ばあちゃんの桜餅
福山典雅
ばあちゃんの桜餅
「はい、はるちゃん、お食べ」
「うん」
ばあちゃんの作った桜餅を、僕はがぶりと頬張る。
あんこと餅米の味が口の中に広がった。
三月三日、ひな祭り。
僕は男だから、家ではひな祭りをしない。だけど、ばあちゃんは桜餅を必ずおやつに作る。僕は甘党だから、ばあちゃんの桜餅が大好きだ。
「桜餅は春を運んで来るからね、冬が終わって春を迎える食べ物なんだよ」
共働きの両親が忙しく、僕は子供の頃からばあちゃんに育てられた。毎年三月三日のひな祭りにばあちゃんの桜餅を食べて、僕は春を感じていた。
「ばあちゃん! ばあちゃん!」
僕が高校三年の冬、ばあちゃんが倒れた。風邪をこじらせて肺炎を起こしていた。救急車で運ばれ緊急入院となり、さらに中々本調子に戻らず大きな病院に転院した。僕は受験生だったが、心配で毎日お見舞いに通った。ばあちゃんはどうにか四月に家に戻って来れた。
気が付けば僕は大学受験を失敗し、浪人生となっていた。ばあちゃんのせいではない。僕が馬鹿なだけだ。
自室の壁に張った「努力」という張り紙。新生活を始める友人達をよそに、予備校に通い僕は浪人生としての毎日を始めた。
「はるちゃん、お手伝いはいいから勉強するか、休んでていいんだよ」
夕食が終わった後に洗い物を手伝う僕に、ばあちゃんは気を遣う。
「大丈夫、こういうのも気分転換になるんだ」
「そうかい? 無理はしなくていいからね。ばあちゃん、もうすっかり元気になったんだよ」
にっこり笑ってみせるばあちゃん。
隣に立つばあちゃんは、身長が百五十センチしかなくて小さい。僕は百八十センチある。小学五年生でばあちゃんの身長を追い越した時、「大きくなったね、ばあちゃん、抜かれたねぇ」とすごく嬉しそうだった。
いつもきびきび家事をこなしていたばあちゃん。だけど、退院してから動きがすっかり遅くなった。身体も頼りなく小さくなった気がする。
予備校に通う僕は、五月病をどうにか乗り越え、暑くてだるい夏もなんとかしのいだ。だけど、秋は駄目だった。
成績が思うように上がらず、志望校が霞んでゆく気がした。
何の為に浪人したのか。この一年が無駄になるのか。大人しく滑り止めに入っておけば良かったのに、自宅から通える第一志望を頑なに望んだ。僕は貴重な十九歳をどぶに捨てたのか。苦しくて、いらいらいらして、気が付いたら叫んでいた。
「うわああああああああああああああああああああああああ!」
参考書を激しく床に叩きつけて、僕はベッドを何度も両腕で叩き、頭を埋め、やりきれない気持ちのまま大声で泣いた。もう自分を止める事が出来なかった。どうしょうもなかった。楽しそうに青春を送る友人達の顔がたくさん浮かんで来た。そして惨めに電車に乗る自分の姿が許せなかった。
「はるちゃん、はるちゃん、どうしたね! はるちゃん!」
子供みたいに泣きじゃくる僕の肩を、ばあちゃんが抱きながら、何度も声をかけてくれた。
「……ば、ばあちゃん……、僕は……」
「いいから、いいからね、全部、ばあちゃんが入院したのが悪かったんだ、ばあちゃんが悪いんだ、ごめんね、ごめんね、はるちゃん」
「ばあちゃんは悪くない、僕が馬鹿なんだ! 僕が駄目なんだ!」
情けなくも僕は深夜遅くまでばあちゃんに慰められ、ようやく眠りについた。
目が覚めると昼過ぎで、僕はそのまま予備校を欠席した。荒れていた部屋の中はばあちゃんが片付けたのか、綺麗に整頓されていた。茶の間に行くとばあちゃんがいた。僕は少しくぐもった声で「昨日はごめん」と謝った。
「はるちゃん、お腹空いただろう?」
「……うん」
そう言うとばあちゃんが、台所からお茶と食べ物を持って来た。それは桜餅だった。
「……ばあちゃん?」
「今年は入院したから、ばあちゃんの桜餅をはるちゃんは食べてないだろう。桜餅はね、春を運んで来るからね、冬が終わって春を迎える食べ物なんだよ」
季節外れの桜餅。僕を励ます為に、ばあちゃんはたくさん作ってくれていた。
「人生でつまづいたり間違えたり失敗する事なんて幾らでもあるんだ、でもね、それを不幸だと思っちゃいけない。頑張ったり、やり直せる事は決して不幸とは呼ばないんだ。いいかい、はるちゃんは駄目じゃない、まだ幾らでもやりなおせる。辛いときは泣いてもいい、泣いた日は人生で大事な日だよ、涙はね、希望に流れ着くんだ。人は働いたら汗をかいて、人生を学ぶときに涙を流すんだ、ばあちゃんはそう思うんだよ」
ばあちゃんの励ましを聞きながら、唇が震えて涙が滲んで来た。僕は嗚咽した。暴れて泣き叫んだ一夜の過ちを後悔しながら、僕はばあちゃんの桜餅を泣きながら頬張った。
季節は変わり冬が来て、僕は大学の試験を受けた。今年はひな祭りの日にばあちゃんと桜餅を食べ、暫くして合格発表の日を迎えた。
ばあちゃんの桜餅が春を迎える様に、僕にも春がやって来た。
ばあちゃんの桜餅 福山典雅 @matoifujino
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
9回目で終わらせたい/遥 述ベル
★196 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます