日常が崩れ行く音

美杉。(美杉日和。)節約令嬢発売中!

第1話 深夜0時の乱雑な日常

「こんばんわ」


 開けた自宅の玄関のドアの向こう側。

 お隣さんが声をかけてくる。


 今はてっぺんを少し回ったくらい。

 私もお隣さんの彼も、同じ終電帰宅組だったらしい。


「こんばんわ」


 バタン バタン


 鉄製の玄関のドアがほぼ同時に締まった。


 私はお隣さんと顔を合わせることなく、ただドア越しにその言葉だけを返す。

 たった、それだけ。でもほぼ毎日変わらない私の日常だ。


 何にもない田舎から上京して、今年で五年目。

 このマンションに引っ越してきたのも、ちょうど同じくらい。


 お隣さんはその頃から変わっていない。

 確か、私より少し上くらいの男性だった。


 引っ越してきたばかりの頃に、一度だけちゃんと顔を合わせて挨拶したっけ。

 今の私と同じくらい、疲れた顔をしていたことだけは覚えている。


「はぁ」


 玄関のドアを閉め部屋の中に入ると、物が乱雑に置かれた自分の部屋に、ただため息がこぼれる。


「あー、掃除しなきゃなぁ……」


 ギリギリ足の踏み場があるだけのワンルームの部屋は、とにかく物が多い。

 特にその時の気分でネットショッピングしたモノたちなんて、開ける気力もないまま段ボールで転がり、部屋の大半を占拠していた。


「でも今日は……いっか」


 私はため息交じりに、その溢れるモノたちから目を背ける。

 そしてテーブルの上に無造作に置かれた昨日のコンビニ弁当の残骸たちを今日買ったビニール袋に入れ、私は辛うじてあいているローテーブルの前に座った。


 ゴミも捨てなきゃなぁ。

 どこまでもモノとゴミであふれる空間。

 その中でたった一人、小さく生活する私。


 どうにかしなくちゃとは思うのに、体は動こうとはしなかった。


「つーかーれーた」


 そう声を上げても、言葉を返してくれる人など誰もいない。

 むしろ最後に人とマトモな会話をしたのなんて、いつだっただろうか。


 うちの会社、私が所属する部署には元から三人しかいなかった。

 いろんな部署のお手伝いのような中間処理をするところで、人員は極端に少ない。


 それなのに一人が現在産休で、もう一人がメンタルをやられてしまって時短リモートワークのみ。

 あんな広い会社の部屋ですら、私は孤独ひとりだった。


「なんかなぁ……」


 肩肘をテーブルにつき、スマホを確認する。

 SNSには、近況などを知らせる充実した友だちたちの投稿たち。


 みんなキラキラしてる。いいなぁ。

 私だって頑張っているんだけどなぁ。

 頑張っても頑張っても、何の変わり映えのしない日常。

 私には、ココに載せれるようなナニカは何もない。


 見るたびに惨めになるだけだからやめればいいのに、それでもそこでしか人と繋がれていない私は、いいねを押すことだけでその存在を維持していた。


「あ、うわ、ヤバ。電話しろって、めっちゃメール来てるじゃん」


 忙しすぎて、社用以外のメールを確認するのは何日ぶりくらいだろう。

 元より送ってくる人もいないから、気にも留めていなかったのだけど。


 気づけば二桁ほどのメールを放置してしまっていた。

 これは、あとで確実に怒られるパターンだな。


 メールの送り主は母。

 今年のお盆に帰宅しなかったせいか、ずっとご立腹なのだ。

 もう秋も近くなったというのに、次の帰省予定を出さない私へ催促をしているのだろう。


「えー、めんどくさいなぁ」


 人とは会話をしたいけど、母とはまた別なのよね。

 そうはいっても……。


 ここまで乗り込んでくることはないだろうけど、もしもってこともあるからなぁ。


 私は目を背けてきた現実を眺める。

 部屋の片隅には積み重なって今にも崩れそうな洗濯物。そしてシンクにはいつから放置されたのか分からない重なった食器たち。

 挙句に足の踏み場を失くすほどあふれる段ボール群とコンビニの袋。


 この部屋が汚いのも分かっているし、どうにかしなきゃいけないのも分かっている。だけどそんな気力も体力も、今の私には残ってはいないのだ。


 虫が湧いたらさすがに考えるけど、まだね。まだ、大丈夫でしょ、たぶん。


「……とりあえず、明日電話するかな」


 これを一気に全部片づけるくらいなら、母の小言に付き合った方がマシね。

 だけど今はとにかく眠くて、体が重い。


 せっかく温めてもらった弁当もそのままに、私はテーブルの片隅に小さく突っ伏す。


「あー、こんなハズじゃなかったんだけどな」


 そう呟いたものの、現実以上に重くのしかかるまぶたに抵抗できるわけもなく、私は意識の端を手放した。

 

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