なんで、と、貴子が理由を聞きたい相手は弟だ。真央ではない。だって真央の理由は簡単で、そういう商売だからだ。誰彼かまわず寝るのが仕事。だから、早くなにか言えよ、と隣に立つ男の横顔を見上げる。男は真っ黒い目で、真央を見返してきた。助けを求めるみたいな視線だった。こんな弱弱しい目でこの男から見られたことは、これまで一度もなかった。

 そんな目をするくらいなら、はじめから真央となんか寝なければいい。貴子に執着するならするで、ひたむきに彼女を追えばいい。明らかに女の数をこなしすぎているこの男がそうできなかったのは、この男自身のせいだけではないだろう。分かっていても、真央は助け舟を出してやる気にはなれなかった。

 「……生馬。」

 また、貴子が弟の名前を呼んだ。縋るような声をしていた。縋るようで、その底に艶がある。実の弟に対して出すような声じゃない、と、真央は思う。

 「……やりたかっただけ。」

 ぼそりと、貴子の弟が答えた。それは、真央から聞いても上手い嘘とは到底言えなかった。

 やりたかっただけ。それならわざわざ真央を選ぶ理由がない。姉が身を売る売春窟まできて、姉の隣に立っている男娼に、わざわざ金を払う必要がない。

 「馬鹿なこと、言わないで。」

 貴子も同じように感じたのだろう。彼女の声は尖りながら震えていた。

 真央は、自分がここにいる理由もない、と思い、その場を去ろうとした。けれどその右手を、がしりと貴子の弟が掴んで引き留めた。

 「真央。」

 はじめて、彼に名前を呼ばれた。名前を知られているとすら思っていなかった。だから、あまりに驚いたから、真央はその場から逃げ出すタイミングを逃した。少なくとも、自分にそう言い聞かせた。

 ゆっくりと、貴子の弟が貴子に向き直る、真央も、腕を引かれるがままに同じ方向を向いた。立ち尽くしているのは、貴子ひとり。客の男は、ただならぬ状況を察してとうに逃げ出したのだろう。利口だ、と、真央は思う。だからつまり、自分は馬鹿なのだろう。

 「やりたかったからだよ。真央と寝たかった。それだけ。」

 男が、また下手な嘘をついた。真央は、貴子が納得することを、もしくは納得したふりをすることを祈った。彼女がそれをできる性格でないことは知っていたけれど、それでも。


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