聖女ラーラ
汐海有真(白木犀)
聖女ラーラ
ラーラに
ラーラが
小さな村に生まれ、年齢も家も近かったわたしたちが仲良くなったのは必然だったと思う。ラーラは白桃のような色合いの長髪を持っていて、どこか恐ろしいまでに綺麗な顔立ちをしていた。その恐ろしさをかき消すように、柔らかく優しく微笑う少女だった。
「私、
ラーラに公園でそう告げられたとき、わたしの頭は一瞬真っ白になった。
――
わたしは掠れた声で、ラーラに問うた。
「でも……
返ってきた答えは、想像とは百八十度異なるものだった。
「いえ。私は、是非とも
「どうして……?」
「だって、
わたしはきゅっと唇を引き結ぶ。ラーラの言うことはもっともだった。
…………でも。
「それは、そうだけれど……
ラーラは瞬きをする。青色の宝石みたいな瞳が、見えて隠れてを繰り返した。
「……確かに、危ういかもしれませんね」
「そうでしょう?」
「けれど、その危うさを受け入れてでも、
ラーラは真っ直ぐにわたしを見つめる。瞳の青色の奥には、確かな赤色の情熱が宿っていた。
こうなってしまうと、ラーラはわたしの言葉をもう聞いてはくれないだろう。長い付き合いだから、何となく理解していた。わたしはそっと息を吐いてから、頷いた。
「わかったわ……でも、一つだけ約束して」
「何でしょうか?」
「……絶対に、死なないで」
ラーラは目を見張ってから、いつものように柔らかく優しく微笑う。
「勿論です。死んでしまえば、救うことができなくなってしまいますから」
そう告げて、ラーラはわたしに贈り物を渡してくれた。レースのリボンに包まれた箱に入っていたのは、ガラスナイフだった。それを贈る意味をわたしは知っている。――縁を繋いでくれた糸を切る刃物は、
「…………嘘つき」
わたしはラーラの墓の前にいる。四月十二日。今日はラーラが十八歳の誕生日を迎えるはずの日だった。でもラーラは、一ヶ月前に亡くなってしまった。
村の花屋で購入した真っ白の花を、墓石の前にある花立にそっと入れる。墓石に水を掛けると、透明な血のようにさらさらと流れ落ちた。
既に新しい
「あの……」
背後から声がして、驚いて振り返った。
そこには薄茶色の髪をした青年が立っていた。誰であるかは、すぐにわかった。
――勇者だ。
ラーラと共に魔王討伐の旅に向かい、四人のパーティーの中でラーラだけを失って帰還した勇者だ……
わたしはできうる限り最も鋭い視線で、勇者を睨み付けた。
「何の用なの」
「……墓参りだよ。君は、もしかして……ラーラの、幼馴染の」
覚えていたのか、と少し驚く。
「そうだけれど……ねえ、あなたはどうして、ラーラを見殺しにしたの?」
「……見殺しになんか、していないよ」
「したでしょう。あなたたちがちゃんとラーラを守れば、ラーラは今も生きていたはずなのよ!」
わたしは深い怒りに駆られて、勇者の胸ぐらを掴んだ。勇者はとても悲しそうな顔をしていた。お前にそんな顔をする資格はないと、心中で罵倒する。
でも、言葉にはできなかった。
何だか自分が、酷く嫌な人間に感じられた。墓の前でこんな姿を見せて、ラーラはわたしに失望してしまっただろうか。そう考えて、涙が出そうになった。
「…………ごめん。僕も、ラーラに生きていてほしかった」
卑怯だと思った。
この人が救いようのない悪人だったとしたら、わたしは純粋な悪意を向けられることができたのに。
自室。ガラスナイフで、手首をなぞる。赤色の線ができて、溢れ出す血を見ると何だか安心した。それと同時に、綺麗な血をばら撒いて死んだであろうラーラのことを思い出して、苦しくなった。やめればいいのに、やめられない。苦しいけれど、いっときでいいから安堵したい。
呼び鈴が鳴って、来客が来たことを知る。この家に誰かが来ることは殆どないから驚いた。応急処置のように絆創膏を手首に貼って、長袖の羽織り物を身に纏って、玄関へと向かう。誰だろう……両親? 弟? それとも――ラーラ?
そんな訳がないと思考を一蹴する。この世界には、死人を蘇らせる方法は存在しない。魔法でも、祈りでも、できない。
扉を開けると、そこには真っ黒の帽子とローブに身を包んだ、紫色の髪の少女が立っている。
――勇者パーティーの、魔法使い。
わたしが睨むより先に、小柄な魔法使いはそっと唇を開いた。
「ユナさんで、合っていますか」
「……そうだけれど」
「ありがとうございます。貴女にお話があるので、上がってもいいですか」
「……何であなたなんかを、家に招かなきゃいけないの」
わたしの言葉に、魔法使いはすっと目を細める。
「貴女のお気持ちはわかりますが……これは、有益な話です」
「……有益?」
「ええ。ユナさんは、ラーラにもう一度会いたくはありませんか」
そう尋ねられ、わたしはひゅっと息を吸い込んだ。
会いたいか、会いたくないかと問われれば。
「…………上がって」
会いたいに、決まっている。
「時間逆行の魔法が存在することをご存知ですか」
対面で座る魔法使いに聞かれ、わたしはゆっくりと頷いた。
「知っては、いるけれど……でも、本当に限られた人間しか使えないんでしょう」
「私はその〝本当に限られた人間〟の一人です。それだけではなく、〝それ以外の人間〟を、〝本当に限られた人間〟の一部にすることもできます」
魔法使いはそう言って、テーブルの上にことりとペンダントを置いた。どこか毒々しい紫色の水晶が、部屋の明かりを反射して煌めいている。
「これを首から下げて、とある八節の呪文を唱える――そうすることで、貴女は時間を逆行することができます」
「……そう、なのね」
「ええ。
「使わせて」
わたしは魔法使いの言葉を遮るように、そう口にする。
「……後悔は、ありませんか」
「ないわ。もう一度やり直して、ラーラを救ってみせる。ラーラを
魔法使いは少しの間沈黙してから、ゆっくりと頷いた。
「――気に入ってくれましたか?」
わたしの前には、柔らかく優しく微笑っているラーラがいる。
わたしの太ももの上には開かれた箱と、その中に収められたガラスナイフがあった。
ラーラの瞳を見た。記憶の中で何度も目にした赤色の情熱がそこにある。どうすれば、と思った。ラーラを説得するための言葉なら途方もないくらい考えてきた。でも、いざラーラを目の前にすると、悟ってしまう。ラーラはわたしが何と言っても、
――この美しさを、壊してしまえば。
浮かんだ選択肢に、思わず目を見開いた。そうだ。
「……ユナ? どうかしましたか?」
わたしは呼吸を荒くしながら、ガラスナイフを手に取った。
さあ、ラーラの顔に傷を付けろ。
そうするだけで、
いい。
…………気付けばわたしは、堰を切ったように大声で泣いていた。
できない。
わたしは、ラーラを壊せない。
だって、ラーラは、わたしの――
衝動に任せるように、ガラスナイフで自分の手首を何度も傷付けた。ラーラはか細い悲鳴を上げて、今もなお皮膚を抉っている腕を止めるように、わたしの身体を抱きしめてくれる。温かかった。生きている人間の温もりだった、嬉しかった……!
――ラーラは、わたしの、
だからどうか、わたしだけのものでいてほしかった。
未来の
聖女ラーラ 汐海有真(白木犀) @tea_olive
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