雛人形

杜侍音

3月3日、晴れ。


 私はひなまつりが嫌いだった。


 幼少期、私には二つ離れた姉と妹がいたため毎年3月3日になると、父が物置から雛人形を引っ張り出し和室に飾った。


 姉弟ヒエラルキートップに君臨していた長女と、我儘な上に末っ子だと甘やかしてもらえた次女。

 共に生まれは冬だというのに、この日もまるで誕生日かのように祝福を受けていた。


 当然、男の私は蚊帳の外だ。

 父は娘二人に貢物プレゼントも用意していたから、損得で言えば私より多い。

 まぁ、娘にデレデレで幸せそうだったので、そうでもないか。



 桃の節句が過ぎても片付けなければ婚期が遅れる、といった迷信があるが、家族の誰もが迷信でしかないと楽観視していたので、再び物置にしまうのに一ヶ月以上放置されたままだった年が3,4回ほどある。

 そのせいで、畳は雛壇の重さで一部凹んでいる。

 また、姉も妹も結婚適齢期はとうの昔に迎えたが、いまだ迎えに来た男はいない。



 しかし、私は違った。

 男だから迷信の対象外だが。


 28才の春。

 会社の後輩で二つ下の女性と結婚した。

 部署が同じで話す機会が多く、同じインディーズバンドを好きであったことから意気投合。

 付き合い出してから8ヶ月。

 世間にありふれた社内結婚で私は彼女を嫁に迎えた。

 決め手はおめでただった。


 そう、翌年の春──3月3日の朝に、娘が生まれた。

 分娩室から外に出ると、綺麗な朝日が見えたから。ひな祭り当日だからとの理由で名を日菜ひなと名付けた。


 我ながら振り返れば安直だと思う。

 おそらくこの日に産まれた女の子で一番多い名前の音はヒナであろうが、その中でも一番可愛いのは私の娘である自信があった。

 どうやら私は父に似ている。

 娘は嫁に似たようだ。


 時が過ぎるのは、光陰の矢を放つまでもなく早い。

 2年後には待望の長男が産まれ、家族四人、幸せな瞬間を過ごしてきた。




「別れよう」


 娘が3歳を迎えてしばらくした頃。

 私は嫁に別れを切り出した。

 理由もいたってありきたりなもの。彼女が別の男と浮気をした上に、そいつとの間に子を身籠った。ただそれだけだ。

 慰謝料を請求しない代わりに、子供たちの親権は私が持つことを条件に、さっさと離婚した。




「おかあさんって、なんでわたしは、いないの?」


 娘が幼稚園に上がれば、当然湧き出る疑問を素直にぶつけてくる。

 それぞれの家庭にはそれぞれの事情がある、と子供の目線に説明すれば、それで納得するほどに娘は物分かりが良かった。

 それに、叔母と伯母になった姉妹がよく子供たちに会いに来ては色々と面倒を代わりに見たり、欲しいものを買ってくれたため寂しくはなかったのかもしれない。



「ねぇ、雛人形置きましょうよ。せっかく日菜ちゃんにゆかりもあるし、それに女の子だし。昔のまだ綺麗にあるから、今度送っておくわよ」


 母がお節介にも、実家にあった雛人形一式を配送してきた。

 日菜のためというが、ただ邪魔だから処分相手にうってつけなだけだろうと邪推してしまう。姉妹には使い所もないだろうし。

 しかし、家族総出で子供たちの面倒を見てもらっている手前、いらないとは送り返さなかった。




「日菜、どうだ雛人形は」


 送られてきた古い段ボールから取り出した雛人形と雛壇。説明書は紛失しているため感覚で組み立てた。

 子供の頃に見た時よりとても小さく感じる。私が成長したからか、もしくはパーツが二つ余っているからなのか。


「かっこいいー!」


 思っていた言葉ではない答えが返ってきたが、日菜が嬉しそうだからと、我が家では再び毎年飾るようにした。

 やはり私は父に似ている。

 甘やかされた娘は、妹に似てきてしまった。



 一年に一度、この時期になると毎年飾っては片付けていた、が──いつからか、収納してしまうのは惜しいと思い、そのまま放置するようになった。

 今年で娘も18歳、になる年だった。





「……親父。まだ、起きてるのかよ」


 高校生となった息子の将吾しょうごが、和室で正座する私の背後から声をかける。

 もう彼は日菜の後ろを付いてばかりいた子供じゃない、立派な青年となっていた。

 成長期だ、身長はとうに私を抜き、そして──いつの間にか娘の年齢も越していた。


「この雛人形を見ていれば、いつでも日菜の喜ぶ姿が目に浮かぶ気がしてね」


 私がそう答えると、息子は口を噤んだ。


 時計の針が無常に進む。

 年が重なれば重なるほど、針の音に急かされている気分になる。



「──将吾はひな祭り好きか?」

「好きとか嫌いとか考えたことないけど」

「私は嫌いだよ。今も昔も」


 二度と訪れない娘の誕生日。

 雛壇の隣に設置された仏壇には、10年前の娘の写真が置かれている。


 時計の針は手で戻せるのに、日々だけは戻ってくれない。


 もし……あの時、私が小学校まで迎えに行っていれば……。

 仕事を休んで娘をどこかに連れて行ったのならば……家に引きこもって好きなゲームを一緒に遊んでも良かったかもしれない。

 ほんの少しの非日常があれば、今でも日常は続いていたのかもしれないのに。


 娘が──日菜の最期が、コンクリートの上で寝て終わらずに済んだかもしれないというのに……!


「親父……!」


「……っ、すまない」


 息子の声に、我に帰る。

 そうだ、将吾も大切な家族だ。日菜ばかりに囚われていて、もう一人の大切な子供まで見失ってはいけない。

 そんなの、日菜に申し訳が立たない。



「また一人考えごとをしていたよ。すまない。もうすぐ朝になってしまう。さすがにもう寝るよ」

「……親父はさ、姉ちゃんのことは好き?」

「ああ。誰よりも」

「じゃあ、今年のひな祭りは昨日で終わったし、片付けようよ。手伝うよ、俺も」

「しかし……」

「姉ちゃんに怒られるぞ。いつまでも出してちゃ結婚できないだろって」

「将吾……。……あぁ、そうか。将吾はそんな迷信を信じているのか。案外、素直で可愛いところあるじゃないか」

「別に、そうじゃねぇけど。おばさんたちがよく言ってたから」

「そうだったな。なら迷信は本当かもしれないな」


 正しい片付け方をネットで調べてから、私は息子と共に埃が被った雛人形を丁寧に箱に戻していく。

 雛壇を崩してしまえば、短い思い出も崩れてしまいそうだと思って手をつけなかった。


「教えてくれよ。姉ちゃんはどんな子だったの。俺あんまり記憶ないからさ」

「世界一可愛い女の子だった」

「親バカフィルターだなぁ」

「冗談抜きでだ。語り尽くしてやるさ、8年かけてな」

「人生丸々、事細かいな。けど、俺が知らないこと、色々話してくれよ」


 けれども、雛壇をそっと物置の奥に仕舞うように、思い出も丁寧に入れておこう。

 そして、またその日が来たら綺麗に飾り立てをしよう。


「ありがとな、将吾」

「別に。俺が結婚する前までには頼むよ」

「ああ、分かった」


 数十分かけて片付けを終えれば、いつの間にか夜が明けていた。

 窓の外を見ればあの日見たような、けれど少し違う。

 綺麗な朝焼けが広がっていた。


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雛人形 杜侍音 @nekousagi

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