第08話 好きな野菜は?(6)
授業変更のメッセージを菜花ちゃんに飛ばした後、須木先生に確認したことで部活を作るには五人の部員と顧問が必要であると分かった。
他にも確認したいことがあったけど、予鈴が鳴ったため一旦その場を後にした。
そして清掃も済ませて迎えた放課後。
私は菜花ちゃんと一緒に職員室へと向かう。
「ごめんね、菜花ちゃん。付き合ってもらって」
「ううん、いいよ。その代わりに明日いっちゃんの髪をセットさせてもらうから」
「菜花ちゃんは私の髪いじるのほんと好きだね」
「いっちゃんの髪は凄く綺麗だからね。私に触られるの、嫌?」
「くすぐったいけど、いつも可愛くしてくれるから嫌とかじゃないよ」
「よかったっ」と菜花ちゃんはご機嫌に私の腕を組む。
こんな感じに菜花ちゃんは普段からスキンシップが割と激しい。
週に一度くらいのペースで、何かと理由を付けて髪を可愛く結わいてくれるんだけど、梳かす時に耳や首へイタズラに触れてくる。
「くすぐったいよ」と言えば止めてくれるんだけど、「ふふ」と笑いながらギュッと抱き締めてくるのが一連の流れとなっている。
嫌、というよりは、むしろ私も好きだし嬉しいから応えるんだけど、きっと菜花ちゃんのスキンシップ癖というか距離感は、私に影響を及ぼしていた。
美味し可愛い蜀黍ちゃんからトウモロコシを連想して、食べたくなって、我を忘れて、抱き寄せてしまった。
許してくれたけど、蜀黍ちゃんはぎこちない笑顔だったから、明日にでも再度謝っておいた方がいいかもしれない。
到着した職員室の扉をノックして「失礼します」と入室する。
インスタントコーヒー独特の香りが鼻まで届く。
どこか慌ただしくも弛緩した空気を含んだ職員室の中を進み、担任の須木先生の元へ。
「須木先生、お昼の続きなんですけど今お時間よろしいですか?」
「おう、甘王に春乃か。先生も約束があるんだが――」
須木先生は腕時計を見る。
それから机の引き出しを引き、お菓子を取り出した。
「約束した時間も過ぎているし、ちょうど休憩しようとも思っていたところだから大丈夫だぞ。ほれ、好きな方選べ」
差し出された物はチョコレート菓子で、味は二種類。
コンビニでも買えるオーソドックスな『ブラック稲妻』と、期間限定販売の『ストロベリー稲妻』だ。
「いいんですか?」
「夏玉から聞いたんだけど授業が変更になったの甘王がみんなに伝えてくれたんだってな? そのお礼だ。春乃も遠慮するな。あ、でも他のみんなには内緒にな?」
「「ありがとうございます――」」
菜花ちゃんは迷わずストロベリー稲妻を、私はブラック稲妻をいただく。
「美味しいね、いっちゃん」
「だね」
頬を綻ばせて食べる菜花ちゃんを視界に映しながらだから尚、美味しい。
「はあ……疲れた脳が糖分に歓喜してるのが分かる」
目頭を押さえながらしみじみと須木先生は呟いた。
「須木先生、ごちそうさまでした。お忙しいんですね」
「ああ、ありがとな。ゴミはそこに捨ててくれ」
足元にある小さなゴミ箱を指差した須木先生は、職員室を見渡し始める。
「教頭がさ? 先生が新任だからって、いろいろと親身に教えてくれるんだけどそれが細かくてさ。ありがたいんだけど、その都度手は止まるし気は使うし肩は凝るしで疲れちゃうんだよなあ」
入学式初日、須木先生は自己紹介の場で初めてクラスを受け持つと言っていた。
教頭先生がどんな人となりか分からないから、どう反応していいか悩んだけど「大人って大変ですね」と無難に流す。
「そうなんだよ、大人は大変なんだよ」
「でも働く大人の人の姿って格好良いですよね。ちょっと憧れます」
「ふ……先生もな、大人に憧れる時期があった」
虚空を視る須木先生の色を失った目を見たことで、あ、地雷踏んじゃったかもしれないと悟った。
「普通にな? 人並みに青春して歳を重ねたら格好良い大人になれると思ってた。でもな? 気付けば青春できる歳は過ぎて、体だけ大人というか、日を追うごとに老化を実感して、職場と自宅を往復する毎日で、ははは……結婚とか贅沢は言わないから恋してえ、甘やかしてくれる彼氏ってどこで拾えばいいんだよお~~…………」
机に突っ伏した須木先生の背中から哀愁漂う。
「青春に年齢は関係ないですよ。ね、菜花ちゃん」
「え? うん、須木先生はまだ若くて綺麗ですしこれからですよ」
春も始まっていない須木先生から晩秋を感じたことで無意識に背中を擦ろうとしたが、菜花ちゃんに手を取られ阻止された。
「いっちゃんには私がいるから責任とれないでしょう?」
「責任?」
ただ背中を撫でて励ますくらいなら私にもできるよ?
「いっちゃんは経験ないだろうけど、堕ちている時の優しさって沁みるからね」
「沁みるって? あ、しなびた
「ちょっとよく分からないけど、今はそのイメージで大丈夫かな」
それなら張りが戻るってことだから、むしろ撫でてあげた方がいいような気もする。
「ていうかアレか! 先生も水に浸る……つまりナイトプールとかに通えば出会いがあるってことか!?」
「ナイトプールってなんですか? 雰囲気的にちょっと楽しそうな感じですけど」
「ダメ! 絶対駄目! いっちゃんにはまだ早いし危ないからっ!!」
まあ、泳ぎはそこまで得意じゃないし暗闇で泳ぐのは危険か。
「そうだぞ、甘王。行くなら別れてからにしろ?」
「? 私は誰かと付き合ったりしていないですよ」
「そうなのか? 初日の自己紹介で幼馴染と言っていたし、腕を組んだりべったりいちゃつく様子から、甘王と春乃はそれ以上の関係だって噂を他の生徒たちが話していたんだけどな。付き合っていないのか?」
「はい、付き合っています!」「腕を組むくらい友達同士普通なのではないでしょうか?」
須木先生は「なるほどなあ、これが青春かあ」と呟き、机の引き出しを引いてストロベリー稲妻を菜花ちゃんに手渡した。
「ま、なんだ……青春は瞬きのように一瞬だから尊くもある。青春を知らない先生が何言ってんだって感じだろうが、知らないからこそのアドバイスとしておこう。――それで、随分と脱線したけどそろそろ本題に移るか」
頬を膨らませる菜花ちゃんが、受け取ったばかりのストロベリー稲妻を私に手渡す。
甘えん坊だなぁ、そこがまた可愛いんだけど。
と思いながらも、あーんして食べさせてあげる。
「お前たち、いちゃつくなら帰ってからやってくれないか?」
「菜花ちゃんは甘え上手なんですよ、須木先生」
「…………だから?」
ハイライトを消失させた双眸が私へ向けられた。
「失礼しました。一人で二つの部活、いわゆる掛け持ちや兼部は認められますか?」
須木先生は質問には即答せず、引き出しから小袋タイプの『たけのこの春』と『きのこの秋』を取り出した。
「悪い、大人げなかったな。好きな方を選んでくれ」
「いえ、こちらこそ」
謝罪しつつ、私と菜花ちゃんはたけのこの春を選ぶ。
……選んだのだけれど、
深く考えずに手を伸ばしたことに私は後悔を覚えた。
「どうした甘王? きのこの秋にするか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。それで質問への返答に戻すが、それぞれの部で最低週に一度活動するなら兼部も問題ない」
私と菜花ちゃんで二人。
あと一人探せば何とか愛好会として凌げそうだ。
私としては
「須木先生はどこか部活の顧問だったりしますか?」
「いや、経験のためにも受け持つべきだって言われてはいるんだが、まだ慣れていない上に何かと忙しくてな。のらりくらりと……それに休日は休むべきだと思うんだ、先生は」
須木先生はチラチラ、といつの間にか席に座っている教頭先生へ視線を向ける。
「週に一、二回の活動の予定ですし休日の活動予定もないのですが、顧問をお願いしたら引き受けてもらえますか?」
「……先生にも都合がいいな? 残業代が出ないから、顧問手当内で収まる範囲だと先生もありがたい。ちなみに甘王はどんな部活を作ろうと考えているんだ?」
顧問手当って幾らくらい支給されるのかな。今度、静ちゃんに聞いてみよう。
「部活の名前は未定ですが野菜に関する何かです。歴史を調べたり、その繋がりで郷土料理を作ってみたり、野菜嫌いでも食べられる調理法を研究したり、旬の野菜を味わったりとその時々様々です」
「なるほどなあ、野菜か。また変わった部活だな」
「そうでしょうか? ちなみに須木先生はどの野菜が一番好きですか?」
「好きも嫌いもないな。甘王のそれって調理部と何が違うんだ?」
「調理部は調理を目的としますが、野菜部は……仮称としますが野菜部は野菜をヒロインとした部活です」
須木先生はこめかみに人差し指を当てた。
「悪い。さっぱり意味が分からない、が……」
さらに、ぶつぶつと独り言を漏らし始める。
「まあ、歴史研究って考えたら調理部とまるっきり被るわけでもないからアリ、か……それに先生にも都合がいいし……けどな――――」
考えがまとまったのか須木先生は「よし!」と顔を上げる。
「野菜部の顧問、先生が引き受け……」
今度は苦いものを口に含んだように、須木先生は途端に顔を歪ませる。
向ける視線の先には、職員室へ入室した二人の女子生徒の姿が見えた。
もしかしたら、須木先生が約束していた人かもしれない。
「いっちゃん、もういいよね? 私たちも帰ろう?」
菜花ちゃんにしては珍しく強引にグイッと私の腕を引く。
訊きたい事も聞き終えたから私の用事はほとんど済んでいる。
けど、須木先生に顧問を引き受けてもらえるなら最後まで詰めておきたい。
「もうちょっとだけ、ごめんね――」
むすっと拗ねる菜花ちゃんの腕を引いて、真っすぐやってきた二人へ場所を譲る。
「ありがとうございます。数分と掛かりませんので」
「……割り込むような真似して悪いわね」
腰にまで届く長髪をリボンでまとめる、おっとり雰囲気をした美少女と、その横で不機嫌に眉を吊り上げ腕を組む美少女へニコッとだけ返す。
「須木先生、申し訳ありません。八千代先生から連絡があり、遅れてしまいました」
「なるほどな、秋山と冬葉が悪いわけじゃないなら別に大丈夫だ」
「ありがとうございます。それで、離任された八千代先生から伺いまいしたが――」
二人の美少女は、それぞれ一枚の紙を須木先生へ差し出した。
「須木先生が文芸部の顧問を引き継いで下さる、とのことでしたので、私たちの入部届は須木先生にお渡ししてもよろしいですか?」
余りにも衝撃的なことが起きて、私は目を見開き固まってしまった。
「ああっとな? 実はだな……?」
須木先生はそんな私へ、気まずそうな顔を向けた。
顧問に先約があったことに対して私がショックを受けている、須木先生はそう考えたのかもしれないけど、それは違う。
確かに残念には思ったけど、私が驚愕している理由は入部届に書かれている二人の名前に対してだ。
「私、一年Aクラスの甘王苺。隣の子が同じAクラスの春乃菜花ちゃん。二人は、秋山さんに冬葉さん……?」
私たちに体を向けた二人へ菜花ちゃんがペコッと頭を下げる。
「はい、一年Cクラスの
「……
秋の山で採れる味覚、
冬を代表する葉野菜、
菜花ちゃんや蜀黍ちゃんと同じく、野菜の名を冠する二人。
秋山さんは、秋らしいブラウンカラーの髪を持つ美少女で、様々な料理に合う万能なキノコらしい親しみを感じさせる微笑みがよく似合う。
冬葉さんは、外国の血が混ざっているのか綺麗な白銀髪と淡い碧色の目が似合う美少女で、秋山さんの袖を掴むことで白菜ときのこの冬鍋を連想させてくる。
そんな美味し可愛い二人を見つめ、喉をごくりと鳴らし、そして。
声を震わせながら質問する――
「二人の……好きなお野菜は?」
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