僕とひな人形

杉野みくや

僕とひな人形

 一人っ子の僕にとって、ひなまつりというのは全くもって縁の無いイベントだった。せいぜい給食で余ったひなまつりゼリーをかけて本気のジャンケンをするぐらいだ。

 それ以外に特別何かをすることはない。家に帰ったらいつものように遊びに出かけて、夜は美味しいご飯を食べてぐっすり眠るという、いつもと変わらない日常を過ごす。

 だから友達の颯太の家にお邪魔したとき、リビングに飾られていた豪華な人形に思わず目を奪われてしまった。


「どうした悟?ひな人形がそんなに珍しいのか?」

「うん。僕の家だと、こんなすごいの飾らないから」

「そっか。悟、一人っ子だもんな」

「でも颯太の家だって、前まではこんなの飾ってなかったよね?」


 そう尋ねたそのとき、奥の部屋から泣き声が聞こえてきた。飛んで行った颯太の後についていくと、颯太のお母さんと目が合った。


「あら、いらっしゃい悟くん。お出迎えできなくてごめんね」

「あ、お邪魔してます」


 ぺこりと頭を下げると、白い腕に抱えられた赤ちゃんが目にとまった。クリクリしたお目々にぷくぷくした顔がとてもかわいらしい。赤ちゃんは僕の方に顔を向けるとすっと泣き止み、「この人誰だろう?」とでも言うように僕をじっと見つめ始めた。なんだかちょっぴり恥ずかしさを覚えていると、颯太が口を開いた。


「そういえば、悟に妹を見せたの初めてだっけか?」

「うん。名前、なんて言うの?」

「小羽音だよ。かわいいでしょ?」


 名前を呼ばれると、小羽音は「えへへ」と嬉しそうに笑って見せた。


「小羽音が生まれてからひな人形を飾り始めたんだ。僕も飾るのを手伝ったんだよ」


 そう得意げに語る颯太がなんだかうらやましく見えた。

 後からやってきた友達と一緒に遊んでいる間も、頭の片隅でひな人形のことが気になってしまう自分がいた。そのせいか、いつもやっている対戦ゲームでは珍しく負けが目立ってしまった。


 家に帰ると、さっそく今日の出来事をお母さんに伝えた。お母さんは颯太の妹の話に惹かれたらしく、「また近いうちにご飯でも行こうかしら」とウキウキしていた。

 でも個人的には、ひな人形のインパクトの方が鮮明に頭に残っていた。

 金色の屏風の前に佇む、二つの人形。おしとやかに見えつつも、花柄のあしらわれた綺麗な衣装や周りにある豪華な飾りの数々。

 派手に彩られたあのひな飾りを見てから、「自分の家にも欲しい、」と密かに思っていた。しかし、それを言い出せるほどの勇気はなかなか沸いてこなかった。なんせひな人形は女の子のためのものであり、それをほしいと言ってしまうことにどこか気恥ずかしさを覚えてしまっている。

 そうしてついに言い出せないまま、3月3日は幕を閉じた。



 数週間が経ち、春休みに突入したある日。僕はおばあちゃんの家に行っていた。お土産を渡しておじいちゃんの仏壇にお線香を上げた後、今年度の通知表や図工の時間に描いた絵を見せてはおばあちゃんからたくさん褒めてもらった。


 まんざらでもなくなった僕はその場を離れてお家の探検に出ることにした。とりあえず二階に上り、そのまま畳の敷かれた部屋に入った。

 窓から日差しが差し込むこの部屋にはあまり物が置かれておらず、とても広く感じた。畳の匂いをいっぱいに感じながら辺りを見回すと、古びたふすまが目にとまった。

 あそこに何かある。

 そう直感した僕はワクワクしながらふすまに手をかけた。


「まっくろくろすけ出ておいでー!」


 この前見た映画の台詞を叫びながらガラガラと開けた。しかし、中には段ボールがいくつか入っているだけで、まっくろくろすけはいなかった。

 やや肩を落としながら閉めようとしたそのとき、『開不要』と書かれた段ボールを見つけた。その中身が無性に気になってしまった僕は小さな手でガシッと箱を掴むと、そのまま外に引っ張り出した。思ったよりも重く、ずっしりとしている。これはお宝が入っているに違いない。


 ホコリまみれになってしまった手をパンパン叩いてから箱を開けると、いろんな大きさの缶箱が入っていた。ひとつひとつ取り出して中を見てみると、おはじきや折り紙、ちいさなそろばんや文房具などいろんな物が次から次へと発掘されていった。そうしてあっという間に最後の一箱を取り出すと、思わず「あっ」という声が出た。

 身体よりも大きな和服に身を包み、にこやかに微笑む男女の人形。かなりホコリにまみれて色あせてはいるものの、颯太の家にあったのとよく似ている。その他にも似たような服を着た人形が何体も入っていた。


 初めて触れるその人形を興味津々に見ていると、後ろから突然、

「ちょっと悟、何してるの!」

と鋭い声が飛んできた。


「も~こんなに散らかし、ってあら?これ子どもの時に使ってた文房具じゃない。懐かしい~」

「あらあらほんとだ、懐かしいねえ。こんなところにしまってたのかい」


 よっこらせ、と口に出しながら畳に座ったおばあちゃんに僕はすかさず人形を見せた。


「おばあちゃん、これって」

「お内裏様とお雛様だね。悟のお母さんがまだ子どもだった頃、ひなまつりの時になるといつも飾ってたもんだ」


 いつもより一段と優しい声色になったおばあちゃんはなんだかとても嬉しそうだった。

 人形をじっと見ていると、颯太の家で見たひな人形のことを思い出す。密かに感じていた憧れの気持ちをくみ取ったのか、おばあちゃんは「飾ってみるかい?」と言ってくれた。


「え、いいの?」

「もちろん。悟は飾ったことないだろうし、久々にお人形さんを外に出してあげられるからね」


 そう言うとおばあちゃんは袖をまくり、段ボールから人形や飾りを取り出していった。

 その間に僕はお母さんと一緒に近くにあった机に段飾りを置き、その上にひな人形を飾っていった。おばあちゃんとお母さんに教えてもらいながら、人形の置く位置やそれぞれに込められた意味も教えてもらった。正直、難しくて分からないものもあったけど、おばあちゃんが話しているのを聞くだけでもとても楽しかった。


 そうして完成したひな飾りはまさに圧巻だった。七段もある立派なひな段にはかわいらしい人形や綺麗な飾りがちょこんと並べられ、てっぺんに座るお内裏様とお雛様は窓からの日差しでキラキラ輝いて見える。


「どうだい、悟」

「すごいね」

「……良かったら、持って帰るかい?」


 おばあちゃんからの願ってもいない提案に僕は満面の笑顔でうなずいた。

 しかしすぐに、「こんな大きいもの持って帰れないでしょ」とお母さんに言われてしまった。何も言えず、がっくりしているとおばあちゃんはなぜか「ほっほ」と笑った。


「なんで笑ってるのさ」

「ただ幸せを感じたからじゃ。悟にもいずれ分かる日が来る。さて、持って帰れないなら、後で宅急便で送ってあげるよ」

「ほんとに!?」

「ああ。物置にずっとしまっているよりもずっといい。大切にするんだよ」

「うん!」



 それから毎年、ひなまつりの時期が近づくと、ひな人形を飾るようになった。飾るのはけっこう大変だけど、全て飾り終えた時の達成感はとても大きい。きれいに並んだ人形をじーっと眺めている時間はとても好きだ。


「本当にひな人形が好きね」

「うん」


 ぱっと振り返り、お母さんの大きくなったお腹にそっと触れる。僕ももうすぐお兄ちゃんになるんだ。


「はやく見せてあげたいな」

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僕とひな人形 杉野みくや @yakumi_maru

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