第5話

目の前には叔父と槍をこちらに向けた彼の私兵たち。ジョージは臆することなく彼らをにらみすえ、低く問うた。

「叔父上。それほど僕が邪魔ですか? 僕をこの塔に閉じこめ、殺そうと思うほど」

「ああ。邪魔だ」

「そんなことが許されるとおもうのですか。叔父上」

「さてな。それよりなぜ戻ってきた? 塔から出たのだろう。そのお前の後ろにぽっかり開いた出入り口を使って。それとも見つけたものの出られずにあきらめて逆戻りか?」

 ふてぶてしい笑いを見せた叔父に、自然に震えはじめた足を必死におさえ、胸を張ってジョージは言い返した。

「僕は街で、たくさんの人が困窮して物乞いをする姿をみた。それを助けようともせずに素通りする人々の姿も。政治が悪いせいで、死んだ人もたくさんいる。僕はこの国の王だ。だから戻ってきたんだ。あなたの言いなりにならない王になって、幸せにはみえなかった彼らを救うために!」

こらえきれないというように腰を折って男は大声で笑いはじめた。

「はっ! おめでたいな。兄上……お前の父親が言っていたのと同じバカバカしい理想論だ。それを聞いた私が感銘を受けるとでも思ったのか? 戻ったところでなにも出来ないで終わるのがオチだ」

「お世話になった人にも言われた。自分でもそうかもしれないと思った。でも、それ以上に戻らなきゃいけないと思ったんだ。僕は王だから。この国の民を幸せにするのは僕がやらなきゃいけないことで、僕にしか出来ないことだ」

 ジョージは叔父の言葉を受け流し、槍を向けた私兵に視線を移した。

「ばかばかしい理想論だと思う? 自分が出来ることならば、命をかけてでもなしたいと思うことが」

 しばらく逡巡する姿をみせてから、兵達はおもむろに少年に突きつけていた穂先をおろした。

「ええい! なにをやっておる! 誰がお前らを雇ってやっていると思っているのだ!」

 ヘンリーの声に男達はただ顔を見合わせた。

「こんな子供の言葉に惑わされおって! 殺せ! このガキを殺せ! 命令だ! 雇い主の言葉を聞かぬか!」

「彼らはあんたの私兵である以前に、この国の民で王の臣下なんだよ。ヘンリー」

 笑い含みの声が牢に響いた。ジョージの声でも、とまどった顔の兵達の声でも、もちろんヘンリーの声でもない。

「リチャード!」

 ヘンリーの背後に浮き出た姿にジョージの声が弾んだ。

「リチャード?」

 沈み込んだ記憶を思い起こすかのように、ヘンリーはその名を舌の上で転がし、恐怖と驚愕で味を付けた響きで再びその名を呼んだ。

「リチャード!? まさか…まさか。しかしその声……。な、な、な、な……なぜ! お前は死んだはずだ!」

「ああ。死んださ。あんたの罠にかかってあんたの目の前で殺された。だからここにいるに決まっているじゃないか。こっちを向いて確かめたらどうだい? この塔で斬首されたあんたの甥のなれの果てを」

 ヘンリーの顔は青ざめ、見開き瞬き一つしない目は瞳だけが揺れ動く。

リチャードはのどの奥を震わせ、低いささやき声でヘンリーを挑発した。

「どうした? こっちを向いて顔を見せてくれよ。親愛なる叔父上。あんたが命を奪うほど可愛がっていた甥っ子が十年ぶりにあんたの顔をしっかり拝みたいと言っているんだ」

小刻みに震え始めた男はそれでも後ろを見ようとはしない。

「どうしてもこっちを向けない? いまさら罪の意識か? だが、あんたが僕の顔を見たくなくても、僕はどうしてもあんたの顔が見たいんだ。叔父上」

 リチャードが暗く嗤った直後、リチャードの半透明の腕が、ヘンリーの腹からつきだした。

 それを見てジョージはぎょっとしたが、ヘンリーは自分の腹から生えた腕に凍り付いた。

「あ……」

 だれもなにもしゃべらないまま、ただリチャードがヘンリーの体をすり抜け、ヘンリーの方を振り向くのを見つめ続けた。

「やあ、叔父上。老けたな。どうだ? 十年ぶりの再会の感想は? 亡霊と化した甥の顔を見るのはどんな気分だ? どうだ? さあ、ヘンリー! ちゃんと俺の顔を見てみろ!」

 リチャードの表情こそ見ることは出来なかったが、ジョージはヘンリーの顔が歪み、苦悶に引きつり、泡を吹いて卒倒するのを目の当たりにした。

「叔父上!」

「気を失っているだけだ。残念ながらね」

 くすくすと笑ってリチャードはジョージの方を振り向いた。その様子は最初に会ったときの闊達さのままで、先ほどまでの暗い声の持ち主とは思えなかった。

「リチャード……兄上?」

「そう。お前は僕の姿を覚えていないだろうけど。うんと小さかったから」

 ふわりとジョージの前に立ったリチャードは、少年の頬をそっと撫でた。人の手と違う、しびれるような冷たさがジョージの頬に走る。

「大きくなったな。リトル・ジョージ」

「ごめんなさい。僕、なにも知らなかった」

「なぜ謝る? お前が知らないのは当然さ」

「……僕も憎い?」

 俯いたジョージにリチャードは首を振った。

「馬鹿をいうな。お前は僕のたった一人の兄弟だ。愛しこそすれ、憎むわけがない」

「叔父上はあなたを殺して、僕を王位につけた」

 少年の言わんことを察したのだろう。リチャードは穏やかな声で少年と視線を合わせた。

「ジョージ。叔父が僕を罠にはめたと知っても、僕はあらがわなかった。逃げたんだ。自分の責務から。だから、お前を恨んだりはしない」

「兄上……」

 リチャードは優しい微笑みを浮かべ、少年の手に己の手を重ね合わせた。

「お前は逃げなかった。自由になる道もあったのに、戻って叔父と闘った。王という重責に向き合った。お前のことを誇りに思う」

 手放しに誉められて、ジョージは顔を赤らめ、頭を振る。

「そんなにたいしたことじゃないよ。みんな辛い思いをしていて、自分が戻ってがんばればなんとかなる可能性があるなら、自分の出来る限りのことをしたいと思っただけだよ」

「たいしたことだよ。そうやって考えられる人間はそういない」

 リチャードは背を伸ばし、口の端を持ち上げて笑った。

「さ。こんなところにぐずぐずしてるものじゃない。お前はお前の場所に帰るんだ。やるべきことは山のようにあるだろう? じゃあな。キング・ジョージ。なりは小さくても、お前は立派な王だ。お前ならきっと出来ると信じてるよ」

 空気に身を溶かしかけたリチャードをジョージは止めた。

「兄上! 待って!」

「なんだ?」

「兄上。ありがとう。あなたがいなかったら、今の僕はいない」

 リチャードはそれになにも答えず、姿を消した。

 暖かな笑顔だけを残して。

「兄上……」

 ジョージは浮かんだ涙をてのひらでこすって、目の前で起こったことに呆然としている兵達に話しかけた。

「叔父上……ヘンリーをこの塔のどこか別の部屋に幽閉してください。後で公式の裁判にかけます。それと、だれか僕を王宮に送って下さい。早く帰って、早く仕事を始めないと。今の状態を立て直すのに、一刻だって惜しい」

「は……!はい!」

 突き動かされるように、兵達がまだ昏倒したままのヘンリーを両脇から引き立て、ジョージを塔の出口へと導いた。

 そびえ立つ威容を振り返り、ジョージは小さく唇を噛みしめた。

 リチャードは自分のことを立派な王だと言ってくれたが、分かることは少なく、出来ることも多くない。

こんな状況では、スティーブに会いに戻ることは出来ない。皆が笑顔で迎えてくれるような、胸を張って礼を言いに行けるような、王にならなくてはいけない。

『リトル・キング』

今でもそう呼ばれるのがふさわしい程度の力しかないけれど、いつか自分で自分を誇れるような大きな王になれればいい。

「僕、がんばるよ」

 ジョージは小声で呟いて、塔の中から見ているに違いない人に微笑んでみせた。

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リトル・キング【旧作】 オリーゼ @olizet

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