誰もいない記憶

わんし

誰もいない記憶

 深夜2時。


 薄暗い部屋の中で、YouTuberの翔太しょうたはカメラを前に微笑んだ。


 彼のチャンネルはホラー系配信をメインに扱っており、特に深夜の心霊スポット巡りが人気コンテンツだった。


「みんな、起きてるか? 今日の配信は、ガチでやばい場所だぞ」


 画面越しに視聴者へ語りかける。


 すでにチャット欄は


——— チャット ———

「待ってました!」

「怖すぎるwww」

「翔太、マジで気をつけろよ」

「もうドキドキが止まらない!」

「え、これ絶対危ないやつじゃんwww」

「ほんとにやばい予感しかしない…」

「なんか嫌な予感しかしないんだけど!」

「これ、終わった後にみんなで怖がるやつだ!」

「おいおい、こんな怖いの見て大丈夫か?」

「もう怖くて手が震えてきたww」

「翔太、見てるこっちがドキドキするよ!」

「絶対に生きて帰ってきてね!!」


 などのコメントで埋まっていた。


 今回の舞台は、とあるマンションの一室だった。都内某所にあるこのマンションは、過去に一家心中があったという噂が絶えない。事故物件として有名になり、しばらくは誰も住まなかったが、最近になって家賃が異常に安くなり、新たな住人が入ったらしい。


 しかし、その住人も数ヶ月で突然姿を消したという。


 心霊配信にはもってこいのシチュエーションだ。


 翔太は


「YouTubeのためなら幽霊にも会いに行く」


 と豪語する男だった。


 カメラを片手に、彼は静かにマンションの扉を開いた。


……ギィ……


 錆びた蝶番が不気味な音を立てる。部屋の中は、思ったよりも普通だった。古びたソファ、埃をかぶったテーブル、窓際にはカーテンがかすかに揺れている。


「うわ、思ったより何もないな……ガチの心霊スポットってもっと荒れてるもんだろ?」


 翔太は軽く笑いながら部屋を映す。しかし、視聴者のコメントが急に変わった。


——— チャット ———

「おい、後ろ」


「今、誰かいたよな?」


「マジでやばいって、振り向け!」

「CG乙」

「絶対今、影動いてたぞ…」

「ちょっと待って、あれ誰だよ!」

「翔太!見てる場合じゃない!!」

「今の影、絶対におかしい!」

「ほんとにCGでしょ?怖すぎ!」

「振り向けよ!!今すぐ!」

「絶対に気のせいじゃないって!」

「だ、だれ…?」

「もう無理、俺心臓が…」


 翔太は一瞬、背筋が冷たくなる。慌ててカメラを持ち直し、ゆっくりと後ろを振り向いた。


——誰もいない。


 窓は閉まっている。風が吹き込むはずもない。翔太は苦笑しながら画面を確認した。


「お前ら、またビビらせようとしてるだろ? 俺は引っかからないぞ」


 しかし、視聴者たちはなおも騒ぎ続けている。


——— チャット ———

「違う、アーカイブ見ろ!」


「本当にいたって!」

「マジで見返してみて!あれ絶対おかしい!」

「いや、あれは明らかに人影だろ!?」

「マジで振り返って確認してほしい…!」

「もう一回見たら怖すぎて心臓が止まりそう」

「本当に何かいたの?怖すぎる」

「絶対に見逃してるよ、あれ」

「翔太、後で確認しても絶対に分かるよ!」

「まさかのリアルだったって…」

「これは心霊ものかな?」


 翔太はその場では気にしないようにして配信を続けたが、背中に残る違和感を振り払うことはできなかった。


 そして、その夜——彼はアーカイブを見返すことになる。


 翔太は自宅のデスクに座り、パソコンの画面を睨みつけた。


 配信のアーカイブを再生し、問題の瞬間へと巻き戻す。視聴者が騒いでいた時間帯に合わせ、スロー再生しながら慎重に画面を確認した。


——そこに"何か"が映っていた。


 最初は気づかなかった。部屋の暗がりに紛れるようにして、窓際に立つ"人影"。細身の体、ぼんやりとした輪郭、そして異様に白い顔。まるでピントが合っていない写真のように、その存在は輪郭が曖昧だった。


