3話 女賢者の憂鬱


 私はマナリア・マギアノ・ストレーガ、9歳です。

 お父様とお母様が亡くなってから、心にぽっかりと穴が開いてしまった気がします。


 私には魔法さえあればいいと思っていたけれど、お父様とお母様もずっとそばにいてほしかったです。

 なくしてから気付くなんて……我ながら遅すぎました。


「マナリア。きみのご両親が残した負の遺産を解消するためには、きみがストクッズ男爵家に嫁ぐしかないんだ」


 お父様が亡くなってからは叔父様が家督を継ぎ、ストレーガ伯爵家を切り盛りしています。

 叔父様は必死で、私の意思には興味がなさそうです。


「…………叔父様、私は——」


 そんな婚約は嫌です。

 そう口に出す前に、周りの大人は勢いよく喋りだします。


「それがいい。かの成り上がりならば余分な財産も持っているだろう」

「まったく以って、ストクッズ男爵家には過分な栄誉よな」

「なにせ我が高貴なるストレーガの血を分け与えてやるのだから」


 魔法は得意で楽しくて。

 魔法なら何でも私の気持ちを表現できます。

 

 でも話すのはとても苦手で……。

 だから私には魔法さえあればよかったのに、今回の悲しい事故でお金も必要なのだとわかりました。

 だって私の自由はお金で買われます。


 大人たちは私が何か口にする前に、アレやコレやとまくし立て……気付いたら私の嫁ぎ先が決まっていました。

 それからとんとん拍子で、婚約者くんとの初対面の日が訪れます。


「は、初めまして……マナリア・マギアノ・ストレーガ、です」

「……ネルだ」


 私の婚約者くんはとても怖そうでした。

 同い年なのに氷のように冷たく張りつめていて、とても高圧的に見えます。

 何かを急いているような、叔父様と同じ必死さが伝わってきました。


 最初は私と同じようにお喋りが苦手なのかもと思いましたが、切れ長の綺麗な青い瞳が不機嫌そうに私を睨んでいたので、きっと私との婚約が不服なのでしょう。

 刃物みたいに鋭利な美貌の持ち主ですが、恐怖の方が勝ってしまい碌に口も利けませんでした。


 そんな彼が体調を崩して倒れたとの報告が入り、叔父様に命じられてお見舞いに行くことになりました。

 叔父様は『婚約者としての体裁ていさいがうんぬん』と仰っていましたが、本当に気乗りしません。

 彼の出す空気は拷問です。憂鬱です。



「これはこれは、ストレーガ伯爵令嬢。このような部屋でのお出迎えとなってしまい、大変心苦しく思います」


 だけどベッドに伏した婚約者くんは、いざ顔を合わせてみると前回よりも柔らかい印象を受けました。

 病で性格まで弱ってしまったのでしょうか?


 それから彼は一人で唸ったり、何か呻いてみたりして、突然とんでもないことを言い出しました。


「マナリア伯爵令嬢。突然なのですが、我々の婚約を破棄していただけませんか?」


「……!」


 それからネル君は……私の動揺や疑問が出てくるのを十分に待ってくれて、ジッと真剣に私を見つめてくれました。


「……どうして?」

「ふふっ、何も無理にマナリアお嬢様が身命を賭してまで、我が家に輿入れする必要などございません」


 その言葉には、私を労わる確かな気持ちが乗っていました。


「……どういう意味?」

「実は私にいい妙案がございまして————」


 それからネル君はちょっと怖くて、でも綺麗な笑みを咲かせながら私に『計画』を伝えてくれました。

 ネル君は私の気持ちを汲んで、婚約しなくてもいいようにと働きかけてくれたのです。

 私と同じ9歳とは思えないほど、卓越した頭脳の持ち主でした。


「最近、私が見つけた採掘場で純度の高い【魔封石まふうせき】を発見しました。それらを魔法実験の経験に富んだ、マナリア伯爵令嬢に扱ってほしいのです」


「…………それは、私が【魔封石】に魔力を込める?」


「さようです。【魔封石】はあらゆる魔法を封じ、魔法を習得していない者でも封じられた魔法を発動できる代物です。純度に応じて使用回数は異なりますが、私が見つけた【魔封石】は全て最高ランクの純度となります」


「……高く、売れる?」


【魔封石】は王国内においても非常に価値の高い鉱物です。

 しかも純度の高い物となれば、一攫千金も狙えます。


「はい。父上にはストクッズ大商会の販路があり、莫大な利益を生む伝手があります。そこでご提案です」


「……はい」


「マナリア伯爵令嬢に、この【魔封石】の封じ手を担っていただけませんか? もちろん利益の5%は貴女にお渡しいたします」


「……お金を稼げる……借金返済……? ネル君と婚約しなくてもいい……?」


「その通りでございます。自立し、自由を謳歌する貴婦人にふさわしい在り方ではありませんか? 煩わしい花嫁修業や嫁姑問題、ストクッズの家訓に順応する必要もなくなります。今まで通り、魔法の研究へ自由に打ち込めるのです!」


