幸せにしたい

 目を開くヒメナを眺めながら、カミラは鼻を鳴らす。


「驚いた? ひーちゃんはいろいろ変わったの。まぁ、当たり前ではあるよね。十二年も経ってるわけだから……」


 寂しさを漂わせながら、カミラは続けた。


「でも、驚くのはちょっと早いよ」


「どういう意味ですか?」


 ヒメナがきょとんとした直後だ。お花屋さんごっこが一段落したなかで、過去のカミラが尋ねた。


『将来、ひーちゃんはお花屋さんになりたいの?』


『ううん、騎士!』 


 即答に、ちくりと胸が痛んでしまう。それは、ヒメナが事実を直視できるようになったから感じたものだろう。


 過去のヒメナが語ったその夢は、ひどく空虚なのだ。


 イメルダに好かれていたい、イメルダに嫌われたくない──ただそれだけの、浅く、つまらない、子どもじみた感情から生まれた夢。そこから目を逸らし、理由をそれらしいものに挿げ替え、夢を耳触りよく聞こえるようにしてきたのが、これまでのヒメナだった。


『それはどうして?』


 過去のカミラが問う。このやり取りを思い出せたわけではないが、過去のヒメナがする回答は読めた。


 ガルメンディアのため、だろう。

 それこそが、夢が耳触りよく聞こえるために挿げ替えてきた理由だ。ヒメナは思わず、目を逸らしてしまう。


 ──やめてくれ。これ以上、わたしに愚かなわたしを見せないでくれ。


 引き結んだ唇は、もはや痛んでいた。

 目を逸らすだけでは足りない。ヒメナは目を瞑ろうとする。

 だが、ふと湧いた違和感がそれを妨げた。


「……?」


 ヒメナは目の前で流れる、過去の光景にふたたび目を遣る。


 ガルメンディア家のために騎士になるという話は嘘だった。それゆえ、その話をするときはいつも後ろめたさがあったのだ。


 しかし、過去のヒメナからは後ろめたさが微塵も感じられない。姿勢を正し、しっかりとした眼差しを送っていた。むしろ、誇らしさのようなものが感じられる。


 不審に思っていると、過去のヒメナはぐっと両拳を握った。そして、力強く答える。


『えっとね、みんなを幸せにしたいから!』


 瞬間、胸の奥が揺さぶられた。


『幸せだと、笑ってられるでしょ? わたしはみんなの笑ってる顔がすきなの! だから、騎士になりたい! 騎士になって、みんなを幸せにするの!』


 過去のヒメナが語ったことに、ふらつきそうになるほど驚く。

 かつてのヒメナは、こんなことを言っていたのか。本当に過去のヒメナか疑ってしまう気持ちもある。ヒメナが額に触れていると、カミラが穏やかに言った。


「建前を言ったりしてるわけじゃないよ。このときのひーちゃんは偽りなく、心からみんなを幸せにしたいと思ってたんだ」


 カミラから言われてもなお、信じられない。


 しかし、過去のヒメナが嬉々として語るさまを見ながら段々と思い出してきた。確かに、昔はわくわくするような気持ちがいつもあった。それは騎士となり、人々を幸せにする未来を夢見ていたがゆえにあったものだったのかもしれない。


 だとしたら、安心する。胸が軽くなる。その感情は浅くも、つまらなくも、子どもじみてもなく、そこから生まれた夢も決して空虚ではないからだ。


 しかし、その安心はすぐ消える。ヒメナは顔を曇らせた。

 カミラは首を捻る。


「ひーちゃん?」


「そういった気持ちがあったことは、確かかもしれません。でも、いまはもうない。いえ、消されたのかもしれません。わたしに騎士を志させる、別の理由によって……」


 胸に穴が空いたような虚しさを感じながら、ヒメナは言った。すると、カミラは柔らかい声で返してくる。


「本当にそうかな?」


「え?」


 ヒメナは、眉とともに顔を上げた。カミラは声だけではなく、表情も柔らかい。


「減っちゃったかもしれない。でも、残ってるよ」


「どうして、言い切れて……」


「ひーちゃんのこと、ずっと見守ってきたからかな。具体的には、そうだね……最近だとこれかな。オリバのこと、憶えてる?」


「……オリバ・ニーニョですか?」


 オリバ・ニーニョは、人狼事件の第一被害者となったエマ・ニーニョの長男だ。


「サウロを捕らえて、尋問したあと、オリバに会ったよね? 彼から感謝されたとき、ひーちゃんはどう思った?」


「それは……」


 ヒメナは記憶と、それに付随する感情を呼び起こした。あのとき感じた気持ちを表現するなら、これ以外に言葉はない。


「……嬉しい、と思いました」


「それが、証拠だよ」


 カミラは頷いた。


「私はこう思ってる。ひーちゃんの心には、騎士として人を幸せにしたいって気持ちが残ってた。そしてあのとき、オリバたちの幸せを取り戻せた実感を得た。だから、ひーちゃんは嬉しかったんだよ」


 それが正しいかどうかは、ヒメナですらも分からない。

 しかし、その言葉はじわじわと心に馴染んでいった。その感覚はとても心地よい。身体は温かくなっていく。頭は冴えていった。


「それで──」


 カミラが何かを言いかけた、次の瞬間だった。

 景色がぱんっと切り替わる。ヒメナとカミラは、静止したレティシアとイメルダがいる地下水路に戻ってきた。


「わわっ、もう限界? 厳密には神殿じゃないから?」


 カミラは慌てた様子でいる。しかし、すぐに落ち着きを取り戻した。


「まぁ、やりたいことはやれたかな。約束も果たしたって言っていいよね? じゃ、私はこれで」


 呟いたのち、カミラの全身が透けていった。もう去ってしまうのか。ヒメナは呼び止めようとする。


「カミラ様っ……」


「早いお別れでごめんね」


 カミラは申し訳なさそうな顔を作った。


「私もひーちゃんともっとお話したかった。まぁ、それは次の機会ってことにしよっか。そのためにも、ひーちゃんは生きて。そして、レティシアを救ってあげて」


「アンヘルを……?」


「うん、ちょっと罪悪感があるんだ。私を崇める子たちのせいで、私が魔女戦争で天使を遣わせたせいで、あの子は苦しむことになったから……」


 伏せた目を数秒で上げてから、カミラはふたたび言葉を紡ぐ。


「だから、二人で生きて。大丈夫だよ。私はいつだってひーちゃんのそばにいる。そして、いつだってひーちゃんを守ってるから」


 カミラは掲げた右手を、空気を乗せるようにして開いた。その姿のまま、完全に消える。


 瞬間、ふたたび時が動き出した。地面に這っているレティシアに向け、イメルダが剣を振り下ろす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る