第16話 平泉の助言
クラスへ帰ると、男子を中心に俺を弄ってきやがった。冬眠したくなるくらいに恥ずかしいセリフを真似される。でも、そんなクラスメイトの表情はどこかホッとした様子だ。朝から俺と蒼馬の間に流れたモヤっとした空気を感じ取ったのかもしれない。
話は時折、隣の住人にも飛び、顔が大火事になった。
まだまだ大人数のところでは上手く話はできない様子。そんな平泉に俺は感謝していた。
もしも、俺が平泉という女子と話す仲にならなければ、蒼馬が犯人であるのを知らんぷりしていただろう。友達がやったことを隠していただろう。
昨日の放課後、旧校舎から新校舎へ通り抜け出来たかを確認し、帰った。
家に帰ってからというもの自分で上履きの靴を洗面器で洗っていた。なかなかしぶとい塗料の汚れだった。結果としては全然取れなかったので捨て、予備の上履きを履くことにした。
自室のセミダブルサイズのベッドへ身を預ける。真っ白の壁にかけられた時計は二十時半を差していた。変わり映えのない自室から目線を下げる。サテン素材の青パジャマへと既に着替えているので、あとは寝るだけだが、眠気は全く湧いてこない。
小説でも読んでいようかと腰を上げると、スマホからコール音が鳴る。平泉からだ。
最近、LONEを交換したんだっけ。
然も、カナリアの告発予告文を撮った写真が送られた。まるで謎を解け、と言うかのようだ。
コール音は彼女のしつこさを表わすかのように止むことは無かったので、渋々応答する。
「はい」
『ひっらいずみです。こんばんは』
「こんばんは」
『……………』息を吸うような音が聞こえる。『…………』
「切るな?」
『なっ、ダメですよ。切っちゃ』
新手のイタズラじゃないようだ。
間が空くと彼女はふふっと笑う。
「どうしたんだ?」
『いえ、お友達と電話をするのが嬉しくて。つい、にやにやしちゃいました』
友達というワードが、アサリを食べた際に砂が混じっていたような、心地悪さを感じた。
だからかもしれない。アサリの砂を全部掃き出したいから、平泉にこう尋ねた。
「平泉、お前、口硬いか?」
『はい、明智くんの好きな子が誰かとか、絶対、言いふらしません』
「うん、よくわかった。切るな?」
『まっ、まってください。それ以外の話でも守ります』
砂を全部掃き出すように、俺の推理を話した。彼女は所々に相槌を打ってくれる。まるで子どもの話を聞いてくれるお母さんのように優しい声音だった。
「アイツ、昼の発表が始まる前に俺へ五番の紙を見せたんだ」平泉は黙って俺の言葉を聞く。「あの時、焦って五番見せちゃったんだよ。アイツバカだから、それでもう引くに引けなくなって。……俺があの五番を見なきゃ、蒼馬はっ__」
あの時、蒼馬は自分の過ちを正そうとしていたのでは無いか?
