歩き続けよう、希望ある限り
アイス・アルジ
歩き続けよう、希望ある限り(記憶の碑)
アンドウ⋆カイルとロメオ² は、二人きりでこの謎の〝
探査ステーションは不慮の事故により、一気に墜落し始めた。ロメオ² は衝突までの残り時間を正確にカウントダウンし、二人は最も生き残る可能性が高いタイミングで、宇宙服のまま脱出した。重力が小さいので、衝突の瞬間はスローモーションのように見えたが、ショックは思ったより大きかった。数十メートル離れた場所で、ステーションの残骸が太陽光を反射している。空気がないため炎や音、煙や砂埃は立ち昇らなかった。今墜落したばかりではなく、ずっと我々を待っていたかのように見えた。
〈₂ カイル 大丈夫ですか?〉 カイルはロメオ² に支えられて身を起こした。 〈⋆ああ 大丈夫ようだ〉 ロメオ² の着地は完璧だった。重力と落下速度、射出速度と角度を正確に計算し、ショックを受け止めるように姿勢と筋力バネを調整した。体操競技だとすれば満点の着地だ。さすがにロボットだけのことはある。
カイルは落ち着きを取り戻し、対応を考えた。小惑星には避難できる場所もないし、近くには救助を要請する探査船もない。地球まで通信が届いたとしても、救助に来てもらうことは不可能だ。 〈⋆ロメオ² 酸素の残り時間は?〉 〈₂ 20時間 24、いえ 23分です 消費量の増減により±19分の誤差があります〉 〈⋆そうか〉 〈₂ カイル 心拍数が上がっています なるべく抑えてください〉 残り時間のことを考えるのはよそう。なるようにしかならないさ。
〈⋆(とりあえず)ステーションの残骸を調べよう 何か使えるものがあるかもしれない〉 〈₂ 了解〉 二人はゆっくり残骸に向かった。船体は飛び散ることなく、ほぼ一か所にかたまっている。周囲を探したが、残骸を掘り起こすことはできず、役に立ちそうなものは見つからなかった。たとえ水や食料があったとしても、慰めにしかならない。通信機は異常事態発生を自動発信したかもしれないが、その電波はまだ地球まで届いていない。たとえ届いたところで、家族や友人を悲しませるだけだ。カイルは胸に石が詰まったように感じた。 〈⋆どうやら酸素が尽きて ここで 死を迎える事になりそうだ〉 〈₂ 申し訳ありませんが 私には〝死〟の概念がありません〉 〈₂ 悲しまないでください まだ 19時間 44分もあります〉 〈⋆それは(皮肉な)グットニュースだ〉 しかし俺はもう死んだも同然じゃないか。
〈⋆ロメオ² 一緒にいてくれるか?〉 〈₂ もちろんです〉 二人は座り込んであたりを見回した。砂漠のように殺風景な風景だ。ロメオ² は砂を掘り、指先を差し込んでいる。 〈₂ カイル ここの砂には水分が含まれていますね 測定結果は 1%ほどですが もっと深くには かなりの水分があると思われます〉 〈₂ 調査対象に該当します 詳しく調べますか?〉 〈⋆好きにしてくれ〉 〈₂ 道具となりそうなものを見つけてきます〉 こんな時でもロボットは任務に忠実だ。ロメオ² はすぐに手ごろな鉄骨を持ってきて、地面を掘り返し始めた。カイルは、ぼうっと眺めながら地球のことを考えていた。いや、考えずにはいられなかった。家族に最後の言葉でも残そうか、指先で砂をなぞった。子供のころ、砂浜の砂に同じように文字を書いたことを思い出した。ここには文字を消し去る波も風もない、いつかきっと誰かが見つけてくれるだろう。しかし虚しさがこみ上げ、指を動かすことなく砂を見つめるだけだった。
時がたつと意外にも退屈してきた。人間とは移り気なものだ。死の恐怖にも慣れるものなのだと理解した。このまま死を待っていてもしかたない。立ち上がると、ロメオ² の近くまで来た。 〈⋆ロメオ² 穴掘りは中止だ〉 〈₂ 了解〉 〈⋆水分のデータは記録したかい?〉 〈₂ はい記録済みです〉 〈⋆なあロメオ² この小惑星を一周しないか〉 〈₂ 調査開始ですか?〉 〈⋆そうでは…… まあ そういうことだ〉 〈₂ これで私も任務が遂行できます〉 ロメオ² は
