アケローンの岸辺
兎ワンコ
田能見の話
「なぜ死体は巧妙に隠されると思う?」
「どういうことですか?」
僕が始めた思考を読み取ったように、田能見は机の上で右手を振った。
「違う違う。社会のことだよ」
伸ばしっぱなしの無精ひげをさすりながらつづけた。
「俺たちは連日、誰かが死んだというニュースを見るだろう。被害者の氏名、年齢、職業。どんな風に死んだか。どんな人柄だったか、なんて具合に。遺族や友人。はてまた職場の同僚なんかにインタビューし、生前に持っていたものや写真なんかが映される。それから、その死の直後の様子もインタビューやコメントなんかで報道されるよな」
だがね、と付け加えた。
「なぜか、死んだ様子のことは文字だけでしか報道されない。“頭を強く打った”。“血を流してる状態で発見された”、“路上に倒れているところ”
どうイメージしたらいい? 生前はどうたらこうたらと、タラタラ話すのにな。俺はね、ずっと疑問だったんだ。検索しても件の事故や事件の現場風景は出ても、死体は出てこない。奇妙だ。稀に綺麗に死に化粧を施された画像はある。でも、その瞬間はないんだ。ま、海外を経由したサイトで見れたことがあった。これも奇妙だ」
田能見はどこか浮かれた様子。僕は質問せず、彼が自ら言葉を紡ぐのを待った。
「この日本という国は意図的に死体を隠している。それはなぜか? 死んだ人間への配慮? 社会的モラル? 人権侵害? 肖像権の有無? わからない。小学生の俺はそんな疑問を抱えたまま年を重ねていったんだ。
そうして俺はカメラマンになった。事件や事故を専門に扱う部署の、ね。もちろん、カメラマンになったからって死体を撮るというのはなかなか難しいことだ。俺は警察の密着取材の傍ら、死体の写真を撮ろうと粘った。
しかし、どうしたもんか。現場には死体がほとんどない。稀に巡り合うことができてもデスクからは死体の写真は載せるな、というのが当たり前。だから俺は数少ない死体の写真をネットに載せた。
最初はバイクで事故死した青年の写真だった。深夜にスピードを出し過ぎて、ガードレールに激突して死んだ。友人と会った帰りだそうだ。首がグニャリと曲がって、右腕が明後日の方向に向いていた。顔はなるべく映らないように配慮はした。アップして数日後、予想通り消された。いたちごっことはわかっても俺は何度も繰り返した。
やがて、懇意にしてる警察官に呼び出されてこう言われた。『お前、撮った写真をネットにあげてるだろう。ふざけるな』って。あぁ、バレちまったか。そりゃあ、最近の警察はネットに対しても優秀になってきたもんな。こりゃあクビかなと思ったよ。けど違った。奴は次にこういった。
『お前みたいな記者は多い。そうやって刺激のネタと注目の種を集めようとする若いヤツは』と。それからメモ張を取り出して、URLを殴り書きし、俺によこした。
『そこに行くとお前の欲求のひとつやふたつが解決するかもしれない。だが、俺から聞いたというなよ』ともいわれた。
家に帰った俺はラップトップを開き、URLを入力してサイトを開いた。思えば、見たこともないURLだった。その時はわからなかったが、後になってわかる。ダークウェブだ。
そこは真っ暗なページで、真ん中に一行だけ文字の羅列。それはジャンル表記で、他にはなにもない。ジャンルはたしか、〈戦争〉、〈暴力〉〈邪淫〉、〈欺瞞〉〈死〉〈異端〉。そこで俺は〈死〉の項目をクリックした。
ページが開いた瞬間、画面いっぱいに埋め尽くされるサムネイル。それはどれもこれも、死体ばかりだった。
アフィリエイト・サイトで見かける海外の死体画像だけじゃない、驚くことに日本人の写真もあった。思えば、警察関係者の提供もあったに違いない。
同じ国の人間の死体があるというだけで、妙な親近感が沸いた。上下スゥエット姿の中年男の首つり死体。セーラー服の十代の女の轢死体。ど派手なワイシャツを着た若い男の水死体。そこには、俺の知らない日本社会があった。
ほとんどの写真は事故死や自然死。たまに自殺死なんて具合。それでも俺は大興奮だった。
まるで屋根裏から他人の秘密を覗き見る気分。罪悪感と背徳感とか、好奇心を混ぜたそんな感じ。背中がゾクゾクし、口の中がヨダレでいっぱいになるんだ。その日は時間も忘れてサイトを巡回したよ。
それから数日間、ずっとサイトを漁った。
そりゃあもう夢中だった。むしろ、憑りつかれていた、という表現が正しいと思う。仕事と必要最低限の家事をするとき以外、俺はラップトップの前で死体の画像探しに没頭した。
俺の興味はすでに死体にあった。写真という当初の目的など忘却していて、ただただ、マウスをクリックし、スクロールし、ブラウザに広がる画像を目に焼き付けるのに夢中だった。
欠損したもの、腐敗したもの、損壊させられたもの。あらゆるグロテスクなものを見たが、冷静であった。そのあたりで俺はどこかで壊れていたのかもしれない。いや、すでに壊れていたのかも。