「……ガチかよ」


 喉が渇くのを感じながら、翔太は再び巻き戻す。今度はコマ送りにして確認する。


 そして、ある異常に気がついた。


 最初のフレームでは、"それ"は窓際にいた。
次のフレームでは、少しだけ翔太の方へ近づいていた。
さらに次のフレームでは、もう一歩——。


「いや、嘘だろ……?」


 翔太は画面を凝視した。確かに、その影は"少しずつ"距離を縮めている。まるでカメラが気づかないうちに忍び寄ってきているように。


——そして、最後のフレーム。


 翔太の背後に、真っ白な顔がぴたりと張り付いていた。


 翔太は慌ててイヤホンを外し、深く息を吸った。全身の毛穴が開くような感覚。額から汗が流れ落ちる。


「……こんなの、ただのノイズだろ……」


 そう呟いてみたものの、指は震えていた。


 しかし、冷静にならなければいけない。配信者として、こういうのを"ネタ"にしてこそ価値がある。翔太は深呼吸し、手を伸ばしてアーカイブを削除しようとした。


——その時だった。


「——いやだ」


 どこからともなく、かすれた声が聞こえた。


「……え?」


 耳の錯覚かと思い、周囲を見渡す。しかし、部屋には自分しかいない。翔太は唾を飲み込みながら、再びパソコンの画面を見た。


——次の瞬間。


 画面の中の"翔太"が、こちらを見つめていた。

ぞくりと背筋が凍る。動画の中の自分は、明らかにカメラ目線だった。そんな動きをした覚えはない。


「……なんだよ、これ……」


 翔太はすぐに動画を削除した。しかし、それで終わりではなかった。


 数時間後——視聴者から次々とメッセージが届いた。


「翔太、お前動画消してないだろ?」
「アーカイブ、まだ見れるぞ」
「しかも、ちょっと変になってる……」


 不安に駆られながら、翔太は急いで自分のチャンネルを確認した。


——そこには、削除したはずの動画が再投稿されていた。



 翔太は震える手でマウスを動かし、削除したはずの動画を再生した。


 映像は確かに自分が配信したものと同じはずだった。しかし、よく見ると微妙に違う。


 最初のシーン——翔太がマンションの部屋に入る場面。


 本来なら軽口を叩きながら入室していたはずなのに、動画の中の翔太は無言だった。まるで別人のように、何の感情もない顔をしている。


「……編集された?」


 しかし、そんなはずはない。翔太は配信後すぐにアーカイブを確認し、そのまま削除したのだから。誰かが動画を保存して、勝手に編集し、再投稿した?


あり得ない話ではないが、次のシーンを見た瞬間、そんな推測は吹き飛んだ。


——映像の"翔太"が、視聴者のコメントに反応していない。


 本来の配信では「お前の後ろに誰かいる」というコメントを見て振り向いていた。しかし、動画の中の翔太はずっと前を見たまま動かない。


 そして、異常はそれだけではなかった。


 動画が進むにつれ、"翔太"の顔つきが変わっていった。


——目がわずかに大きくなる。



——肌が不自然に白くなる。



——口元の形が、どこか違うものに歪んでいく。


「……誰だ、これ……」


 映像に映っているのは翔太のはずなのに、次第に翔太ではない何かへと変化していた。


——そして、動画のラスト。


 翔太が部屋を出る直前、本来の配信にはなかった映像が追加されていた。


 カメラが勝手に動き、窓の方を映し出す。


——そこに、いた。


 真っ白な顔の存在が、じっと翔太を見つめていた。


——その顔が、ゆっくりと口を開いた。


「——お前の番だ」


 翔太は悲鳴を上げ、急いで動画を閉じた。

心臓が激しく鼓動を打つ。息がうまく吸えない。


——バグだ。悪質なイタズラだ。何かの間違いだ。


 そう思い込みたかった。


 しかし、翔太の身にはすでに異変が起き始めていた。


 ふと、パソコンのモニターに映る自分の顔が目に入る。


——違和感。


 翔太はそっと画面に顔を近づけた。


——黒目が、わずかに大きくなっている。


 翔太は慌ててモニターから顔を背けた。


「……気のせいだ」


 そう呟くが、胸の奥に広がる不安は拭えない。モニターを見つめ直すのが怖かった。


 だが、確かめずにはいられない。震える指でスマホのインカメラを起動し、自分の顔を映す。


——そこに映っていたのは、自分ではなかった。


 黒目が異様に大きく広がり、肌は青白く、唇が妙に引きつっている。


「違う、違う……!」


 スマホを放り投げ、鏡の前に駆け寄る。しかし、鏡に映った"自分"は、微笑んでいた。


「お前の番だ」


 耳元で囁くような声が響いた。翔太は悲鳴を上げ、後ずさる。


——ダメだ、これはヤバい。本当にヤバい。


 パニックになりながら、翔太はパソコンに飛びついた。


 チャンネルを消す。


 SNSを削除する。


 それしかない。それさえすれば、何かが変わるかもしれない。


 アカウントの削除画面を開き、確認ボタンを押そうとした瞬間——


「アカウントはすでに削除されています」


 画面には、あり得ないメッセージが表示されていた。


「そんなはず……!」


 混乱する翔太の目の前で、次々と変化が起こる。


 YouTubeチャンネルの動画がすべて消える。



 SNSのアカウントが"存在しないユーザー"に変わる。


 まるで、"翔太"という存在そのものが消えていくかのように。


「誰か!助けて……!」


 友人に電話をかける。


 しかし、


『この番号は現在使われておりません』


 というアナウンスが流れるだけだった。


 次第に、記憶が曖昧になっていく。


 自分は誰なのか。何をしていたのか。


——いや、違う。


 誰も、自分のことを知らなくなっていく。


 翌日、翔太のチャンネルは完全に消滅していた。


 SNSの履歴も、友人たちの記憶も、すべてのデータがなかったことになっていた。


そして、その夜——


 YouTubeに新しいチャンネルが開設された。


「ホラー実況者翔太の新チャンネル開設!」


 そこには翔太とまったく同じ声の男が、楽しげにホラー配信を始める姿が映っていた。


 しかし、彼の顔はどこか違っていた。


 黒目が、ほんの少しだけ、大きかった。

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誰もいない記憶 わんし @wansi

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