第3話



 既に一匹と一人倒れていた。



 ほうドラゴンを一人で倒したか。

 責務を果たしたのか。

 それとも意地、八つ当たりか。最早定かでない。



 ――これがいい。



 魔物に変える薬。

 このダンジョンの魔物はすべて妾が外部の人間を変幻させたもの。死体に鞭打ってここで働かせている。いや第二の人生を歩ませているとも言えるだろうか。


 口に含ませるために仰向けにする。


 そして兜を脱がす。

 後ろは短く整えられている。

 前髪は長く、端麗な顔立ちに汗で引っかかっていて艶がある。勝手に容姿はそうでもないだろうと思っていたからついつい見つめる。

 

 胸が微かに上下になっているのが見えた。



 ――まだ息があるのか。



 騎士の目が見開かれた。

 途端騎士の手が剣にかかる。

 

 夜空の目。


 妾はあの円状の窓でしか見たことはない。小さな空。きっともっと壮大なのだろう。

 魅入ってしまった。


 

「やめよ」



 ついつい眺めてしまった妾はどうにか停止の魔法を放つ。最後の力か。

 金属特有の落ちる音がした。再び剣が騎士の手元から離れたらしい。安堵の息を漏らす。



「ふう……」


「君は、……ここのボスか?」



 息も絶え絶えに聞いてきた。

 妾の内心の揺らぎを悟られないように答える。



「違うな」


「そう、か」

 

「妾は観察していた」


「ああ。……視線があった、のは……それか」



 なんだ感じていたのか。能力かそういう魔法の類か。聞くのはやめた。



「どこかで、……見たことがある」



 騎士が絶え絶えに呟く。

 妾の色素の薄いウェーブのかかった髪に、天衣を巻いた腕。

 残念ながら翼は持ち合わせていないが、天使にでも見えたか。それとも頭上の妾が見えていたか。どちらにせよ妾は美しいからな。



「あの絵……」



 ……絵?

 聞こうにも再び目を瞑ってしまった。 

 介錯してもらうつもりか。



「……口を開けろ」


「回復薬、……でもなさそう、だな」



 一瞥して妾の向こう側。

 筒状の中の小さな夜空を眺めているようだ。


 ――ああ。

 この者は妾が持つ薬がなんであれ飲む気はなさそうだ。対して妾は生を諦めきれないのにな。

 己を嘲笑する。


  

 何よりも諦めの目。

 綺麗なものだ。

 心身ともに傷ついたまま逝くのも辛いだろう。



「そうだな。ほら見捨てたれた者どもを返り討ちにしてみないか?」


「その気も……もう、無いな」


「ドラゴンに使ってしまったか」



 もう返答はない。

 夜空から光が消えた。

 一番効果の速い経口は望めない。代わりに妾は注射器を打つことにした。そして薬も変えた。


 妾はこの騎士に見惚れたらしい。

 もう少しだけ騎士という演者を見てみたい。ここに住まう脇役ではなく。ここの駒でもない。回復薬だとしても飲まさなそうな騎士。


 きっと選択肢を設ければ、こいつはきっと妾の望むような道を選んでくれるのではないか。

 

 肩の鎧を脱がせ、腕に打つ。

 妾はこのまま側にいた。





 再び夜が来た。

 差し込む月明かりが妾と騎士の肌を優しく撫で包み込む。


 静かだ。いつも妾だけが存在しているように錯覚してはしゃぎたくなる。

 

 ぴくりと騎士の指が動く。

 


「う」

 


 既に体の傷は無くなっていた。それはそうだ。吸血鬼は再生力が高いというから。その分血は必要だと思う。



「ほれ。飲まぬか」



 まずは妾の血を飲ませようと試みる。妾は手首に病んだ娘の如く切り刻む。

 青白く絹の様な妾の腕を伝う赤。きっと彼には甘美で極上の味に見えていることだろう。

 しかし一切手を出してこない。



「死ぬぞ。薬は一度しか使えぬからな」



 顔を背けられる。明らかな拒否。

 矜持か。抵抗か。


 誰がどう見ても見捨てられたとわかる終幕だった。

 それでも彼らが再びここへ来てくれると信じているのだろうか。おめでたい。


 できれば妾の血を啜ってほしい。

 最初に飲んだモノの血しか受け付けない魔法の薬なのだから。

 

 しばらく待っても一向に飲みに来ない。その間にも血は腕を掌を伝い、指からこぼれ落ちていく。

 

 彼の喉仏が動く。

 生唾を飲み込んでいるのだろう。きっと空腹なはずだ。

 ふふ。本当は浴びるほど飲みたいだろうに。

 耐えているのか。我慢とは面白い。

 待っていると鈴が鳴る。来客――新たな演者が来た。

 


「仕方ない。ここに少し置いていこう」

 


 妾は落ちた血を宙に浮かせて集める。そして手頃なグラスへと注ぐ。大した量ではない。今はこれくらいで良いだろう。

 ただのコップではなく、グラスなのはこだわりだ。

 吸血鬼であればグラスに飲むイメージなのだ。 



「しっかり飲むのだぞ」



 子を躾けると言うのはこんな感じかな。騎士に念を押して妾は再び箒に乗る。



 侵入者――いや、演者たちはまだ出入り口のはず。

 騎士のパーティであることを期待したが違うらしい。


 屈強な面々だ。

 この集団はよく見る。

 ここを一つの修行場、成人の場として使用している地元民だ。ダンジョンを成人式として扱う狂った村はここだけだと信じたい。


 良いステージが見られず、落ち込む。こいつらを見ても大体やることは同じだからつまらない。

 

 再びドラゴンと騎士の場に戻る。

 灯りのない真っ暗な場所。

 戦闘の残り香が残っている。ドラゴンの死骸がそのままなのだから仕方ない。

 暗視の魔法を駆使して騎士を探す。

 残念ながら騎士はグラスに手をつけていない。

 本人を探せば離れたところ。

 片隅に片膝を立てて静かに眠っていた。よく考えたら、休息もしていなかったから疲労からだろう。

 


 ――ガチガチの装備で良く寝られるなあ。



 寝ることで吸血欲を抑えているつもりか。

 

 ドラゴンの死骸から漂う血潮でさえ最早良い食事にみえるだろう。だからこんなに遠くにいるのか。本当はもっと芳醇な匂いから離れたいのだろうな。

 扉の鍵は妾が魔法を使うか向こう側からでないと開錠できない仕組み。実は開ける際に少しだけ体力を奪う仕組みがある。

 

 そういうわけで今は体力もないだろうからこれも一人では無理だろう。

 

 休むと言うことはまだ生の気持ちはあると見ている。この扉を開けるために寝ていると考えるのが一番だろう。

 

 そのためにもこの血は飲んでほしいのだが、中々どうして口を付けない。飲まなかったとしても、飲まないタイプの吸血鬼も見てみたくはあるのが本音だ。

 


「どの選択肢を選ぶのだ?」

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