第3話



 咆哮が上がる。



 キメラ種の巨大な猛獣が前後の檻から解き放たれ【闘技場コロッセオ】の中央に立つシザに襲い掛かった。

 観客たちからどよめきと悲鳴が上がる。

 プロテクターと呼ばれる特殊な戦闘服を身にまとったシザは猛獣が躍りかかってから身構え、鋭い爪が振り落とされる寸前で瞬間的な補助を得て、素早く跳躍する。

 前後から迫った猛獣同士がぶつかり、怒りの表情で互いに牙を剥き合い、爪で引っ掻きあう。

 しばらく二匹は特殊なシールドを張られた闘技場の円形の壁に激突し合いながら暴れ合っていたが、頃合いを見てシザが一匹の顎に強烈な飛び蹴りを見舞うと、ギャオオオン! と叫び声をあげ、一匹が仰向けに倒れる。

 伝わる震動は、客達を盛大にエキサイトさせた。


【グレーター・アルテミス】では公に街に出て来る警察が、こんな巨獣狩りをしているのだから信じられない光景である。


 すぐにシザを捉え、もう一匹が再び襲い掛かって来た。

 左右から振り下ろす強烈な連撃が地面にめり込み、泥と石を跳ね上げる。

 シザの動きが俊敏だと見るや、キメラ種は長い尾に隠れていた毒針も剥き出しにして、更に激しく彼を追い立てる。

 攻撃を掻い潜りながらシザの鋭く、角度のある蹴りが的確に猛獣の首や腕にヒットしていく様を、闘技場の中央上部に設置された巨大スクリーンがピックアップして観客を煽って行く。

 さながら格闘技イベント会場だ。

 一瞬気を失っていた一匹が目を覚まし、二匹がまたシザを追い始める。

 闘技場のライトが少しだけ暗くなり、その拍子にキメラ種の身体が赤く発光した。

   

 カッ!


 剝き出しにした口から、炎が吐き出される。

【ルナティックフレア】を受けた生物の変異。

 異形の怪物。それがキメラである。


 一瞬、闘技場全体が赤い光で染まり、ガラス越しに見ていた観客たちも身を仰け反らせるほどだった。

 フィールド上に障害物など無いこの闘技場では、キメラ種のブレス攻撃を躱す術はない。

 アポクリファの中には自分の能力で障害物や遮蔽物を生み出して身を守れる者もいるが、シザはそうではなかった。

 さすがにプロテクターの効果もあり一瞬で火だるまになる、などということはなかったが凄まじい熱波の攻撃に、それまで敵の攻撃を俊敏に躱していた彼が、初めて防御の構えを見せた。

 耐熱反応を見せたシザのプロテクターが刹那、真紅に輝く。


 防御の体勢を取ったシザに、もう一匹の猛獣が勝機を感じ取り、襲い掛かる。

 巨大な腕が攫うようにシザの身体を掴み、反対側の壁にそのまま叩きつけた。

 そのまま捻り潰すのも嚙み殺すのも、焼き殺すのも、思いのまま――と思った瞬間、シザの体が白く発光する。

 捕縛した対象物を噛み殺すことに決めたのか、嬉々として大口を開けた猛獣の顔面に、シザの強烈な膝蹴りが炸裂する。


 アポクリファに与えられる能力は大きく【火風水地光闇】に分類される。

 更に細分化するとその中でも戦闘系、強化系などに分けられるが、無論のこと全てにおいて能力が定かになったわけではない。

【グレーター・アルテミス】はアポクリファの能力研究施設でもあるため、能力者が能力で犯罪捜査をする【アポクリファ・リーグ】の導入を決めたことも、他国では禁じられる能力を積極的に使って研究データを収集して行くという目的もあった。


 猛獣の手の中に掴まれていたはずのシザは、能力を発動させた瞬間、両腕を振り払う仕草一つで、猛獣の手の平を文字通り吹き飛ばした。

 光の能力者・戦闘系アポクリファであるシザは瞬間的に身体能力を飛躍させることが出来る。

 光の能力者は大きな分類では、時間や空間に介入する能力者とされた。


 六属性最速の力。


 その場にいた全員が納得するような戦闘力を誇るシザ・ファルネジアは【アポクリファ・リーグ】の今シーズンも優勝候補の一人だ。

 飛び散る血も肉片もこの合法的に認められた闘技場では、観客の興奮を煽り立てる一つの演出にしかならない。

 シザにとっても人間相手にこの能力を発動させるより、異形の変異生物となり各地で何人も人を食っていたこのキメラ種の猛獣を相手にする方が、手加減をする必要が全くないため気が楽だった。


 吹き飛ばした猛獣の身体が反対側の壁に叩きつけられるよりも早く、一足飛びで地を蹴り上げ、その身体に追いつくと、太い腕を掴み天井にめがけて投げつける。

 天井に取り付けられた設置型の照明が割れ、会場全体が点滅し震動する。


 闘技場の人々はどよめきながらも歓声を上げた。


 幾重にもしているセキュリティシールドの何枚かは壊れただろうが、それも想定内だ。

 なにより、【アポクリファ・リーグ】の総責任者アリア・グラーツからは「とにかく、ド派手に暴れて来て!」という命令が下っているのだから、このくらいのことを咎められたりはしないだろう。


 ヒビの入ったセキュリティシールドが再起動されて、壊れた部分を自動修復していくその時の特殊な光が、闘技場全体を絶妙な具合で明るく、暗く、照らし出す。


 天井にぶち当たり落ちて来た巨大な猛獣を、片手で受け止めたシザは襲い掛かって来たもう一匹に向かって投げつける。

 二匹は激突して今度こそ反対側の壁に当たり、外壁が衝撃で派手に崩れ落ちて行く。

 一匹は完全に仰向けになって動かなくなったが、奥の一匹は瓦礫の中で身じろいだ。

 プロテクターに仕込まれたセキュリティリミットが自動的にかかる十五分に向け、シザのプロテクターも発光場所が増えて、光も強くなって行く。

 強化系アポクリファには法により、セキュリティリミット内臓のプロテクター装備義務がある。

 彼らの能力を酷使すれば、自らの肉体にもダメージが起こるからだ。

 強化系アポクリファのセキュリティリミットは十五分とされ、一時間体を休めなければこれは解除されない。


 闘技場の演出スタッフももう小慣れたもので、観客に気づかれない程度に照明を絞っていくのが分かる。

 シザは低い体勢で地を蹴り、光の矢のように駆けた。

 

 ドゴォォォン!


 キメラ種の顔面にシザの流星蹴りが決まり、猛獣は特殊合金の壁が剥き出しになる壁の奥までめり込んで絶命した。

 蹴ったそのままの勢いで上空に飛び上がって、シザは闘技場の中央付近に降り立つ。



『セキュリティリミット発動 直ちに戦闘を終了せよ』



 一瞬静まり返った闘技場全体に、測ったようなタイミングで無機質なアナウンスが流れ、キィン……とシザの装備したプロテクターの発光が薄れ、消えていく。

 刹那の間を置いて、オオオオオッ! と闘技場全体が観客の歓声と拍手で震動した。

 シザは特別捜査官の携帯義務であるPDAと連動した、戦闘時のユーティリティ・イメージ・インテンシファイア搭載するゴーグルを解除し、観客に顔を見せ、軽く手を挙げる仕草をした。


 闘技場によるキメラ狩りは【グレーター・アルテミス】でしか見られない。


 今や地球上に出没する突然変異種、キメラは世界的な問題になっているが、人間には相手が出来ないこの巨獣を、戦闘に特化した能力を持つアポクリファならば打ち倒せることから【アポクリファ・リーグ】のアリア・グラーツがこれを見世物にしたのである。

 この企画が立ち上げられた当初は倫理的にどちらも問題があると批判の嵐を受けたが、現実では人々はこのアポクリファによる巨獣狩りイベントを見るためにこの地へ押し寄せることになった。

 闘技場の映像は観客へのエンターテイメントだが、同時に【グレーター・アルテミス】に出現する能力犯罪者へのデモンストレーションにもなる。

 この地で――【アポクリファ・リーグ】が展開されるフィールドで犯罪を行うと、どういうことになるかという。

 

 だから戦う以上は、一切容赦はしない。

 アポクリファの能力は世界中で警戒され、場所によっては排撃を受けている。

 長い間、アポクリファ達は自分たちの能力を隠して生きて来た。

 非能力者たちと共存していく為だ。

【アポクリファ・リーグ】がアポクリファの攻撃性に対して誤解を生み出すという一定の批判を受けているのも知っている。

 だが、残忍な事件なら非能力者の世界も日常的に起きていることなのだ。

 アポクリファだけが暴力的な力を持っているわけじゃない。

 力は、振るう者の意志による。

 それは能力者も非能力者も同じ。

 だからあとは、能力を使う以上は完全に制御した、アスリートのように美しい技で敵を圧倒する姿を見せつけるだけ。


 敢えて戦いにおける彼の信条を挙げるとすればそれだけだった。


【アポクリファ・リーグ】の特別捜査官達は能力も戦い方も千差万別だが、その中でもシザ・ファルネジアの戦い方は非常に美しいと言われていて人気がある。

 勿論いかに美しくとも『破壊力はバーサーカーのよう』と物騒な文言が付け加えられるのが彼ではあったが。



 シザはゴーグルを完全に外すと、戦闘時はいつも短く一つにまとめてある少し長めの髪を解きつつ、今だ興奮冷めやらぬ観客の歓声の中を平然とした足取りで、出口通路へと下って行った。



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