第36話 全力鬼ごっこ
森の沈み日は早い。
影は風と共に伸びていき、直ぐに夜になった。
「それでは、開始だ」
キジナさんの声を合図に、キリさんは森の中に消えて行った。
それから間をおいて、ボクはキリさんの後を追った。
夜の森は、暗く、静かだ。木々の葉が擦れる音が、不規則に聞こえてくる。昔のボクだったら、自分の位置も分からずに、ただ、キリさんの名前を呼んだだろう。でも、今は違う。森での動き方を本能的に知っている。
地面にキリさんの足跡は無かった。木々を飛び移って移動したんだろう。でも、それを追跡するのは難しくない。葉の匂いのばらつきや、不自然な落葉。そう言った違和感を見つけて折っていく。そうして森の中を進んでいくと、不意に違和感が消えた。
――この近くにいる。
その予感に、耳をそばだてて、音に注意を払った。
それが、悪手だった。
何かが落ちるような、微かな音が聞こえ、反射的にそちらを見た。そこで、木の上から丸い物が地面に落ちて、大きな音と光を出した。
閃光弾だ。直視したせいで、視界と聴覚がやられた。ぼんやりとした世界の中で、何かが背後に立ったのを感じた。身を低くして地面を蹴った。ほぼ同時に、自分が立っていたところを風切り音が通って行った。
そこでやっと、一連の意味が分かった。
キリさんは逃げ切るつもりなんて、最初からなかった。ボクを行動不能にすれば、ボクがキリさんにタッチすることが無くなる。捕縛。それこそが、キリさんの狙いだ。
鬼ごっこのイメージに引っ張られ過ぎた。まさか、鬼が狙われる役に回るなんて。
ボクは必死に走った。時折、矢が飛んでくる風切り音が聞こえた。なんとか避けているが、当たればただでは済まないのは、なんとなくわかった。
キリさんは本気だ。
ならば。ボクも本気で相手をする。
地面を走り、時には木に登り常に遮蔽物の影になるように移動をした。まだぼんやりしているが、視力はかなり戻って来た。そこで、反撃に移る。
反撃を告げる遠吠えを一つ。その反響具合から、キリさんの位置を特定した。キリさんもそれに気が付いたのだろう、追跡をやめて闇の中に溶けるように、気配を消した。
厄介だ。キリさんは二つの手段から選べる。捕縛か、逃走か。その二つは行動方針が全く異なる。状況に合わせて、適切な方に切り替えられる。示威籠城戦にも似た、かなり厄介な状況だ。 でも。
「やれることを、やるだけだ」
遠吠えを一つ。それから、キリさんの居た場所に向かって走り出した。
矢継ぎ早。そんなことが似合うくらいに、間断なく矢が放たれてくる。実際の矢であれば打ち切るまで躱し続ければいいが、どうやら魔法で実体化した矢のようだ。弾切れは見込めない。そのまま、躱し続けながら突っ込んでいくしかない。幸い、矢が飛んでくる方向がキリさんの居る方向だ。そちらに向かっていけば、接近できる。
――本当か? ボクのなかで疑問が浮かぶ。
本当にそうなのだろうか。矢が飛んでくる方向に射手がいる。現実ならそうだろう。でも、この世界で、それは正しいのだろうか。ボクが現実の常識で行動することが分かっていれば、それを利用しない手はない。もしボクがキリさんの立場だったら、ベストなポジションまで誘導して、そこで一撃で決める。このまま、矢が飛んでくる方向に進んでいいのだろうか。
一瞬の迷いを決断にかえる。このまま進む。相手の動きが予想できれば対応はできるはずだ。キリさんの思案に乗って、最後の最後でひっくり返す。
その瞬間は、直ぐに来た。不意に横方向からの3連射。躱す。10時方向からの5連射。躱す。5時方向からの7連射。全て躱す。全方位からの12連射。躱す。そして最後に、恐ろしく早い一撃が、樹上から射られた。躱す。
躱しきった。
それに、最後の一撃は恐らく、キリさん自身が本気で放ったものだろう。だからキリさんは樹の上にいるはず。そう思い、上を見あげた。
確かに、キリさんはいた。木々の間から、キリさんの顔が見えた。同時に。
「冗談でしょ」
空間に浮かんだ、無数の矢を見てしまった。
三次元の空間弾幕。クリムゾンを手に取り上空に向けて「広がれ、貫け!」トリガーを引く。弾丸は小さな攻撃に散らばり、降り注ぐ矢を弾く。そしてできた空間に身を滑り込ませるように飛んだ。チャンスはきっとこの1回だけ。ボクはキリさんにタッチすることだけを考えて行動すればいい。その後のことは、その後に考える。
だから、飛んだ先で、絶望的な三次元弾幕第二弾が待っていても、受け入れた。
空中で足を畳む、それから空中を蹴る " 二段ジャンプ " 。
そうして、キリさん向かって飛ぶ。
「蜂よ、守り、守れ」そして「広がり、弾け!」
2回トリガーを引いた。道をこじ開ける。うち落とし漏れた矢は、根性で
キリさんは矢を番えていた。逃げる様子は無い。接近すればするほど、当たり易く、同時に避けにくい。一番の危険が、一番の好機だ。
キリさんの目が細目られ、矢が放たれた。避けにくい、体の中心部分を狙った一撃、空中の不安定な姿勢ならなおさら。そんな状態だからこそ、備えておいて良かった。蜂をボクの体に当てる。そうして姿勢を変えてやりすごす。
──躱し切った!
ボクはキリさんに手を伸ばした。当のキリさんはこちらを見たまま動かない。いや、口の端がきゅぅと吊り上がった。
次の瞬間。ボクの横から気の蔦が飛んできて、ボクに巻き付いた。そのまま木々の中へと飲み込まれてしまう。
蔦に巻き付かれて、木から
「いやー、ちょっとした
「木のしなりを使った罠だったんですね。矢を当てると蔦が飛んできて体に巻き付く。そんな感じの罠」
「ああ。
完全に締め付けて、最後にキツく結ぶと。
「私の勝だな、テル」
キリさんが誇らしげに笑うのを見て、ボクは不満げに口を尖らせた。
「久しぶりのレッスンだ。相手に勝ったと思わせろ、その瞬間にこそ、逆転が起こる」
「分かりました」
その返事に、キリさんは満足そうに頷いた。
「早速実践します」
キリさんがボクの言葉を理解するよりも前に「再度、貫け」事態は進んでいった。
上空から、弾丸が一直線に落ちてきて、ボクを縛る縄を切った。
最初の弾丸に込めた「貫き」の再使用。初めて使う技術で、本当にできるかは心配だった。でも、結果は上々だ。
捕縛を解かれ、驚いた顔をしているキリさんに手を伸ばした。
その瞬間。体が|斜めに傾いた。樹の枝が元から折れていく。
原因は、すぐに思い当たった。縄を貫いた弾丸はきっと、一緒に太い枝まで貫いてしまったのだ。
不意の出来事に、背中から落ちていくキリさんを見て、咄嗟に枝を蹴り、両手で抱いた。
それから地面に背負向けて。
あとは、なす術なく、落ちて行った。
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