第5話 AWへようこそ

 目印の樹につくと、ボクは倒れ込むように体を木の幹によりかかった。

 それから、樹に背もたれて後ろを振り返った。

 目を細めて、今や遠くなった沼地を見る。

 そこに怪物の姿はない。

 ただ、黒く静かな泥沼が広がっているだけだった。


 ──あの人は、大丈夫かな。


 そのことが一番気になった。

 ボクが来た道を見て、それから辺りを見回す。でもどこにも、あの人の姿はない。


 落ち着きを取り戻してきた心臓は、今度は不安の炎で焼かれ始める。その火を消すように呼吸を止めて、それからゆっくりと息をついた。その息に、頭の上から落ちてきた木の葉が乗って、くるりくるりと踊りながら落ちていった。


 何気なく樹木の見上げる。

 その視線とすれ違いざま。

 樹上から影が降ってきた。


 突然のことに思わず声を上げてしまう。

 影は音もなく着地すると、すっと立ち上がり、言った。


「そんなに可愛い声で鳴いてくれるなよ」


 凛とした顔立ちのその人は悪戯げに言った。ぴんと尖った両耳に、浅い褐色の肌、白銀の髪、切れ長の眼。細くシャープにまとまった容姿が中性的にまとまっている。

 革のスカウトジャケットに、シックな色合いのトラウザとレギンス。その服装からは猟兵のように見える。

 ジャケットの胸部が、少しだけ高くなっている。


「おっと、今どこ見てた?」

「ご、ごめんなさい」


その人は、「ふっ」と空気を鳴らした。

 どうやらからかわれたみたいだ。


「無事そうでなにより」


 そのよく通る声は、間違いなくボクを助けてくれた人のものだった。


「さっきはありがとうございました」

「困ったときは助け合い。こんな所に装備もなしでいるんだ、初心者だろ」

「はい。ログインしたばかりで」

「いきなりあんな化け物が出てきて、驚いただろ。でも、死ななくてよかった。開始直後にGAME OVERなんて、興ざめだからな」


そういうと、その人はボクに向かい合った。


「私はキリ。種族はダークエルフ。職業は猟兵レンジャー

 お前と同じプレイヤーだ。そっちは?」

「ボクはテルです。種族は……」


 後ろで揺れる尻尾と、頭に付いた耳とを触って確認する。


「ワンちゃん? みたいな何か」

「そうみたいだな。

 その耳と尻尾だ。人間ヒューマンではないし、エルフやドワーフとも違う。かと言って蜥蜴人ドラコン鳥人ファードほど人間離れした外見じゃない。なにかの間違いがなければ幼獣人シャルカだな」

「その幼獣人シャルカは、どんな特徴や能力があるんですか?」


「あー」キリさんは少し考えてから言った。


「カワイイ」それから「以上」


「それ以外は?」

「残念ながら無い。戦闘向きの種族ではないな。見た目は狼っぽいが、猟犬というよりは飼い犬だ。何かに特化しているわけじゃないから、1番にはなれない。あえて言うとしたら、仲間想い、ってことくらいだな」


 それは「盛大にハズレですね」そういって、ボクは小さく溜息をついた。ボクの鼻が「くぅ」と鳴る。


「まぁ、そんな落ち込むな。弱いってことはこの世界じゃデメリットじゃない。全てに慎重にならざるを得ないから、その分だけ観察眼や機転が利くようになりやすい。どの種族よりも、スリリングな冒険をできるし、一番楽しめる」


 キリさんはそういって口の端を上げた。その笑顔は、今の話がボクへの慰めでもなんでもなく、事実なのだと物語っていた。


 ──確かにそうだ。愚痴を言っても何も変わらない。

  欲しいものは手に入るとは限らない。

  でも、必要なものは必ず手に入る。

 ボクにはこれが一番良い種族なんだ。


 そう思うことにした。

 それよりもだ。

 ボクにはキリさんに聞いて見たことが沢山あった。


「あの怪物は、キリさんが倒したんですか?」

「あれな。倒してないぞ。というか、私にはアイツは倒せないんだ。アイツはテルじゃないと倒せない」

「ボクじゃないと、倒せない? って、どういうことですか?」

「アレはボスと呼ばれる特殊な敵だ。この世界ではキャラクターとボスは常にペアで現れる。テルがログインしたからアイツが生まれた。そしてボスは、ペアになったキャラクターの攻撃でしかダメージが通らない。アレには私の攻撃は通っていなかったから、ボスで間違いない。それに、あいつの近くにテルが居たから、テルと対になったボスだ。

 だから私には倒せない。テルが倒す以外にない」

「あんなヤツ、ボクに倒せるんですか?」


 ボクの言葉に、キリさんは優しく目を細めた。


「不安か?」

「はい」

「だろうな。私も最初はそうだった。誰だってそうだ」


キリさんは目を細めて、笑ってみせた。


「でもな、ゲームの中で主人公は、いつだって自分より大きなものと戦う。そういうものだろ。いつだって大切なのはたった2つ。挑戦する意志と、折れない心。そうだろう?」


 キリさんの言葉に、ボクは「はいっ!」を返した。


「でも、不安ってものは、言葉でどうにかならない時もある。と言うか、そっちの方が多いよな。誰だって、助けが必要な時はある。特に最初は。ここでテルを放っておくのも後味が悪いから、一人前になれるように少しだけ手伝ってやる。テルが良ければ、だけどな」

「もちろんです! ぜひお願いします」

「それは良かった。──でも。2つだけ約束してくれ。1つ目は、私がするのは道案内だけってこと。ココから少し歩いた所に冒険の基本知識を教えてくれる、案内人チューターがいる。私が手伝うのは、そこに連れて行くところまで、だ」

「チューター? ですか」

「簡単に言うと先生だな。私は師匠って呼んでいた。師匠ならイロハのイから丁寧に教えてくれる。そこまでテルを連れて行ってやる」

「ありがとうございます。助かります。2つ目は、なんですか?」

「そう。こっちの方が大切だ。良く聞いてくれ」


 ボクは「はい」と頷き聞いた。


「もしこの先、危なくなることがあったら、テルは自分のことだけを考えて、全力で逃げてくれ」


 その言葉の意味を、ボクはうまく理解できなかった。


「危なくなったら、全力で逃げればいいんですか?」

「そう。万が一、テルが危なくなった時に、私が助けてやれる保障はない。だからテルは、危険に対して常にアンテナを張っていてくれ。そして危ないと思ったらなりふり構わず全力で逃げて欲しい。できるか?」


 その言葉で、ボクにはその約束の意味がなんとなく分かった。

 言葉こそ選んでくれている、でも言ってしまえば、初心者なんて足手まとい以外の何物でもない。

 もし危険な敵が出てきたときには、キリさんの邪魔にならないように、その場からいなくならなきゃいけない。

 それがきっと「全力で逃げてくれ」の意味だ。


 ボクは「はい」と答えた。


「それじゃあ決まりだな」


 キリさんはそういって、右手を差し出した。


「よろしくな」


 ボクはその手をとった。


「よろしくお願いします」


 キリさんは口の端をあげ、目を細めて笑顔を作った。

 そして、歓迎するようにその言葉を口にした。



AWアナザーワールドへようこそ」

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