もし、蒼馬が五番ではない、自分の本来引いた番号を俺に見せていれば。
もし、俺があの場に居なければ、思いとどめれていたんじゃ無いだろうか。
『わたしのお母さんは、小説家なんです』
「急にどうした……って、えっ?」
『わたしが生まれた日に処女作を出しました。ペンネームは、陸井明っていいます。生まれた日付からそのアナグラムにしたみたいです。妊娠予定日もズレる可能性があったみたいなのに、その名前にしたそうです。お転婆な人です』
「お母さんに、似たんだな」
平泉の誕生日は前に言っていたな。確か、2月26日。そのアナグラムか。
陸は、おそらく六の旧字体にしたものだろう。明は月と日を組み合わせたもの。そして、残る漢数字の二ふたつをマッチ棒みたいに動かすと井になるわけか。
いや、そんなことよりも陸井明ってどこかで__。
「体育館で見たあの小説、平泉のお母さんの作品なのか。作品名は確か__」
『はい。処女作の『放課後の初恋』です』
スマホを当てた耳から聞こえる声音は、普段の彼女とは違い、落ち着いていた。
『その作品はですね。賛否両論だったそうです。論理的な物語の進め方ではなく、感情、感情で物語を押すような作品だと。登場人物の論理性に欠けると』彼女は軽く息を吸って続ける。
『でも、わたしは好きなんです。温かくて、切なくて、もどかしくて。登場人物達がなぜそんな行動を取ったのか愛おしいほど、読者に訴えかけてくるんです』
暫し、スマホ越しの無言が訪れる。だけれど俺は、通話を切ろうとは思えなかった。
『明智くんは論理的な人です。兼国くんが今後どうなってしまうのか、そこばかりが先行して苦しんでいるんだと思います』
陸上部に新入生を集められずに蒼馬が悶々とする日々が続く。
そんな表情や背中を俺は見たくないのだ。
『ただ、今の兼国くん自身は苦しんでいないのでしょうか? やってしまった後悔は無いのでしょうか?』
俺はハッとさせられた。
まるで語り部の視点が他の登場人物へ切り替わったように、蒼馬の抱える悶々とした葛藤が脳裏に描かれる。
俺には分からないであろう葛藤だろうけれど、アイツが悩んでいるのは想像できた。
蒼馬が普段よりも様子がおかしかったのを、あの日から気づいていた。
平泉が放送室で巻き込まれたと言った時、もしかして__と思ったのだ。
俺は、真っ先に聞くべき友人に質問を後回しにしすぎたのだ。
俺がもっと早くしていれば、蒼馬は__。
「明智くんは、兼国くんにどういう選択を欲しいですか」
君の言葉は透き通っていた。俺の考えるべき方向性を指し示ているようだった。
俺は、兼国蒼馬のままでいてほしい。
「ありがとう、平泉。俺が遣るべきことが決まったよ」
心のどこかで、平泉だったらどうするのだろう、と思っていたのかもしれない。
「一応、ゼミ長ですからね」
「そだった。……そんなゼミ長に聞きたいことあるんだけど、いいか?」
「いいですよ」
平泉だったら俺のアイデアも受け入れてくれる。
「明日の昼は、ひらいゼミの勧誘じゃなくて、陸上部の__」
「いやです」
「ん? いや、だから、蒼馬のために、勧誘の時間を、陸上部の映像を流すって時間に」
「いやですいやです。友達作りたいです」保育園の先生のように優しかった平泉が、今は、お菓子を買ってもらえなくて地団駄踏む子どものようだった。
平泉のイヤイヤを蒼馬の友達になれるかもという、適当なエサで釣った。
俺はひとり放課後、とある部屋へ赴いていた。ノックをする。
中からは、『どうぞ』という声が聴こえたので、中へと入る。初めて来た場所だが、想像以上に広い。ひらいゼミの二倍はあるんじゃないだろうか。
片傍の棚には、歴代の生徒会が運営した記録がズラッと並んでいた。正面にある幅の広いテーブルに六つの椅子が長辺に三つずつ並ぶ。その奥には、生徒会長用のクッション性が高そうな椅子に生徒会長__瀬戸千代が座っていた。
「どうしたのかしら?」
俺は入り口の扉から離れ、生徒会長の右斜め前の椅子へと腰掛ける。
「単刀直入に言いいます。蒼馬……兼国から手を引いてください」
俺の言葉の意味を推し測るようにじっと見つめてきたが、彼女は『どういうこと?』と白を切るようだ。やはり、来て正解だったな。
「あんたは招かれざる生徒である兼国を誘き出した。これがこの一連の全貌だ」
「へぇ〜、面白いこと言うわね。まるで私が、兼国さんがやったのに気づきながら分からないフリをしていたみたいな言い方」
瀬戸の瞳はあの時のような吸い付かれるような魅力さは無い。
