第14話 私は初物トウモロコシが食べたい(5)

 ショッピングを楽しみ、カフェと喫茶店が融合した評判通りの素敵空間でケーキや珈琲を堪能した後。


 今いる南側から北口へと移動する。


「うぅ~……やっぱりテイクアウトもしたらよかったかな……」


 SNSのアカウントへの写真の投稿を終えた菜花ちゃんが後悔の言葉を吐き出す。


「どれも美味しかったもんね」

「あのニューヨークチーズタルトは反則だよ!!」


 先にマドレーヌをいただいた菜花ちゃんは、大事に取って置いたそのタルトを見て目を輝かせた。


 子供みたいなはしゃぎようで、余りのかわいさに隣の席で紅茶を飲んでいたご婦人方も孫を見守るような温かな眼差しを向けていた。


「ね、いっちゃん……また行こうね? 窓際に座れたけど次も付き合ってくれる?」


「もちろん! 私もまた行きたいし何度でも行こうね」


 無邪気な菜花ちゃんをお代わりもしたいし、モカチーズとアボカドのタルトとの注文に悩んだ、松の実とカボチャのタルトも気になっている。


「やった! 約束ね、いっちゃん!!」


「うん、約束。――それにしても、菜花ちゃんが選ぶお店はやっぱり外れがないね。私も少しは菜花ちゃんを見習わないと」


 今さらだけど、店探しも大変だろうし任せてばかりも悪い気がする。


「私ね、いっちゃんの前向きな姿勢も好きだし挑戦は応援したい。でも……野菜ばっかりになりそうで不安」


「私の実家は青果店だよ? 青果店ってのはね、野菜以外にも果物だって取り扱っているんだからね」


「そうだけど……私、お気に入りを開拓することも好きだから。というか、趣味に近いかも!!」


「そっか、それじゃ私が探したら菜花ちゃんの趣味を奪っちゃうことになるか」


「そうそう、だからこれからも私に任せてくれていいから、ね!」


 やけに押しの強い菜花ちゃんと共に、両側に開いた自動ドアを越え食品スーパーマーケットへ入店する。


(さてさて、どんな売場作りをしているのかな――)


 食品スーパーマーケットでは週を追うごとに季節の商品が陳列される。

 各店の青果担当者は一目で特売商品が分かりやすいように陳列するだけでなく、売場作りで季節感を演出してくれていたりする。


 色彩は視覚を楽しませ、匂いは食欲を誘い、買い物客の心に潤いをもたらしてくれる。


 それら陳列方法や見せ方、どんな野菜や果実を売り込んでいるのか。

 見てくることが、采萌ともえさんから課せられた今日の私の仕事でもある。

 趣味も兼ねて、私は期待感を胸に二階売場に続くエスカレーターへ乗り込んだ。


「わぁ、いっちゃんの匂いでいっぱいだね」


「菜花ちゃんはいつも言うね」


「え~、だってイチゴの匂いがしたら幸せな気持ちになるでしょ?」


 冬や春の季節は店頭にイチゴが陳列されているため、店内へ入るとイチゴの香りが漂ってくる。


「ほら、菜花ちゃん危ないから前向いて」


 はーい、と私より僅かばかり背の高くなった菜花ちゃんが素直に前へ向き直す。


 二階到着後、お手洗いに行きたいと言った菜花ちゃんを待つ間、私はサービスカウンター近くにある掲示板やリーフレットボックスを覗く。


(――なるほどねぇ、きのこレシピ募集企画か)


 これはいい機会だ。

 リーフレット用紙を一枚だけいただき、菜花ちゃんを出迎える。


 すると頭上から響く『キーン』とハウリング音が響いた。


『い、いらっしゃいませ。青果コーナーからお客様へご案内申し上げます――』


 何かメモを見ながら読み上げたような、たどたどしい女性の声が流れる。


『本日、おススメの商品はメロン! 食後のデザートにメロンはいかがでしょうか――』


 時期的にメロンは出始めたばかりで、おススメするには少し早いんじゃないのかな。


『メロン、メロンです! 店内で作るカットフルーツで使用する国産メロンが、なんと一玉5百円でお買い得です! お子様も大好きなメロンはいかがでしょうか――』


 即食のカットフルーツで使用するメロンなら食味も良さそうだ。


「ママ、メロンだって!」

「メロンだってねー、ちょっと覗いてみようねー?」


「うんっ!」と元気に返事した幼稚園児くらいの女の子と母親の後に続き、私と菜花ちゃんも青果売場へと向かって移動する。


『ただ今、ご試食もご用意いたしましたのでこの機会にいかがでしょうか――』


 放送につられた母娘と私たちが果物売場に行くと、二十歳に満たないくらいのお姉さんが、マイクとメモをエプロンのポケットに収納して母娘に試食を勧めだした。


「おいしい~!」

「美味しいねー?」

「ママ、メロン買って!」

「それならお菓子はなしになるけど、さっちゃんはメロンの方がいい?」

「…………」


 さっちゃんはピタッと固まり――満面の笑みを店員さんへ向けた。


「お姉さん! ごちそうさまでしたっ」


 母娘が去って行く横で『しんにゅう』と書かれたネームプレートと若葉バッジを胸に付ける店員さんが、切ない表情で売場に陳列された大量のメロンへ視線を落とす。


「ははは、ここまで下げたのにどうして売れないのかな。こんなに安いのに。ははは、どうしよう、チーフに怒られる……そもそも発注単位がややこしいのがいけないのよ。新入社員に分かるわけないよ! おかげでアンデス山脈作っちゃったよ!!」


 んー……アンデス山脈ときたかぁ。

 妙なドヤ顔を作る店員さんを盗み見ていると。


「いっちゃん、どうするの?」

「さっきケーキ食べたばかりだからなぁ」

「? それって何か関係あるの?」


 まるで私が変なことを言ったと言わんばかりに首を傾げる菜花ちゃん。

 そこにチャンスと察したのか「ご試食いかがですか!?」と、カットされたメロンの乗ったお皿を店員さんがサッと差し出した。


「いただきます」菜花ちゃんは、爪楊枝を刺したひと口大のメロンをパクッとする。


「――ん! 美味しいよ、いっちゃん! 私、買って帰ろうかな」


「それなら選ぼうか?」


「うんっ、お願い! すぐ食べれる物がいいな」


「りょーかい。店員のお姉さん、すみません。いくつか手に触って見てもいいですか?」


「もちろんです!! ご試食はいかがですか!?」


「ありがとうございます。でも夕飯前なので。ちなみに、お姉さんはこのメロン食べましたか?」


「あたしは朝も昼もついさっきも食べましたけど、茨城も熊本もどっちも甘くて美味しかったですよ!」


 店員さんは何度も首を縦に頷き、それから「この子やっぱりメロンにするみたいで」と戻ってきた母娘へ輝く笑顔を向けた。


 私は店員さんへ会釈してから吟味に移る。


 菜花ちゃんのリクエストに応えるため熟した物を選びたいが、メロンの底、おしり部分を手の平で押して確かめるのは売り物を痛めてしまう。


 そうなるとさらなる値引きや廃棄の可能性が出てくる。


 在庫を抱える店員さんや育ての親である生産者にも悪いし、何よりもメロンが可哀想だから細心の注意を払う。


 なるべく目視で――と。うん。

 この子たちが食べ頃かな。あと一個は追熟するようで選んでっと。


「三つ? いっちゃんも買うの? 食べたいなら私の家で一緒に食べない?」


「采萌さんにも買って帰ろうかなって」


 今年はまだ『大船栃尾青果市場』でメロンを扱っていないからお土産にしてもいいかと思ったのだ。


「そういうことか。残念。でも、選んでくれてありがとっ!」


「いえいえ。メロンも野菜みたいなものだからね、これくらいなら」


「んー……こんなに甘くて美味しいんだから、私はどう考えても果物だと思う」


「まあ、品種改良される前の昔はここまで甘くなかったみたいだからね」


「それもそっか。この子は甘いといいな。ううん、いっちゃんが私のために選んでくれたんだもん。甘いに決まってるよね」


「ふふ~、もちろんっ! 全体的に黄色みが掛かって網目模様のしっかりした物だからね! 食べ頃だよ、甘いよってメロンのアピールを逃がさず選んだつもりだよ!」


「そういうことじゃないんだけどな……」


 菜花ちゃんが口をへの字にさせたと重なるタイミングで「お姉ちゃんって詳しいの?」と、さっちゃんと呼ばれていた子供が私の小指を握った。


 お母さんは……と顔を向けたら、店員さんと一緒にメロンを選んでいる最中だった。


「メロンちゃんについてかなぁ?」


 ニッと歯を見せ笑いながら、さっちゃんの目線の高さに合わせて屈む。


「うんっ! どのメロンちゃんが甘いかなぁ?」


 んーとね、私がそう答えたところで、さっちゃんのお母さんが振り返った。


「! あら、やだ、この子ったら、ごめんなさい!」


「いえ。メロンはお菓子に勝てたんですね」


「え? あ……ふふふ、そうなの。美味しかったみたいでね、家にいるお姉ちゃんにも食べてもらいたいって、この子が」


「さっちゃんは、お姉ちゃん思いの優しい子だねー?」


「うんっ! だからね、どれがいいかなー?」


 笑住も昔は「お姉ちゃん、これ美味しいよ!」って蜜柑くれたなぁ。

 そんな笑住に似てお姉ちゃん思いのさっちゃんが私を頼ってくれることは嬉しいけど、今も一生懸命選んでくれている店員さんを差し置いて…………目が合った。


「お、お詳しいんですか?」


「私のいっちゃんは野菜オタクなんです」


 何故か菜花ちゃんが店員さんへ私を紹介する。


「オタクを見込んでお願いしても……?」


 匂いに酔ったのか眠気がしてこの場から離れたい気もするけど、まあ、選ぶくらいなら大した時間も必要ないか。


 それよりも――


「――仕事を奪われて店員さんは悔しくないんですか?」


 私だったら嫌。

 お客様へ勧めている横からお父さんが割り込んできた時とか凄く腹が立つもん。


「ふ……聞いて下さい――」


 店員さんは虚空を見つめるように斜め前方へ向いて何か始める。


「今月、新卒で入社したばかりなんですが、お客様からしたらそんなの関係なしでして、あたしって野菜のプロに見えるみたいで――」


 違うの? 青果担当者だから当然に野菜が好きなんじゃないの?


「さも知っているのが当然のようにアボカドを選んでくれって、まるで『ちょっとそこのリモコン取って』みたいな気軽な感覚で頼まれるんですよ――」


 店員さんが先ほど漏らしていたアンデス山脈の発言。

 そして流れから察するに店員さんは特別野菜に詳しいわけではないみたいだ。


「後日、あたしが選んだアボカドを持って『中身腐ってたわよ』ってクレームを受けるのが怖いんです。あたしに中身を覗く透視能力とかあると思います? ははは――」


 プロでもアボカドの良し悪しを見分けるのは至難の業だから、それを素人に正確に求めるのは酷な話なのかもしれない。


「あんなに好きだったのに、どうしてこんなことに……アボカドが今では食べられない! 夢にまでアボカドが出てくる始末で……あたしは今ではアボカドが怖い!!」


 んー、愛だなぁ。

 店員さんのアボカド愛がひしひしと伝わってきたよ。


 店員さんの換叫あいに、さっちゃんのお母さんは心当たりでもあるのか気まずそうに目を逸らした。


 様子を思い出すに、メロンを選んで欲しいと気軽に頼んでいたのかもしれない。


「いっちゃんは……いっちゃんには視えてる?」


「え? 絶対ではないけど、ここ三年は問題なかったかな」


「私も野菜オタクになれば、いっちゃんのこと透視できるようになる?」


 修行すればあるいは?


「オ……オタクのお姉ちゃん、おねがーい!」


 さっちゃんが明るく言った。幼いのに空気まで読める子みたいだ。


「野菜オタクのお姉さん、私からもお願いしても……? あ、でも、こういうのがいけないのよね……」


「すみません! ついグチっちゃいましたけど、お客様は全然気にせず聞いてくれていいんです!」


 そうはいっても……そんな空気が店内で流れるBGMを際立たせた。


 眠気に襲われている私からすると、この静けさはちょっと危険。

 いや、そんなことよりもメロンを前にして、青果売場に私がいて、それはいけない。認められない。


 私の野菜愛とプライドが許さない。

 青果売場はスーパーの顔だ。活気がないといけない。

 アボカド愛を見失いかけている店員さんのためにも。


 私はこの空気と眠気を払拭するのに、さっちゃんを見習って明るく胸を張る。


「分かりました! 私がメロンを選ばせてもらいます!!」


「あ、ありがとうございます!!」


 パァッと顔を上げる店員さん、そしてさっちゃん母娘。


「ちなみアンデスメロンとアンデス山脈はまるで関係ないですからね? 『安心です』から生まれたのがアンデスメロンです」


「え、そうなんですか!?」


 病害に強く、糖度14度と甘く、安定して育てられる。それらから『生産者』『販売者』『消費者』の全員が、安心できるという意味で名付けられている。


 説明に「ほへぇ」と呑気に頷く店員さんの両肩を私はガシッと掴む。


「店員さんにはメロンの知識を叩き込みますねっ!」


「はいぃっ!?」


「愛を取り戻しましょう!」


「いきなり何恥しいこと言ってんですか!??」


「私はさ、恐いからこそ知ることって大切だと思うんです」


「今です、あたし今恐怖してます!! は、離して下さい! ていうか、そんなに眠そうに目をトロっと可愛くさせて何言って……あれ、ぜんぜん手が外れない!?!」


 イチゴの匂いが充満する場所に留まっているせいか、私の眠気はピークだ。


「知って実績を積む、それが自信に繋がります。だから――」


「あの、あたしそこまでは頼んでいなくて。あと一時間で定時だし、それで帰りたいな……って!? 今度はめっちゃいい笑顔!??」


 無責任に放置して帰る? 店員さんの言葉が私に笑顔の仮面を被らせた。


「――このアンデスメロンを完売させましょうっ!」


 燃え滾る私は店員さんはもちろんのこと、さっちゃん母娘、菜花ちゃんをも巻き込み、きっかり一時間で完売させ――――



 一人気持ちよく眠りに就いた。

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