第20話 後戻りはできない

喫茶店を後にした通村は、すぐに青木に電話をかけた。

「急いでそちらへ向かいます」

そう言った青木の声は喜びと、なぜか焦り感じさせた。

通村は灰皿の設置してあるコンビニまで歩くと、煙草に火を点けた。

『洋二、あんた、みさきちゃんの相談に乗るんじゃなかったの?』

ミナミの責め立てる声が聞こえてくる。

通村は何も答えずに火の吐いた煙草を咥えて、煙をモクモクと吐き出した。

『ねえ、あんたも気づいていると思うけど、この状況はよくないわよ』

ミナミの言う通りだ。

借金は確実に減っている。だが、それ以上に何か恐ろしいことに足を踏み入れてしまったようだ。

青木の提案は足し算だったはずだ。しかし、いつのまにかプラス×マイナスの数式に入れ替わっている。




「すいません、お待たせしました」

賃貸会社のロゴが入っている社用車が駐車場に停車すると、青木が駆け足で近寄ってきた。

「とりあえず、車に乗ってください。詳しい話は車内でします」

「わかりました」

通村は煙草を灰皿で押し消すと、ゆっくりと助手席に乗り込んだ。


「本当に急ですいません。ただ、かなり急ぎの案件だったので」

「どうしてそんなに急ぐんですか?」

「いやあ、内見で気にいったお客さんがいるみたいなんですけど、ちょっとそこに問題があって・・・」

歯切れが悪い。いけしゃあしゃあと物を言う癖に、今日の青木には余裕がないようだ。

「確か、今回は自殺の物件ですよね?」

「ええ、そうです。幸い、入居希望者は霊感とかはないみたいんなんですけど、念の為ということで通村さんにお願いした次第です。」


念の為にお願いする。

まるで便利屋だな。困ったときの通村頼りと言っても差し支えないだろう。

「それで、いつから始めるんですか?」

気乗りはしないが、引き受けるしかない。通村は気づかないうちに溜め息を吐いていた。

「今夜からです」

「は?」

「ですから、今夜からお願いします。だから車で迎えに来たんじゃないですか」

青木は察しが悪いとでも言いたげに顔を歪ませた。


今夜、というか今すぐ?

あまりにも急すぎる。身支度もそうだが、心の準備ができていない。

「それじゃ、出発します。ちゃんとシートベルトをしてくださいね」

通村は自分のことを問題のある人間だと認識していたが、青木も何か大事なものが欠落しているように感じてしまう。


ブルルン、鈍いエンジンが発車の合図を知らせる。待っていましたというように雄たけびをあげているようだ。

「通村さん、もうほとんどアルバイトはしていないんでしょ?アルバイトなんかしないでも生活できているじゃないですか。時間はたっぷりあるはずですよ?」

「青木さん、確かに俺には借金があります。だからって!!」

つい声を荒げてしまう。

大金をやるから靴を舐めろと馬鹿にされているようだ。通村の不満はもはや風船のように膨れ上がっていた。


「すいません、怒らせるつもりはなかったんです。でも、こっちも切羽詰まっていて・・・」

許しを請うように青木は肩をすくませている。だが、どこまでが本心なのか怪しいものだ。


「あああー、もういいですよ。わかりました。やりますよ、やればいいんでしょ」

「さすが通村さん、話が早い。僕はそういう通村さんが好きです」

青木に通村の嫌味は通じない。そもそも、青木の提案に乗った時点で通村は青木の掌で転がされているのだから。


しかし、通村は気づいてしまった。

ハンドルを握る青木の手が震えていることを。

そして、顔色が悪いことも。青ざめていると言っても過言ではない。

青木は緊張している。いや、すでに恐怖で押しつぶされそうなのかもしれない。

そして、そのことを隠すように平然を装い、軽口を叩いているのだ。

『洋二、わかっていると思うけど、もうどうにもならないかもしれないわよ』

ミナミに言われるまでもない。

そのときはそのときだ。

みさきに会えなくなるのは悲しいが、自分で選んだ道だ。

パチッ!

通村は気合をいれるように両手で頬を叩いた。


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