「…………それは、嬉しい」


「では、マナリア伯爵令嬢。【魔鉱石】の採掘はこちらでいたしますので、魔力込めの実施は貴女に一任しますよ?」


「はい……! 喜んで」


 いつも私の気持ちも言葉も遅すぎて……誰にも届かないと思っていました。

 ずっと諦めてばかりで、私の『嬉しい』は魔法だけでした。

 だけど今、ネル君は私が口にするまで待ってくれます。


 私の希望を根気よく聞いて、ひも解いてくれて、実現しようとしてくれる優しさがありました。

 それは包み込んでくれるような安心感で、彼は紳士なのだと感動しました。


 そんな彼との共同作業? が始まりました。

 時々、彼はうちまで足を運んでくれ、実験の様子を見に来てくれます。



「マナリア伯爵令嬢、魔力込めの方は順調ですか?」


「……はい。でも……うまく、いかない物も……」


「なせば成ります。何事も諦めない気持ちが肝心です」


 どれどれと、妙にご年配の殿方みたいな口調をこぼすネル君。



「んん……少し青みがかった【魔封石】は、氷や水系統の魔法が込めやすいですよ。逆に火などの赤属性を込めてはいけません。込めた魔法が著しく弱まります。しかし、緑がかった【魔封石】は、実は水との相性がよく緑青りょくせいの複合魔法を————」


 たくさんの魔導書を読み漁った私ですら知らない知識を、惜しみなく共有してくれるネル君はやっぱりとても優しくて、優秀で博識です。

 それから数カ月間、私はあらゆる魔法を【魔封石】に込める研究に没頭していました。これがなかなか面白くて、私の魔法の腕もひと際レベルアップしました。



「やりましたね、マナリア伯爵令嬢。貴女の協力のおかげで大儲けですよ」


 しかもネル君の言う通り、お金はどんどん稼げてたくさんの貴族へ慰謝料をぽんぽん支払えています! この調子でいけばあと数年で完済です!

 これも全てネル君のおかげです。


「…………ネル君、ありがと」

「いえいえ、こちらこそ感謝しておりますよ」


 ネル君はきりりとしていて、いつもカッコいいのです。

 でもちょっと可愛いところもあって、寝顔が無防備なのです。


 一度だけ私が研究室から席を外して戻ってくると、居眠りをしているのを見てしまいました。きっと夜も寝ずにあれやこれやと私に代わって、【魔封石】の研究をしてくれた頑張り屋さんの証です。


「晴れて貴女は自由の身です! もう当家に嫁ぐ必要もありませんし、僕と関わらなくてもいい! あとは父上が切り盛りするストクッズ大商会を通じて、僕は不労所得ニートッ! いえ、今後はそちらでやり取りの方をお願いいたします」


 ネル君は頭もよくて、思いやりもあって、私の大好きな魔法にも造詣が深くて……!

 他の貴族当主みたいに『女が魔導の真髄を追い求め、研究するなんて甚だおこがましい!』とも言わず、むしろ魔法研究を推奨してくれます。それどころか私のやりたいことを、人々にとって役立つ物へと変換してくれました!


 そして何より私の自由を尊重してくれ、私のことを想って、影では人一倍努力をしてくれたのです。

 お母様とお父様が亡くなってから、初めて希望の光を差し伸べてくれたのです。


 あれ? ちょっと待ってください?

 もしかしてネル君って、私にとってすごく素敵な旦那様なのでは?


 どうしましょう! このままでは婚約解消になっちゃいます!


 ああ、憂鬱です……! 

 私はまた、お父様とお母様の時のように、なくしてから大切なコトに気付くのでしょうか……!


 いいえ、ネル君が教えてくれたじゃないですか。

 なせば成ると。

 私はネル君の婚約者であることを諦めません!


「ネル君……そ、そのっ、私と……これからも婚約者でいてほ……」

「すぴー」


 あれ?

 どうやらネル君はこれまでよほど無理してきたのかもしれません。

 事業がうまくいって安堵が急に押し寄せてきたのか、唐突に私のベッドへ倒れ伏すように寝てしまいました。


「…………えいっ」


 私も思い切って彼の隣に寝ころびます。

 淑女レディがはしたない、なんて思われないかな?

 でもでも……やっぱり私は彼と繋がっていたいのです。

 


「……ネル君……私をお嫁さんに、してください」


 だからそっと、ネル君の手を握りました。



 一瞬だけ、彼がピクリと動いた気もしますが勘違いでしょうか?

 わあ、ネル君のお顔が近いです。

 睫毛が長くてドキドキしますね。


「…………」


 やっぱり彼の隣は安心できます。

 そんな風に考えていると、私まで眠くなってしまいました。




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