太陽の動きは速い、9時間ほどで小惑星を 1周する。我々が 1周する間に太陽は 2周する。これは好都合だ。ずっと昼の太陽に照らされていれば暑すぎるし、ずっと夜が続けば寒すぎる。南北方向に歩けば、夕刻と朝方の時間が長くなる。朝夕は最も歩きやすい時間帯だ。夕暮れの後、約5時間の日没前後(2時間の夕刻と3時間の白夜)、そして4時間の夜。朝を迎へ、その後、約5時間の日の出前後(2時間の朝方と3時間の白夜)、そして4時間の昼が続く。(小惑星の自転と、我々の歩行の影響で見かけ上、太陽は複雑な動き方をする。)
二人は夕日を左に浴びて北に歩き始めた。 〈⋆この残骸が 我々の〝目的地〟だ〉 〈₂ はい〉 〈⋆次の夕刻頃(二日後)には またこの残骸にたどり着けるだろう〉
しばらく夕暮れが続いた。景色は白と黒のコントラストが続く。やがて日が落ちた。夜の地上は黒一色だ。ライトは使わずに電池を節約する。まっすぐ歩くために、ロメオ² が星座を計測し方向を決めた。ロボットがいれば迷うことはない。
二人は並んで歩いた。 〈⋆ロメオ² 生まれは?〉 〈₂ USコスモロボテックCR1040工場サイトです〉 〈⋆俺はサンフランシスコの生まれ 日系だ〉 〈⋆いつから仕事に就いたんだ?〉 〈₂ 出庫されてから 今回が初めての任務です〉 〈⋆俺は 9回目の任務だ こんな遠くまで来たのは初めてだ〉 〈₂ そうですか それほど遠くはないと思いますが 私はもっと遠く土星系外までの任務も想定されています〉 ロボットと世間話をするのは、変なものだ。しばらく無言で歩いた。こうしていられるのも、あと数時間というのに、もう話すことがないのか。俺の一生で、話すべき事は、これだけしかないのか? それから、独り言のように話し続けた。宇宙探査訓練のこと、仲間のこと、友人のこと、家族のことなど、普段あまり話さないことまで話していた。ロメオ² はただ、じっと聞いていた。
黒い空の下、歩き続けた。頭上に木星がひときわ明るく輝く。地上は赤茶色にほのかに照らされ、少し歩きやすくなった。相変わらずロメオ² の後に続いて歩いている。 〈₂ カイル 足が遅くなったようです 歩幅が 6㎝程小さくなりました〉 ロメオ² は振り向くことなく問いかけた。〈₂ 少し休みますか?〉 〈⋆いや 早くたどり着きたいんだ 着いたら休むよ〉 〈₂ 了解〉 〈₂ あまり無理しないでください 無理すると酸素消費量が増えます〉
朝がきた、前方から突然に夜が明け始めた、まぶしい太陽に目がくらんだ。少し遅れてフェィスウィンドのシェードが調整された。 〈⋆ああ朝だ どこまで来た?〉 〈₂ 12分の5周を ちょうど過ぎた所です〉 ほぼ半周、順調だ。足止めされる谷や山もなく、しばらくはずっと平坦な地形が続いている。 〈₂ 特別に捜査対象となりそうなものは 有りませんね〉
日は高く昇り始めた。少し熱くなってきたので、クーラーを強めた。もうここまでくれば、電池を節約する必要はない。初めて目につくものが現れた。遠くに、背丈ほどの物体がある。 〈⋆何かあるぞ〉 指さした。 〈⋆まさか探査船? ロメオ² 望遠鏡で確認してくれ〉 〈₂ 了解〉 〈₂ 自然の岩のようですね 高1.4m 幅1.66m 周囲の砂より黒っぽいですが 種類は特定できません〉 〈⋆よし あの岩の近くまで 行ってみよう〉 〈₂ 了解〉
二人は近くまで来た。かなり大きな岩だ。ロメオ² は岩を調査し始めた。 〈₂ 玄武岩系の一種ですね 金属が含まれている可能性があります〉 どうしてこんな場所に一つだけ有るのか? 〈₂ 地面に不思議な跡があります〉 岩の下からずっと、巨大なミミズが這ったような、あるいはキャタピラ跡のような窪みが、はるか彼方まで続いている。岩が自分で、ズリズリと動いた跡か? 何者かが、念力で岩を動かしたのか? 謎だ。いずれにしても岩が動いたようにしか見えない。 〈⋆(もしかしたら)地球外生物が 岩を動かした痕跡かも知れない〉 こんな謎に出会うとは? しかし時間を無駄にはできない。 〈₂ 資料採集しますか?〉 〈⋆あまり時間をかけても仕方ない〉 これ以上の調査は、後世の研究者に任せるべきだろう。〈₂ 記録してくれ〉 〈⋆さあ 戻ろう〉 〈₂ 了解〉
二人は元の道へ戻った。 〈₂ 予定より 45分ほど遅れました〉 〈⋆わかっている〉 ずっと、先ほどの謎が頭を巡っている。するとロメオ² がめずらしく話しかけてきた。 〈₂ 先ほどの謎の岩ですが 推察して仮定を導きだしました〉
