第2話 黒いスライム

「――ん?」

 

 ぼんやりとした状態から、だんだんと意識と視界がはっきりしてくる。

 視界がはっきりすると、目の前の光景に、ただただ疑問が湧いた。


「ここ、どこ?」


 ボクの目の前には、タールのように真っ黒な泥沼が広がっていた。

 所々で、朽ち果てた木の枝や植物のようなものが、まばらに頭を出している。

 そんな景色の中で、ボクは泥の中に両手を埋めて座っていた。


「あれ? なんで所にいるんだっけ?」


 思い出そうとしても、暗闇のなかを手探りするようで、思い出せなかった。

 うまくいかない自分を慰めるように、溜め息が出た。


 ──こうしていても仕方ないか。


 そう思いなおし、手始めに泥の中から右手を引き抜く。もう片方も引き抜いて両手についた泥を振り払った。それでも取りきれない泥を、全身を震わせて振り飛ばす。


 ふぅ、と息をついて、それから額に手を当てた。


 ──なんで、こんなところに?


 もう一度、思い出そうとする。

 昨日のことははっきりと思い出せるのに、今日のこととなると、途端に霧の中に入ってしまい、うまく思い出せない。でも、さっきよりは手応えがある気がする。


 ──あとちょっとで思い出せそう。なにかヒントがあれば


 そんな、もどかしさを感じながら、それでも記憶の手がかりを拾い集める。行ったり来たりを繰り返す。そんな作業と一緒に、尻尾が左右に揺れた。


「――っえ? しっぽ?」


 首を回して、後ろを確認する。

 そこには犬のような、ふさふさの尻尾があった。


 ──しっぽがあるなら、もしかして耳もある?


 恐る恐る、頭を両手で探ってみる。

 そこには、綺麗な三角の耳がピンと立っていた。


 ──しっぽに動物の耳! まるでゲームのキャラクターみたい!


 そう思った瞬間、暗闇に光がつくように、記憶がハッキリとしていった。


 ──そうだ。ゲームだ。ゲームのテストプレイしていたんだ!


 思い出したことに気持ちが良くなり、顎に手を当てて「ふむふむ」をした。でも、すぐに次の疑問が頭に浮かぶ。


 ──そうだとして、じゃあ、コレからどうしたらいいの?


 結局のところ、何をしたらいいのか、全然わからない。

 溜め息を吐くと「くぅぅ」という音が鼻から鳴った。

 子犬が鳴いているような音に悲しくなったけれども、すぐにゲームだから。と気を取り直し、これからどうしようか考え始めた。


 そんなボクの後ろで、こぷり、と粘り気のある音がした。

「ん?」と言いながら振り返る。


 一面の泥。それ以外になにもない。

 ──いや、違う。

 ひとつだけ、さっきとは違うところがあった。

 黒い泡だ。

 泥沼に泡がひとつ浮かんでいた。

 そこにもう一つ、新しい泡が湧く。


 こぷっ。


 音の正体は、この泡みたいだ。


 ──なんだろう? イベントなのかな?


 よく確かめるため、警戒しながら近づいてみる。

 泡は出続けているし、なんなら、少しずつ間隔が短くなっている気がする。手が届くくらい近づくと、お湯でも沸くかのように泡立ちが激しくなり、小さな噴水のように盛り上がっていった。


 始めは泥遊びで作る山くらいの大きさ。

 それが足首の高さより大きくなり。

 膝の高さを通り越し。

 腰の高さまで大きくなった。

 巨大な泥のゼリー。

 それに、ギョロリとした眼球がひとつ浮かんだ。


 ──黒い。スライム。なのかな?

   見た目はちょっと気味悪いけど。ふよふよしてて、結構カワイイかも。

 

 ここはゲームの世界だ。だったら、目の前のスライムは、きっと敵のはずだ。そう思って警戒していたが、向こうから襲ってくるような様子はなかった。ただただ、その場でふよふよしながら、膨らんだり縮んだりを繰り返しているだけだ。

 ボクは警戒をしながら、黒いスライムの周りを歩きながら、様子を観察した。ギョロリとした目が、こちらが動くのに合わせてついてくる。目を動かすくらいなら、前後左右に1つずつ、合計4つ目をつければいいのに、と思ってしまう。


 スライムの周りをぐるっと回ってみたが、そのあいだスライムは、目を動かし、ふよふよしているだけだった。


 ──もしかして、序盤のサポートキャラだったり?


 そう思い今度はゆっくり近づいてみる。

 スライムの震え方が変わった。なんだか怯えているみたいだ。それでも、逃げる様子はない。ひとつだけの眼が、こちらを伺うようにじっと見ている。


 ──なんだろう。子猫みたい。ちょっとカワイイかも。


 臆病な小動物に向かってそうするように、慎重に右手を差し出した。スライムには、逃げようとする様子はなかった。それを見て、ゆっくりと手をスライムに向けて近づけた。


 指先がスライムの体に触る。

 スライムはびっくりしたように、大きく震え、体を凹ませた。


 ──やりすぎた。


 そう思った。

 でもスライムは、逃げたりはしなかった。ヘコませた部分を元に戻すと、今度は逆に、こちらに向かって盛り上げてきた。

 その盛り上がった部分は細く、指のような形をしている。その指が小さく震えながら、こちらに向かって伸びてくる。


 警戒心と好奇心。


 その二つで揺れながら、それでも結局こわごわと手を伸ばしてくる。そんな風に見えた。ボクは少し離れたところに、手を置いて待った。

 スライムの細い指は、ボクの手の前で一瞬止まる。少し迷ったように、伸びたり縮んだりを繰り返す。

 ボクは、自分から手を伸ばしたい気持ちを抑えて、じっと待った。

 そんな我慢の甲斐あって、スライムの作った指は、ボクの手に向かって真っ直ぐ伸ばされた。


――その変化は、\

          \ 早かった――


 スライムの指先が鋭く尖り、まるで槍のように形状が変わった。そのまま。


 ボクの手を貫いた。

 音にならない叫び。

 反射的に手を引く。

 左手で傷口を庇う。

 その指の隙間から、

 赤い液体が流れて落ちてきた。

 

 不思議と痛みは無かった。代わりに傷口のあたりが火で炙られたように熱くなっている。手の熱さを感じながら、頭は反対に冷えていった。


 黒いスライムを見る。

 スライムは体の表面を細かく震えさせていた。

 ボクにはそれが、笑っているように見えた。


 そこでやっと、理解した。


 ──目の前の生き物は、敵だ。

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