなけれならない義務がある。そして君も……」
エドガーは引く気はないのか、レインリットの返事を待っている。
――エドガー様と、結婚? 私と、エドガー様が?
レインリットは混乱した。エドガーの考えがさっぱりわからない。
「何故、自分のことを犠牲にしてまで、そのようにおっしゃってくださるのです」
「私は自分を犠牲にしていると思ってはいないよ」
「結婚はそんな軽々しくするようなものではありません」
「これはあくまで手段だ。何も生涯を添い遂げることはない。私に任せてくれたら、君の経歴に傷は一切つかないようにできる」
エドガーの言うことの半分も理解できなかったレインリットは、どう答えるべきか考える。しかし、結婚という言葉が頭の中をぐるぐる回るだけで、答えなど出てこない。二人はしばらく見つめ合い、彼女がやっとのことで絞り出し答えは「もう少し時間をください」であった。
◇
エドガーから結婚という提案をされた数日後、レインリットは起き上がれるまでに回復したエファと面会が許された。許された、といっても強制ではない。うつっては申し訳ないと、エファが拒否していたのだ。
「ごめんなさい、エファ。私、貴女に頼りきりで、倒れるまで気づかなくて」
「お嬢様、軽々しく使用人に謝罪はしてはいけません」
「その、熱はもういいの?」
「はい、良質な薬のおかげでこんなに早く回復できました。まだ胃の調子はよくありませんが、それもいずれ治ります」
「よかった。エドガー様もご心配なさってたから」
「エドガー様、とはお嬢様。一体どなたのことでございましょう」
レインリットが何気なく出したエドガーの名前に、エファが耳ざとく反応した。レインリットは自分の迂闊さに、思わず下町で覚えた『舌打ち』という行為をしたくなる。
「エファが倒れた後に、エドガー様……レイウォルド伯爵様に家名と私の力のこと以外、すべて話してしまったの。ごめんなさい、こんなになるまで頑張ってくれたのに。台無しにしてしまったわ」
せめてエファに相談してからにすればよかった、と反省の色を見せるレインリットに、エファは静かに首を振る。
「お嬢様、私はここの使用人たちを、お嬢様の侍女として拝見させていただきました。皆さま、よく働き、よく伯爵様の言うことを聞き、とても厳格に躾けられております。そして何より伯爵様を敬愛しているのです」
「ええ、私もそれは感じたわ」
「伯爵様ご本人のことは、私よりお嬢様の方がよくおわかりかと思います……お嬢様が信頼できると思われたのであれば、私はそれを信じます」
エファの揺るぎない信頼が力を与えてくれるようで、レインリットは子供のように「うん」と返事をして頷いた。
それから用意してもらった果物を一緒に食べ、エファが臥せっていた間にあったことを報告する。もちろん、結婚を提案されたことやキスをされたことは伏せて。とにかく、レインリットは病み上がりのエファに迷惑をかけたくはなかった。
時折意気込むエファをたしなめながら、レインリットは久しぶりにゆっくりとした時間を過ごす。やがて薬が効いてきたのかエファの瞼が閉じ始めると、レインリットは上掛けを被せてあげた。
「眠るまでここにいるわ」
「そんな……お嬢様に、負担に」
「そう思うなら、早く良くなって」
しばらくして睡魔に負けたエファが寝息を立て始めると、レインリットは指先に光を灯してエファの額を撫でる。すると、眉間に寄っていた皺が解れ、心なしか血色が良くなってきた。
レインリットの力は、動物と意思の疎通ができたり、癒しの効果があったりと様々だ。まだこの世界に魔法と呼ばれる不思議な力が当たり前のようにあった頃から、シャナス公国の人々は脈々と受け継いできた。古い貴族であるオフラハーティ家では『妖精の祝福』と呼び、魔法を使える者を大事に保護していたのだが、他国では魔法は失われて久しい力なのだという。
レインリットは光を消すと、ぼんやりとエドガーとのやりとりを思い出す。
――大人になったはずなのに、私は何も成長していない。
ここで諦めるべきだろうか。弱気になったレインリットに、エドガーからのキスと提案は青天の霹靂だった。家名と不思議な力のことを告げていないだけで、ほぼ全てを知られてしまっている現状に、知らず溜息がこぼれる。
――私が、ソランスター伯爵家の者だと告げてしまったら……もしそれが明るみに出たら。
その時は、ソランスター伯爵家にとって最大の醜聞になることだろう。結婚を前に侍女と二人で逃げ出した令嬢として、社交界から後ろ指をさされるのだ。そもそも、元家令のマクマーンに会い、もし何かクロナンの不正についての有力な証拠を得られれば、フォルファーン大公に直訴することも考えていた。どちらにせよ明るみに出ることになるのだが、レインリットはそれが怖くて仕方がない。
――でも、これ以上隠してはいられない。
エドガーはレインリットの話を真剣に聞き、そして結婚まで考えてくれている。まさか本当に結婚はできないけれど、全部打ち明けて、全面的に協力を仰ぐ方がいいだろう。世間知らずな自分の浅慮などより、ずっとよい知恵を絞り出してくれるはずだ。
そう決意したレインリットは、無意識のうちにエドガーからキスをされた唇を指先で撫でていた。
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