〈₂ この小惑星の砂には水分が含まれています 夜になると凍り 日が当たれば水となり気化します 日向と日陰で温度差があり 日向では氷が解け 日陰では凍ります〉 〈₂ 従って 岩の下では片側に水があり もう片側には氷がある状態になります 氷は水より体積が大きく 圧力差が生まれます〉 〈₂ 昼間になると 岩は圧力の低い水の方へ押されます こうして岩自体が僅かに動かされます〉 〈₂ 昼と夜が繰り返され 岩は毎日ほんの少しずつ 日向側へ動くことになります〉 〈₂ この現象が繰り返されて 長い時を経て 岩が自然に動いたと思われます〉 〈₂ そして あのような跡が残りました〉 〈₂ 要するに 偶然が重なった 非常にまれな自然現象だということです〉
〈⋆なるほど〉 そうかもしれない。ロボットは実に合理的だ。自分でも推察しなおしてみた。反論はできなかった。 〈⋆ロメオ² そうかもしれないな 仮説も記録しておいてくれ さあ歩こう〉 〈₂ 了解〉 さっき地球外生物の痕跡かも知れないと言ったことが、恥ずかしくなった。でもこんな岩があること自体、やっぱり謎だ、上空から見れば地上絵のように、なんらかの図形になっているかもしれないじゃないか。たまたま立ち寄った宇宙人が、
日はだいぶ傾いた。とにかく歩こう。もう残り時間は少ない。 〈⋆ロメオ² 家族へのメッセージを残してくれないか……〉 〈₂ 申し訳ありません 調査ロボットの私的利用は許可されていません〉 〈⋆そうだったな〉 〈⋆調査記録は残しているだろう? 俺たちの会話も〉 〈₂ 今回の調査に関連する会話であれば全て マニュアル通り記録しています カイルと踏破した小惑星の調査記録は 記録番号SSWJ2001です〉 〈⋆ありがとう それで十分……〉 (ロメオ² と私の最初で最後の記録だ。)
もうすぐ日暮れだ。少し前から、地平線上に見えていたステーションの残骸〝目的地〟はだいぶ大きくなってきた。 〈₂ もうすぐですよ〉 カイルは頷いたが、答えられなかった。先ほどから酸素残量系の目盛りが〝0〟を指している。目盛りが壊れていると思い込もうとしていたが、そうではないようだ。ずいぶん、息が荒くなってきた。 〈₂ 残りは 480mです〉
480mか、もう俺には永遠の距離だ。 〈⋆たどり着け……〉 カイルは座り込んだ。 〈⋆ロメオ² 一人で行ってくれ…… 俺はここから見ていることにするよ〉
〈₂ 了解しました〉 カイルは横たわると、残骸が見えるように顔を地面に預けた。
〈₂ カイル? 目的地に到着した後はどうしますか?〉 〈必用な指示を出してください 調査はいつでもOKです〉 〈⋆救助隊は いつの日かきっと……(来るだろう)その時まで……〉 〈⋆記録が……消滅しない……(ように)〉 〈⋆……守って……くれ……〉 〈₂ はい了解しました 私のエネルギーは少なくとも10年は持つ設計です〉 〈₂ 放射線でも劣化しないように守り 任務を遂行します〉 (意図してかどうか分からないが、酸素残量、俺がどうなるかという事には、何も言わず)彼は、ごく普通に〝目的地〟を目指し歩き始めた。
カイルはロメオ² の後姿を見送った。西に傾いた夕日が、その光景を照らしている。〝目的地〟(〝二人の記憶の碑〟と呼ぼう)に到着するようすを、この目で見届けたい。やがて、ロメオ² の姿は〝記憶の碑〟と重なった。そして、彼はふと足を止め、こちらを振り返ったように見えたが、その顔を確認する事はできなかった。ただ、その顔の部分を、夕日の光が白く煌めかせた。
ロメオ² はこの先、ずうっと一人で待ち続けなければならない。大丈夫だ、心配はいらないさ、彼は、孤独も、悲しみも、恐怖も、絶望も、感じることはないのだ。いや、やはり心配するべきかもしれない。その通りだ。孤独も、悲しみも、恐怖も、絶望も、喜びも、愛も、決して感じる事はないのだと。カイルは、ロメオ² と別れの挨拶をしなかったことを思い出した。最後の力で、彼の残した足跡に手を伸ばした。しかし、もう、その手が足跡に届くことはなかった。
―――自主企画に参加するため、習作を一部書き直しました。テーマに沿った内容になったと思います。
歩き続けよう、希望ある限り アイス・アルジ @icevarge
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます