第13話 あなたを諦めたくない②

 やっぱり、言うべきだろうか。それとも――


 四条は逡巡していた。鴻巣がくれた、自分が彼女に贈ったものと同じ腕時計――「一生、離さない」と、まるでプロポーズのような言葉とともに――


 いつもつけて、見る度に幸せになる。こんな幸せな感情を、自分が持つとは思わなかった。

 だから余計に――

 本当に言うべきか?自分がスッキリしたいだけで、久実の気持ちを考えた上でのことか?

 久実は、全部知った上で、私を――今後も同じように愛するのか決めるべきじゃないか――こんなにも、愛されると思っていなかった。

 すぐに、うんざりされると――彼女の人生からなかったことになると――思っていた。けれど、久実は――久実は――…


「不安になったら、私にすぐ言うようにって、約束しましたよね」


 後ろから抱きしめられ、四条はビクリと体を震わせる。


「お、起きてたの?」


 金曜日の夜――週末はふたりとも休みで、夕食の後、ベッドで過ごして、鴻巣は昏倒するように眠って――四条もつられそうになったが、逡巡しているうちに眠れなくなり――上半身だけ身を起こして、考え込んでいたところだった。


「さっき、起きましたけど、そうやってずっと泣いてるみたいな顔で――」


 鴻巣を見上げるように、泣きそうな子どものような顔で見る四条に、優しいキスをする。


「何でも、言ってください」

「言った方がいいと、思う。私の過去の話を――本当のことを――でも、あなたに、どう思われるかわからなくて――怖い、怖くて――」

「過去の話?」


 四条は頷いて、耐えられないというように鴻巣の肩に顔を伏せる。

 確かに、四条は極端なくらいに自分のことを語らない。

 恋人になる以前、家族も、友人も、恋人もいないと――言ったこと、先日、誕生日のプレゼントを初めてもらったと、口を滑らせたかのように言ったこと、それくらいしか――


 鴻巣には、地方に両親が存命だったが、兄たちと姉がいて、末っ子の自分は自由にさせてもらって――自分も家族について、あまり話さないのは、もうめったに帰らない、疎遠な家族だったからで、四条が自分の家族の話をしないのも、気にしたことはなかった。

 だから、これまで無理に聞かなかったし、かといって聞きたくないわけでは、もちろんない。

 四条の過去に何があっても、彼女への愛に変わりはないのだから。


「でも、涼香が話した方がいいと思うなら、何だって聞きます」


 抱きしめて、耳元で囁く鴻巣に促され――四条は、つっかえながらも話し出した。


 :::

 両親が早世し、四条は北側の地方に住んでいた祖父母に引き取られた。

 すでに高齢で、昔ながらの育児しか知らない祖父母は、裕福な地主であったために、経済的に不自由なことはなかったが、愛情を孫に向けることもなかった。

 まともに名前を呼ばれたこともなく、お前とか、おい、とだけ呼ばれ、年中行事は行っていた記憶はあるが、誕生日どころか、特別にかわいがられたこともなく、日々はすぎた。

 友人もできず、ひとりで遊べるような娯楽もない場所で、ただただ勉強をしていた日々――

 当然の結果、学業成績は抜群で、高校生の頃に、国立大学付属高校へ進学となり、東京へ――

 寮生活になって、奨学金を得て、国立大学、やはり学生寮――

 その間、もちろん雑談程度を交わす知人はできたが、心を許して遊んだり、相談したりする友人は、一度もできず――片思いを何人かにしたことはあったけれど、告白して、恋人になりたいと、思ったことすらなく――そんな可能性がそもそも浮かばなかった。


 自分は、男性より、女性が好きなのだと、理解はしていた。

 けれど――一生、ひとりだろうと、誰かと添い遂げることなど――無理だと思っていた。

 高校生の頃、寮の共有スペースで皆が雑談していた時、家族の話をしていて――社交的な学生がひとりいた。四条にも話しかけるほど、社交的で――だから、四条が通り過ぎると、話をふられた。

 正直に親がいないこと、祖父母に育てられていたことだけ、答えると、さっきまで賑やかだった雰囲気が静かになり――「何だか暗くなっちゃったね、ごめん」と、笑ってその子は別の話をはじめ――


 その時まで、四条は自分の境遇を他人と比べたことはなかったが、確かに、自分は――

 愛を知らない。

 愛されたことが、身内にすらない。

 誰からも愛されていない。


 ずっとわかっていたが、はっきりと認めたのは、その時だった。そんな人間が、愛されたことのない人間が、誰かを愛するなんて、無理だ。そう、思っていた。


 大学生になった時に、それでも試しに、女性同士が出会うバーや、クラブに行ってみようと、意を決して、夜にでかけた。

 普通の居酒屋にすら、行ったことがない四条にとって、かなりがんばった行動だった。

 結果、誰とも話せず、話しかけられもせず――何もなかった。酔った人に抱きつかれ、勝手に体をすりつけられ――嫌悪とともに突き飛ばして――それだけだった。


 それで、鴻巣と出会った最初の頃、彼女に言ったように、自分はいつ死んでもいい、悲しむ人はひとりもいない――そんな自分が、少なくとも人のために役に立てるならと、教員になった――


 :::

「だから、つまり――私は――」


 言いよどむ四条に、鴻巣は静かに集中して聞いていたが――重要なことを確認せずにいられなかった。


「ちょっと、整理していいですか」

「うん――」

「涼香の家族のことや、学生時代のことは、今初めて聞きましたが――本当のことっていうのは、これまで私に言った話ってことですよね?っていうことはつまり――」

「そう、恋人がいないと言ったけれど、一晩だけの関係すら、持ったことが――なくって――あなたに嘘を――」


 後悔と羞恥で、四条の月白の肌が紅潮する。鴻巣は――こみあげてくる欲情を必死に抑え――


「つまり、涼香は、私以外の人とセックスも、キスも――経験したことがなかった」

「そう、なの」


 涙で潤んだ瞳を伏せて言う四条に、こらえきれず鴻巣は深く口づけた。予想外の行動に、四条は面食らいながらも、舌に答え、そっと唇を離す――


「嫌じゃないの?久実――…」

「何で私が嫌がると?」


「私は、今言ったような状況だったから――恋愛ドラマや映画でしか、知識を得ることができなくて――相手が初めてだとわかると、責任を感じて嫌がったり、何でこれまで経験がなかったのか、変に思ったりする人が多いと――だから、最初に正直に言った方がいいとわかっていたのに――変な所で、嘘を……ついてしまった。でも、久実が、こんなに私を思ってくれて、それなのに、黙ったままなのは、フェアじゃないと――このことを言って、軽蔑されてもしょうがない――でも、私は、久実を――あきらめたくない、愛しているから――…」


 鴻巣は、いたいけで繊細な、自分だけのお姫様を、押し倒し、深い口づけを繰り返し――


「恋人になってから――1年になるくらいですけど――こんな嬉しいサプライズはありませんよ」

「え?――え?」


 口づけの合間に言われた言葉に、四条は思わず二度聞きしたが――甘く微笑む王子様、ただし欲望が駄々洩れになっている鴻巣が、必死にすぐに四条を抱きたい気持ちを抑えて、答えようとしていた。


「映画やドラマでそうだったとしても、皆が思うわけじゃないですから。少なくとも私は、独占欲が強いし、涼香の初めてが全部私だったってことに、もんのすごく興奮してます――嬉しすぎて、おかしくなりそうですよ」

「嬉しいって思ってくれるの――」

「当たり前ですよ。奇跡に近い――私に出会うために、涼香が今まで、誰ともせずに守られてたんじゃないかって思うほど――」


 いや、そうだ、そうに違いない、と言いだした鴻巣に、四条は――笑った。


「ちょっと、何で笑うんですか」

「ごめん、いつもあなたは、私が落ち込んでいても、そうして光の下に連れて行ってくれる――私も奇跡のような出会いだと、思っている」

「涼香――…」


 鴻巣は、もう一度、四条を組み伏せ――


「涼香が私と出会うまでの分、2倍、いや100倍も、何億万倍も私が愛します。どんなことがあっても私の気持ちは変わりません。だから、安心して、何でも話してください」

「ありがとう――久実――…」

「明後日まで、休みですから、今からみっちり涼香を私のものだって――マーキングできますね」


 しんみりした雰囲気から、よくわからない単語が出て、四条は困惑しながら「なに?なにをするって?」と、言った。


「涼香の初めてが私だってわかったので、まあ、ずっとそのつもりで涼香を抱いていましたが、より一層、今も、これから先ずっと、涼香を抱けるのは私だって、私だけのものだって、涼香の体に刻み付けるように、染み渡るように?とにかくそんな感じでエッチなことしたいんです」

「何となくわかったけど、そんなの、とっくに――というか最初からずっと、そうなのに――」

「涼香は、いつもの甘々とろとろエッチだと思ってくれればそれでいいですから!私の問題なんです、一度でもいいからやっておかないと気がすまないんです!」


 よくわからないことを力説され、四条が、次に正気付いた時には――いつも以上に興奮した顔の鴻巣に何度も――何時間もきつく抱きしめあったまま、指の愛撫を繰り返されて――四条は時折キスをねだり、かわいくてたまらないとデレデレの鴻巣は甘く深いキスをして――

――涼香、ほら、ずっといきっぱなしで――私を離さないって絡みついてますよ、ずっとこのまま、ずっとこうしていたい、涼香と――…


 そう囁かれ続けて、四条は思わず、仰向けにされたままの上半身を捻って顔を背けようとした――すごい速さで抱きしめるように押さえつけられ「どうしたんですか、逃がしませんよ、涼香――明後日まで、何度もこうするって言ったでしょう」と、ぞくぞくするような低い声で――

 普通ならドン引きしそうなセリフ――けれど、恋の病が重症なのは四条も、残念ながら同じだった。


「違う、久実が、いつも以上にエッチで、かっこよすぎるから――ドキドキして、もう――」


 紅潮した頬と耳から首筋、いつものように潤んだ瞳で――


「かっこいい、久実――かっこよすぎて、無理――マーキングって――こんな、こんな風に皆してるの?」


 鴻巣の脳裏に、すごい容量の妄想が秒速で駆け巡ったが、すんでのところで踏みとどまった。


「みんながしていることかは、わかりませんが、私は涼香にしたいんです――変態っぽいと思われても――でも、そんな私でもかっこいいって思ってくれるんですね」


 嬉しいなあ、とほほ笑む鴻巣に、四条はまた、今日だけでも何十回なったかわからないくらい胸がドキドキして、両手で顔を隠す。


「だめです。見せてください。涼香の綺麗な顔、見ながらしたいんですから」


 容赦なく片手で手首を抑えられ――


「いや、だ、綺麗なわけない、久実に変な顔見られたくない」

「すごく綺麗です。今も、いつも、ずっと」

 だから、全部見たい、涼香とこうしてる時、全部の涼香を、表情も、体も、言葉も、息遣いも――全部、全部見たい――…

「バカ――…」

「怒ってるふりしても、体中、全部ピンク色で、中も蕩けてるし――説得力ないですよ――…」

「――だって久実が好きだから――…」

 だからギュってしてほしい、とねだられ、手首から手を離し、代わりにまた抱きしめる――合間にキスをしながらも――


――好き、久実が好き、全部好きだから、私も、久実の全部が好き――

――そんなこと言ってくれるなんて――ああ、本当にかわいい、私の涼香――私だけの――

 ゆるゆると続いていた行為は、激しい絶頂がきて――


 :::

 それから数日後、また休みの日が近づき、鴻巣の帰りを待っている時、ふと、四条はパソコンを起動した。

 鴻巣が、自分が鴻巣以外に性体験がないことを、あんなに喜ぶなんて、と四条は、先週の件を何度となく反芻していた。

 もちろん、若い男女が相手で、性体験がなく、自分が初めて奪うのに興奮する、という人がいるのは知っていた――だが、自分の方がかなり年上なのに、あんなに、鴻巣が興奮するとは――

 悩んでいたぶん、心に残った。

 週末は、鴻巣が言う「マーキング」という行為を――四条の最奥の感じる場所を激しく攻めるのではなく、押し付けるように何時間も――ずっとされて、もともと優しい甘い行為が好きだから、まったく嫌ではなかったが、他にもしているカップルがいるのか調べてみたかった。


 インターネットで検索してみると、行為についてはよくわからないが、独占欲の強い人が、恋人を自分のものだと周りに示すという時に、「マーキング」という言葉を使っている例があった。

 その特徴を見ていくと――これ、久実そのものだ――と、四条は思い、嬉しさと恥ずかしさで色んな気持ちがわいてきて――


――大体、ペアの腕時計をして――気が付く人は気が付く――仕事に行く時に、元々腕時計をする習慣だったふたりなので、当然しているが――もしかして、ばれて――いや、ない。絶対にない。同じだと気づいた人がいたとしても、私と久実が、恋人だなんて思わない、思えないだろう――大丈夫だ、うん。


 後ろ向きな理由で納得したが――


――大学の人たちは、黒岩さん以外でも、うっすら気づいてるのでは――?私のために、見て見ぬふりをしてくれているだけ――では?


 という気が無性にしてきた。


――大体、事情を知っている黒岩さんに、あんなに無邪気に惚気ている様子を、先日見たし、他の人にも、名前は出さないにしても――別に大学で言ってもいいのだが、周囲が何かと気を使うだろうし――やっぱり年齢差で、久実が何か影で言われるのは嫌だし――


「帰りましたよ!」


 また悶々としかけた四条だったが、鴻巣の声でハッとなり、慌ててブラウザを閉じ、リビングへ行く。


「久実、お帰り――」

「はあ~涼香~」


 笑顔で抱きしめられ、頬ずりされる――これは通常の鴻巣の行動だが――


「やっと休みだから、まずは涼香を抱いてもいいですか?」

「こら、食事とシャワーを先にするようにって、決めたでしょう」

「それは、翌日も仕事の時だけで、明日は休みだから――」

「そんな追加事項あった?」

「いいじゃないですか、まずは涼香とイチャイチャしたいんです」

「――マーキング、するの?」


 うん?と、鴻巣は微笑みながら、四条の顔を確認すると、うっすら頬が染まり――目も潤んで――


「涼香がいいって言うなら、したいです――でも、あれこそ何時間もかかりますけど」

「明日、休みな時は自由なんでしょう?私、私だって、久実と――」

「イチャイチャしたい?」

「う、ん――」

「かしこまりました、私のお姫様からのお願いは、絶対叶えるっていうのが最上位の決まりですからね」


――そんな決まりもあったの?と、思いながら、四条は思わず微笑み、恋人とすごす幸せな時間に身をゆだねた。


 END…?

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