やがて、ひとつの疑問が生まれた。これほどまでの死体画像をどうやって集めたのだろうか? 明らかに警察や医療関係の協力者からの提供があったとしても、それ以外はどうだ? 一般人に報酬を払って? それとも、クラウドサービスに保管されているものをクラッキングしたとか? わからない。だが、疑問は日に日に俺を欲求不満にさせた。
ある日、俺は世紀の大発見をした。日本人の死体を掲載しているいくつかのページの下部に、メッセージボタンが巧妙に隠されていたんだ。やったぜ! なんてガッツポーズもしたっけ。
クリックするとメッセージ画面に切り替わり、送信相手は固定されていた。相手のアドレスは見えないが、送信先のハンドルネームには『カロン』とあった。
少し悩んだが、俺は意を決してカロンとやらにコメントを送った。
『写真、すごいですね。どうやってこれだけ集めたんですか?』
メッセージを送ってすぐに返信がきた。
『もっと見たくないですか?』
たったそれだけ。また逡巡したのち、こう打った。
『もっとみたいです』
次の返信も早かった。返信にはメッセージはなく、代わりにURLだけであった。おそらく、そっちもダークウェブだろう。俺に迷いはなかった。すぐにクリックした。
カロンが送ってきたURLはあまり目にしたことのないオニオンブラウザで、先のサイトにくらべて複雑に暗号化されたサイトに飛ばされた。
どこにでもあるようなチャットサイトだった。掲示板形式というより、メッセージアプリのような作りに近い。カロンが如何に慎重な人間かわかった。
すぐにメッセージが届いた。
サイトに投稿された様な死体の画像だ。
だが、これまでと違うことがある。それが殺人死であるということだ。
生々しい血や、暴行の痕。さらには、使われた凶器なんかも映されていた。時代もバラバラ。近年であろう画質の良いものや、フィルムカメラ特有の写真なんかも。中には、スナッフビデオのスチール写真と思わしき荒々しい画像もあったっけ。
だが、そんなことは気にしなかった。大事なのは収められている内容だ。
刺殺、毒殺、射殺、撲殺、焼殺。あらゆる人間の憎悪や原罪が、JPGというファイルに映されていた。
まさに、未知の世界だ。
俺は奴から送られてくる写真に夢中になった。俺はなぜ死体が隠されるのかわかった気がする。生々しい死は、人の根幹にある負の部分を増大させてしまうんだ。
そうして過ごす中で、俺の中である能力が芽生えたのだ。
画像に映る死体を見ただけで、死に至るストーリーが手に取るようにわかるのだ。
それは、得難き審美眼である。
死体には美しい、汚いがある。例えるなら、絵画でいうとこの印象派・抽象派って感じ。一見すれば同じように見えるが、細部を見つめればその毛並みも違うんだ。
例えば、ギャング抗争で殺された死体なんかはあまり美的センスがない。彼らは警告のために残虐な殺害方法を行うが、あれはまるでなりたての芸術家がやりたがる派手さや奇をてらうもので、非常によろしくない。
一方で、動機の強い殺人や不慮の事故などの中には、美しい死がある。非常に良かったのは記憶に新しい『札幌市ガールズバー殺人事件』。二十代の女性が四十七歳の会社員の男に、マンションの一階で刺殺されたあの事件の現場写真は、非常に優れていた。
エントランスに飛び散る血の中に、彼女が必死に逃げ惑う痕跡を見れば、きちんとしたストーリーがあるのは見れば明白であった。
犯人の男が被害者の女性に襲いかかった場面の
そして、彼女だ。危害を加える者に抱く慄き、
あんな彼女がうつろな目でこちらを見ている。いや、訴えているんだ。
そこになにがあるか? 俺は理解できた。
『もっと、見たくないですか?』
俺はすぐに返信した。
『もちろん、もっと見たいです』
心臓が高鳴り始めた時、奴のメッセージが届いた。
『6/22 埼玉県岩槻区表通り1-1312 コーポいわつき 202号室 PM13:30~PM15:00』
日付は四日後であった。住所からして集合住宅だろう。カロンのメッセージが何を意味するのかわからない。けど、俺は期待と好奇心に満ち溢れていた。もしかしたら、カロンに会えるのかも。
当日。いろんな期待を含ませながら、俺はカロンに指示されたとおりにアパートに向かったんだ。そしたら、あったんだ。俺が望んだものが」
言い終えると田能見は満足そうな笑みを浮かべる。僕はわかりました、と頷いた。
「なるほど、田能見さんの事情はよくわかりました。では、今あなたにかけられている罪状を説明させていただきます。あなたは現在、不法侵入および殺人罪。死体損壊罪の三つの容疑が掛けられています。まずお聞きしたいのですが、被害者の方と面識はありますか?」
田能見はニィ、と歯を見せて笑った。その歯、ひどく黄ばんでいて、腐臭が漏れた。
アケローンの岸辺 兎ワンコ @usag_oneko
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