あるのは、ドス黒い憤怒を押し込めたような悍ましい色をした瞳。
「いや、最初から兼国が犯人だと特定していれば、兼国を誘き出す必要もない。あんたは、平泉が想定していたカプセルとは違う色を引いたから、誘き出すことを決意したんだ」
しなやかな両手をそっと瀬戸は組んだ、
「平泉がカプセルを引いた時点で、誰かがこの生徒会室に侵入したことにあんたは気づいた」
「どう言う意味?」
「四色を一から五までの計二十個のカプセルを用意していたあんたは、誰がどの色のカプセルを引いたかもメモっていた。不正が起きていないかを確認するためにね。既にピンクを四人が引いているのをメモで確認し、理解したんだ。__誰かが不正をしたって」
蒼馬が本来引いたピンクのカプセルを籤箱の中に入れたから、平泉は本来あるはずのない五回目のピンクカプセルを引いた。
「なるほど。で?」
「あんたはその不正をした人物の特定は出来なかった。カプセルの色を見せて、と犯人に聞けば、なにか疑われていると勘繰られ、ピンクのカプセルを用意される可能性があったからだ。ましてや、カプセルなんて捨てましたと言えば、それまでだからな。そこであんたは、これを逆手に取った。五番を持っている生徒を一堂に集めれば、不正した犯人を見つけ出すことができる」
違和感はもとからあった。
生徒会長が何時に来たかをメモっていたほどにマメなことをしておきながら、カプセルの色を把握しないことがあるだろうか。わざわざ、別々の色のカプセルに入れておいてだ。メガネん先輩のあの指摘で俺は、瀬戸がこの一件を裏で操っていたのではと疑い始めた。
「どうやって、わたしは五番を引いたの? あそこには高島さんも同席していた筈よ」
「それはあのメガネん先輩が言っていた通りにしたんだ。カプセルを緩めておいた。だからこそ、あの時あんたは、驚いた」
目を細めた彼女は組んでいた指を離し、テーブルにそっと手を置いた。
「それに気づき、あなたは私の思惑を防ぐためにあんなことをしてくれたのね」
「えぇ。まずあんたは、もし、兼国が自白しなかった場合は、蒼馬が陸上部の放送をする前に、今回の一件をバラそうとしていた」
五十音順であれば、陸上部は一番最後だからな。その前に、生徒会長が陸上部の不正を告発すればかなりの衝撃が走るだろう。全校生徒の前で鉄槌が下されるのだ。
「そのため俺は、兼国にあんたへ謝罪するよう伝えた」
「わたしが律儀にそれで、許したとでも?」
「いや、それが狙いじゃない。あれは、その場にいる生徒会メンバーに謝罪したという図を見せることが狙いだった。そうすることで、あんたが暴露できない状況を作った。生徒会室で生徒会長に謝罪したという図を生徒会メンバーは知ってしまったからな」
鼻息を漏らし、胸の前で腕を組んだ瀬戸は俺から目を逸らさない。
「あなたはそれでも暴露をする可能性を考慮して、誕生日という強い言葉をあの放送で使った。誕生日を祝わせることで、その空気を壊すことができないといった心理的圧迫を私に与えた」
そう、俺は陸上部に注目を集めるためにあのような恥ずかしすぎることをやったのもあるが、瀬戸に蒼馬の信用失墜をさせないために、一手を打っていた。
「知ってる? 私結構、イライラしてるの」
「知ってます。青筋入ってますし」
呆れたように鼻で笑い、瀬戸は椅子に凭れかかった。
「私のイベントに不正をするような疎か者はこの学校から除外したいの」
「そこをなんとか、許してもらえませんか?」
俺と生徒会長ではあまりにも影響力に差がありすぎる。瀬戸が軽く噂を広めれば、ローソクに灯った火を消すかのように、すぐに蒼馬の信用が地に落ちる。それだけは防ぎたかった。
「いいわよ」
「えっ?」
まさかの言葉に俺は、口を少し開けてしまう。
「正直、不愉快ではあるけれど、それ以上に面白い人材を見つけられたから」
「……それはなによりです」
「君に免じて、不問に付そう」
俺は『ありがとうございます』と告げ、踵を返す。
後ろからは、『忠告しておく』と付け加えられたので、振り返った。
「平泉さんに気をつけなさい」
その意味が理解できずに問いかけようとしたが、彼女は俺に対して興味を失ったように手元でしていたであろう作業を再開し始めた。
俺が扉を開こうとしたところで、『あと、顧問を見つけなさい。今週中に』と生徒会長から面倒な課題も付け加えられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます