認知

和泉茉樹

認知

      ◆


 ソリッド・フロアという名のライブハウスへ早朝の通りを歩きながら、ミリアの隣でメウが言う。ちょうどコンビニの前に差し掛かっていた。

「ミリアさん、コンビニ、行っていですか」

「いいよ」

 そう答えるミリアの少し後ろを歩いていたツキも「私も行くぅ」と言ったので、なら私も、とすぐにミリアは言葉を足した。

 三人でGirls Be Ambitiousというアイドルグループを結成することになってから二年もすると、これくらいの集団行動には誰も違和感を覚えなくなっていた。

 コンビニに入ると暖房の暖かさに包み込まれて、少し息が軽くなる気がした。三月と言ってもまだ寒いし、早朝だからなおさらだ。

 ミリアはあまり迷いもせず、漢方っぽいのど飴とスポーツ飲料を手に取ってレジに向かう。昔、好きだったアイドルの女の子が動画配信で「のど飴をスポーツ飲料に溶かして飲むと最高に喉に効く」と言っていたことがなかなか忘れられない。自分でやってみると効果はわかるような、わからないような、というところだ。それでも気休めにはなる。

 レジでスマホで決済してチラッと店内を見るとメウとツキはおにぎりのコーナーの前で何か話している。集団行動と言ってもべたべたしすぎるのも迷惑かな、とミリアはそっと自動ドアのそばにあるチラシの棚を眺め始めた。ずっと昔からこの棚に自動車学校のチラシがあって、それを見るたびに、高卒と同時に免許でも取ればよかった、と思うけど、一方で東京で生活していると車に乗る機会などないし、自分で車を買うのなんて現状では不可能ごとだ。

 ミリアは福岡出身ということになっていて、実際、高校は確かに福岡の高校に通っていた。でも中学校は一年生の終わりまでは山梨県の学校に通っていて、中学二年生に上がるのと同時に福岡に家族と一緒に引っ越したので、福岡にいたのはほんの五年だけだ。

 福岡はともかく、山梨は完全な車社会で、きっとミリアが山梨県で暮らし続ければ今頃は車の免許は確実に取得していた。そして家族の車を運転したりしていたはずだ。

 まぁ、山梨にい続ければアイドルなんてしていなかっただろう。そう思うこともまた多いミリアだった。

「ぼうっとして、どしましたか」

 背後からの声に振り返るとメウが首を傾げていた。

「うん、免許のチラシを見て、感傷に浸っていただけだよ」

「カンショ?」

「しみじみしていた、ってこと」

「しみていたんですか。ミリアさん、免許、取るですか?」

 まさかぁ、とミリアが笑っているうちにツキもやってきた。

「何の話?」

「免許のチラシの話」

「あー、ね。車があれば歩かんで済むけど、望み薄やな」

 正確かわからない関西弁でツキが応じて、行くか、と店を出て行くのにミリアとメウで並んでついていく。外へ出ると今度ははっきりと空気の冷たさを感じて、先を行くツキが「かなわんなぁ」とぼやいた。

 ツキは大阪出身で、メウは韓国出身だ。メウは三年前に来日した紛れもないちゃんとした韓国人だけど、ツキの経歴はミリアの経歴とどこか似ていて、いまどき珍しい転勤族の両親とともに各地を転々としていて、東京に来る前に大阪に住んでいたから大阪出身となっている。

 ミリアとツキの出身地は事務所側のある種の小細工で、Girls Be Ambitiousというグループはいろんなルーツの人間が集まっている、という趣旨の短い文章が、例えばウェブサイトには掲載されている。そういう売り方というか、イメージ戦略である。

「ミリアちゃん、免許とって、どするの?」

 横を行くメウの問いかけに、ミリアは冗談を返す。

「いつか私がガルビのマネージャーになって、みんなを送迎するかなぁ」

「それ、マネージャーさん、新しく雇えば済みます」

 なかなか核心をついたメウの言葉に、前を歩いていたツキが振り返る。手には串に刺さった唐揚げがあり、口の中にはすでに唐揚げがあるようだった。もごもごとした言葉が発せられる。

「うちの社長たちがケチなのがよくないねんな。マネージャーおらへんグループ、うちらだけやん。なんで次を雇わへんねん。送迎はあんま必要ないけど、必要なら社長たちがちゃちゃっとすればええのに、なんであの人らが免許持ってないのか、訳わからん」

「社長たちは根っから都会人だから、車は必要ないんじゃない?」

「やけど、今の仕事に必要になることはさすがにわかるやろ。当然、マネージャーの必要さも」

 後ろ向きに歩いていたツキが前に向き直る。ミリアとしてはマネージャーが不在の状況やどんな場面でも送迎がないことよりも、ツキにステージに立つ前にちゃんと歯を磨くように言わないと、ということを考えていた。

「アラカタさん、良い人でした」

 メウがそう言うのに前を向いたままのツキが「でも飛んだ」と答えている。

 Girls Be Ambitiousが所属する事務所はI.M.Pという小さな事務所で、所属するグループは二つだけだ。四人組グループのQUEEN Bと三人組のGirls Be Ambitiousがそれで、まだグループ活動をしていない研究生が四人、事務所に登録されている。

 Girls Be Ambitiousの先輩グループであるQUEEN Bにはマネージャがついていても、Girls Be Ambitiousはマネージャーが逃げてしまい、今はQUEEN Bのマネージャーが合間を縫って仕事をして、足りない分は事務所の幹部が代行していた。

 そんなことで大丈夫かとも思うけれど、まったく世間に発見されていない地下アイドルと小さい事務所の実情としては特別に不自然ではない。I.M.PはまだQUEEN Bのようなアイドルグループを運営しているからいいようなもので、事務所の中には有名無実のような事務所もある。

 まるで素人の思いつきで設立されたような事務所で、ただ女の子が集められて、しかし放置同然に扱われ、人知れず事務所は閉鎖になって女の子たちは放り出される、というようなこともあると聞く。たまに訴訟に発展するようだけれど、どういう結末になるかはミリアには考えたくもない。

 いずれにせよ、Girls Be Ambitiousはまだ今日のようにライブイベントに出演できるし、二年の活動の結果として二十分をこなせるオリジナルの持ち曲もある。ライブイベントの一番最初の出番だとしても、ありがたいことだ。

「そいえばゆきちゃん先輩から、LINE、来てました。頑張ってて」

 そう言ってメウがミリアにスマホを見せてくる。

 ゆきちゃん先輩というのはQUEEN Bの佐竹ゆきこというメンバーで、三人の先輩だった。メウは特に彼女に懐いている、というか、メウは可愛い女の子が好きで、可愛い女の子に会いたくて日本に来てアイドルを志した、とよく口にしている。SNSでは三人の中で一番大勢のアイドルをフォローしていて、同時にフォローされてもいる。愛されキャラなのだ。

「佐竹先輩、丁寧だなぁ」

 そう返しながら、私ももっとコミュニケーションをとらなければ、と思うミリアである。SNSでのフォロワー数はもちろんメウが一番多く、ミリアとツキは同じようなものだ。ちなみにとあるSNSでのメウのアカウントのフォロワー数は、Girs Be Ambitiousの公式アカウントのフォロワー数よりも多い。その辺は、Girls Be Ambitiousの認知度が低いせいでもあるが。

 またくるりと後ろ向きになって、ニヤニヤと笑いながらツキがメウをからかう。

「今日は三月三日、ひな祭りに合わせての女性限定イベントやから、メウは浮かれてるんちゃう?」

「浮かれる? 興奮てことですか?」

「興奮はするかもしれないけど、浮かれるはそのまま浮かれるやね」

「ひな祭りは、女の子のお祝いですよね。女の子の何を祝うですか? ツキさんはひな祭りでは浮かれないですか?」

「ひな祭りって、何を祝うんやろ。言われてみるとよくわからんかも。生まれたことかな。成長か? 私は別に、ひな祭りでは浮かれないかな。ひな祭りは浮かれるものではないねんから、たぶん。メウは別のことで浮かれてるってこと」

 難しいですとメウが応じるのに、ツキがまた意地の悪い笑みを浮かべている。本当に意地悪をしているのではなく、これがメウとツキのコミュニケーションでよくあることだった。メウもツキから日本のことを知れて楽しんでいるようだった。

「ツキさんは、私が何で浮かれると言ってますか?」

「だから、今日が女限やからね」

「ジョゲン? ジョ、ゲン……。ああ、女性と限定を短くして、女限ですか? 今日のライブが、女性限定だからって浮かれるてこと?」

「そういうこと」

「私が女の子をたくさん見れて、浮かれる。今、私、浮かれてますか?」

「今のメウの様子を浮かれるって日本語では言うんよ」

「浮かれる……、浮かれる?」

 しばらく宙を見るようにしてから、調べます、とメウが生真面目にスマートフォンをいじり始めた。ツキはさっさと前に向き直ってしまう。メウの日本語知識のフォローはミリアに任せる、ということだ。こういう役割分担もこの二年で自然とできるようになった。

 しばらく三人とも黙って先へ進み、いくつか角を折れていく。ミリアにとって不思議なのは東京の入り組んだ細い道が、まるで最初から計算されていたかのようにライブ会場の裏口への経路になっていることだ。

 ある程度の規模のライブハウスはそれなりの通りに表は面している一方、出演者やスタッフが使う出入り口はちゃんと人目を引かないようになっていて、一部のライブハウスはその出演者用出入り口へ建物の裏手の細い道から入れることがままある。細いと言っても、機材を運び込める広さだが。

 敷地と道の境にはしっかりフェンスなどがあるけれど、どうしたらそんな計画的に建物が建てられるのか、ミリアには想像がつかなかった。

 三人揃って細い道へ入ると一気に人気はなくなっていく。まだ開場まで何時間もある早朝なので、ライブにやって来る客だってまだ多くは待機していないだろうけど、裏道からでは会場の表側は少しも見えないし、感じ取れない。

 ぼんやりとミリアは、どれくらいのお客さんがフロアにいるだろうか、と不安になった。不安になっても、今はどうしようも無い。今日のステージで次のステージを、次のステージでその次のステージを、よくしていくしかなかった。今日は今日で万全を尽くすのみだと思い直す。

 スマートフォンを弄り続けていたメウが顔を上げて「浮かれる」の意味を確認してくるので、ミリアはメウのおおよそ正確な認識に日本語話者としてのニュアンスを丁寧に補足説明した。メウは真剣な顔で聞いている。

「ほーら、二人とも、着いたよ。パスを出しや」

 ツキの声にそちらを見ると、確かに今日の現場のライブハウス、ソリッド・ホールの裏手についていた。スタッフジャンパーを着た男性が一人で立っていて、どこか強張った顔でこちらを見ている。いつから立っているのかは知らないけれど、寒いのかもしれない。

 よろしくお願いしまぁす、とツキが男性に出演者のパスを見せて、開けられたフェンスを抜けていく。こういうパスはほとんどの場合は現場入りの時に配られて、帰る時に返却するものだけれど、I.M.PはマネージャーがいないGirls Be Ambitiousのために運営側に例外を認めさせて、先にパスをメンバーに持たせることが多かった。事務所がかなり無理を通していると空気で感じても三人には他にやりようが無いので、できるだけ周囲には謙虚に、丁寧に接すると話し合ったこともあった。

 こんな時だけでもマネージャーか事務所スタッフがいればなぁ、と内心で思いながらミリアも先に受け取っていたパスを取り出し、ちゃんとスタッフに見せた。うなずくスタッフの男性に「よろしくお願いします」と一礼し、先へ進む。

 フェンスの隙間を通ろうとした時、あ! と背後で声がして振り返ると、困り顔のメウがいた。

「パス、忘れた」

 メウの言葉に、ミリアは即座にスタッフの男性にどう説明しようかと思考を巡らし始めた。身分証を見せれば解決するかもしれないが、メウの身分証には本名が記載されているわけで、スタッフがメウが本当に出演者かを確認するのはやや手間だろう。

 しかし他に手はないと思えた。

 ミリアが迷惑をかける覚悟を決めた時、急にスタッフの男性がフェンスを少しだけ大きく開いた。そしてメウを見て急に話し始めた。

「Girls Be Ambitiousのメウさんですよね。パスをお忘れなら、奥でそのことを伝えてください。代わりをもらえます。さ、どうぞ、中へ」

 メウも困惑していたけど、ミリアも困惑していた。それでもメウはフェンスのこちら側に来て、思い出したようにちょっと遅れて男性スタッフに「ありがとございます、今日はよろしくお願いします」と頭を下げた。男性スタッフは「頑張ってください」と応じていた。

 そうしてミリアとメウは一緒に会場の建物に裏手から入った。屋内の暖房に温められた空気の中に入ってまるでそれがきっかけになったように、知てましたね、とメウが言った。

「あのスタッフさん、ガルビのこと、私のこと、知てました」

「そうだね」

 なんとかそう言葉を返しながら、ミリアは自分がメウと同じことを考えているのを確信した。

 自分たちが知らないところで、自分たちの存在は確かに知られている。もちろん、スタッフはアイドル関係のライブイベントのスタッフだから、アイドルに詳しいということはある。それでも、ミリアはあの男性スタッフの顔を知らない。初対面だ。

 仕事で知っているとしても、知ってもらえていることが、嬉しかった。

「何? 二人して変な顔して、どうしたん?」

 先に建物に入っていたツキが二人が来ないのに気づいたようで戻ってきて、ミリアとメウの様子に首を傾げた。

 今、何が起こったのか、どう説明しようかとミリアは思ったが、ここはメウに説明してもらったほうがいいだろう。存在を認識されていたのはミリアではなくメウなのだから。

 何も知らないツキがメウに世話を焼き始める。

「メウ、パスは首から下げた方がええで。ん? 本当に二人して、どうしたん? 可愛い女の子でもおったん? 誰?」

 ふるふると小さくメウが首を左右に振る。

「いえ、ツキさん、私、パス、忘れて」

 はぁ? とツキが声を漏らしても、メウはそれに反応しないで言葉を続ける。

「でも、ツキさん、今、すごいことが……」

 胡乱げな顔つきになったツキがどんな表情に変わるか、ミリアは注目した。

 メウが普段よりどこか硬い日本語で、ついさっき起こった出来事を説明していく。

 話の内容を理解するにつれて少しずつツキの表情が変わっていく。

 ミリアも笑顔になったし、メウも笑顔だった。

 三人は笑いながら、楽屋の方へ通路を歩き出した。

 そのままライブ前の喧騒の中へと、三人は進んでいった。



(了)

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