第14話 案内人

 陽はすっかり傾き、西日の橙色は夜の藍色に追われて、木々の隙間から段々に姿を消し始めていた頃だった。

 キリさんは、一杯に入った袋を肩にして戻って来た。


「随分と取って来たな。注文した物以外のものも、いくつか入っているようだが」

「言われたことしかできないヤツは二流だ、って。師匠が言ったことですよ」

「それで、コレか」キジナさんは肩を竦めた。「保存処理が大変そうだ」

「私がやりますよ。どうせ夕食も私が作りますし、そのついでです」


 そう話すと、キリさんは夕食の準備を始めた。




 陽が沈んだ森の中、家には明かりが灯り3人での夕食が始まった。

 キジナさんはキリさんの冒険の話を聞き、キリさんはボクに解説を加えながら話をした。キジナさんはキリさんをからかい、キリさんはふくれて見せた。それはボクの知らないキリさんの表情だった。それが新鮮でもあり、でも、言い表せないモヤモヤもあり、それを流し込むように、水を飲んだ。


 夕食の後、キジナさんは話を切り出した。


「キリに話がある。テルのチューターのことだ」


 その声に、ボクとキリさんはキジナさんに顔を向けた。


「急になんです、師匠」

「テルのチューターだがな、私よりも適任がいる。そっちに回すことにした」


 キリさんがキジナさんを見て、それからボクを見た。


「テルには話をして、了承も取ってある」


 キリさんの眉が顰められる。


「師匠より適任? そんなヤツいないですよ」

「いる」

「タツミさん? それともフウカさん? でも二人とも、適任って感じではないし」

「ああ、違う」

「じゃあ誰ですか? この辺じゃ、チューターはその2人くらいですよね」

「もっと近くに、もっと適任がいる」

「他にテルを任せられるチューターなんていませんよ。降参です。教えて下さい」


 キジナさんは、

 真っ直ぐにキリさんを見た。


だよ」


 キジナさんの言葉にキリさんの時間が止まった。

 その時間を動かすように、キジナさんはもう一度言った。


「お前だよ、キリ。お前がテルのチューターをするんだ」


 その言葉にボクは驚いた。

 でもキリさんは、ボク以上に驚いていた。

 いや。驚いているというよりも。


 ――様子が変だ。


 キリさんの顔が、さっ、と血の気が引いて青白くなる。


「冗談キツいよ、師匠」

「冗談でこんなことは言わない」

「……やめてくれよ」


 キリさんは顔を俯かせた。

 なにかを抑えるように、右手で顔を覆った。

 キリさんは震えていた。

 そんな様子のキリさんに、師匠さんは構わず言葉をかける。


「お前には、知識も経験も申し分ない。その足で世界を歩き、その目で世界を見てきた。お前は誰よりも世界を知っている。私よりも、だ。それも情報としてではなく、生きた経験としてな。その経験こそが、今のテルに必要なものだ」

「無理だよ」

「なぜそうおもう?」

「知ってるだろう!」激昂と共に、拳が机を叩いた。


 短い沈黙。

 それからキジナさんは口を開いた。


「ああ、知っている。お前にはチューターをできない理由がある。だがなキリ、私が断言してやろう。それはお前の思い込みだ。お前には出来る。私が言うんだ。間違いない」


 音が聞こえそうなくらい、強く苦々しげに。キリさんは奥歯を噛んだ。


「師匠が」やってくれよ。


 キリさんの言葉を遮るように、キジナさんは言った。


「じゃあ、なぜここまで連れてきた」


 厳しい口調だった。


「誰かと一緒にいることを拒み、一人で旅をしていたお前が、なぜテルとは一緒に?」

「簡単な道案内だったからだ」

「違う」

「違わない」

「ではなぜ、死亡ロストの危険を冒してまで、テルを助けた?」


 キジナさんはキリさんの右腕を指さした。

 そこには、影に噛まれた傷跡がある。


「それと同じみ傷がテルにもあったな。至近距離での戦闘なんて、猟兵レンジャーにあるまじき行為じゃないか。レンジャーの心得は遠距離からの一撃必殺。しくじれば逃げる。それが鉄則だ。至近距離での戦いなんて、勝機があったとしてもやらない。ではなぜ、ベテランのキリが、至近距離での戦闘を?」


 キジナさんは言葉を止め、返答を促した。

 返事はなかった。それをみて、キジナさんはその言葉ナイフを冷たく刺した。


「テルがいたからだろう」

「違う」


 キリさんの言葉は力ない。

 キジナさんはそれを許さなかった。


「だったらなぜ、キリはそんな傷を負ってまで、テルをここに連れてきた。理由があるだろう? 言葉にはできないかもしれない。でもお前の中には理由があったはずだ。だったらそれに従え。最後までやり遂げろ。それだけの話だ」

「私といたらきっと、——テルは死ぬよ」

「逆だよ。お前といなければテルは死ぬ」

「私がいたから、テルは死にかけたんだ」

「逆だ。お前がいたから生き延びたんだ」

「私と一緒にいると」その言葉は弱く途切れて、消えた。


「――もう、やめてくれよ、師匠」


 キリさんの声は湿っていた。

 そんなキリさんの様子に、ボクは何をしたら良いか分からなかった。

 そんなボクにキジナさんは視線を投げかけてきた。

 それはきっとサインだ。

 今が説得のタイミング。

 キジナさんはそう言っている。

 ボクは小さく頷いた。

 本当は、何を言ったらいいかなんて分からなかった。

 だからずっと言いたかったことを言った。


「ボクは」


 その声に、キリさんが顔をあげる。


「キリさんに感謝しています」


 キリさんの目から溜まっていた涙が、一筋流れた。


「最悪だよ、師匠」


 流れた涙を否定するように、強く歯噛みをしてボクに背を向けた。


「それにテルも」


 腕で乱暴に目を拭うと、扉に向かって歩いて行った。

 キジナさんは、その背中に聞いた。


「どこへいく?」


 返事は、扉を閉めるけたたましい音だった。

 地面を蹴って走る音がして、小さくなって消えた。

 ボクはキジナさんを見た。

 キジナさんは「ふん」と溜め息を返した。


「頼みがある」

「なんですか?」

「少しだけ待って。それからあいつを連れ戻しに行ってくれないか」


 それから、苦笑を浮かべて。


「こう見えても、あいつは私の弟子なんだ。師匠としては心配でな」


 ボクは「分かりました」と答えた。

 それから、気になっている事を聞いた。


「キリさんはなんで、あんなにチューターを嫌がるんですか」

「ちょっと厄介な事情があってな。でも、それは私にではなくキリに直接聞いた方が良い。そうじゃないと、あいつのためにならないからな。そしてもちろん、テルのためにもな」

「キジナさんは本当に、キリさんのことを心配しているんですね」

「そういうことは私じゃなく、キリに言ってやってくれ」


 そういうと、キジナさんは複雑な想いをはき出すように、溜め息をついた。

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