失望

「そんなっ……では、つまり……」


 あの日の真実を知ったヒメナは、瞳を揺らす。


「人狼事件の発端となった、一度目の襲撃……エマ・ニーニョを殺した犯人は人狼ではなかったのですか……?」


「その通りだ。犯人は、この人工悪魔だった」


 ヒメナは驚きから口を塞ぐ。そのまま、しばし呼吸することを忘れてしまった。

 だが、ふと得た気付きが、止まった呼吸を再開させる。


 答えが出たと思った謎があった。だが、その答えはまったくの的外れだった。そもそも、謎自体が前提から間違っていた。


 なぜ、人狼はダミアンへの襲撃を中断したか。

 間違っていたのは、この問いの主語だ。


 エマ・ニーニョを殺した犯人が人工悪魔なら、ダミアンを襲ったのも人工悪魔に違いない。

 ゆえに、正しい形はこうなるのだ。なぜ、人工悪魔はダミアンへの襲撃を中断したか。


 問いがこの形となるなら、答えは簡単だった。

 それはきっと、不味かったからだ。


 悪魔が好むのは、女性の血肉だけ。

 だが、ダミアンは男性だ。だから、一口囓ったところで味に違和感を持った。それこそ、人工悪魔が途中で手を引いた理由だったのだ。


「あのときは焦りに駆られたよ」


 イメルダがくつくつと笑う。


「人工悪魔の存在が明るみになってしまうと思ったからだ。そうなったら、一巻の終わり。私は研究を中断せざるをえなくなっていた。ただ、そうはならなかった。嬉しい誤算があったからだ。それがなんだか分かるか? ヒメナ」


「……レルマ支部が犯人を、人狼だと見立てたことですか?」


「正解だ。そこから、私はその誤った見立てを利用する形で、事件の真相を隠す方向に舵を切った。以降はもう予想通りだろう」


「人狼として事件の濡れ衣を着せられる市民に、サウロを選んだ……?」


「あぁ、サウロは好都合だった。レルマに転居してきたのが最近だったことも、転居回数が多かったことも、サウロが人狼で犯人であるという嘘を補強する良い経歴になってくれた」


「二回目以降の襲撃はすべてサウロで……?」


「そうだ。事件を頻繁に起こしてもらうため、人狼魔術は飢餓感がこまめに出る調整を施しておいた」


「すべては、母様の思惑通りだったということですか……?」


「ほぼ思惑通りだが、すべてではないな。真相に辿り着く者が現れたからだ。ただ、それはお前だった。だから、焦りはない。逆に誇らしさがあるよ。さすがだ、ヒメナ」


 褒められたヒメナは俯き、唇を結んだ。それはこんなときであるにもかかわらず、イメルダが世界を混乱に叩き落とそうとしている魔女だと知った直後であるにもかかわらず、反射的に喜びを抱いてしまった自分が信じられなかったからだ。


「さて、これで理由は分かったな?」


 イメルダは一呼吸挟み、確認するように言った。


「犯人が、私の生み出した人工悪魔なら知られてはならない。ガルメンディアが名声を取り戻す機会を失い、それ自体でガルメンディアはさらに地位を落とすことになってしまうからだ。だから、そうならないために──」


 ぐいと距離が詰められる。


「もう一度言おう。ヒメナ、アンヘルを殺せ」


 見据えられたヒメナは息を細く吸ってから、視線を逸らした。すると、イメルダは目を眇める。


「人を殺めることが怖いか? だろうな。それは理解した上で命じている。騎士を続けていれば、人を斬る機会など何度もある。ここで慣れておいてほしかったんだよ」


「い、いや……そうでは……」


「なら、後処理を懸念しているのか? それなら問題ない。サウロ・ハシントに罪を被せる。サウロの仕業だとしたら死に様がやや不自然になってしまうが、それは私の魔術でなんとかしよう」


「ですが……」


「では、なんだ。アンヘルへの情から躊躇でもしているのか? だとしたら、そんな情は捨てろ。自覚が足りていないようだな。お前はヒメナ・ガルメンディアだ。それがガルメンディアのためになるなら持っていろ。逆にそうじゃないなら捨てて、犬にでも食わせてしまえ」


「そ、そんな……」


「同じことを二度も言わせるんじゃない。私を待たせるな。私がやれと言ったらやれ。お前はそれでいいんだ」


「……」


 ヒメナは黙り、息苦しさを感じながら考える。


 自覚ならあったはずなのだ。いや、自覚どころか覚悟があった。ヒメナはガルメンディアに生涯を捧げるつもりでいた。ガルメンディア家のためなら何だってするつもりでいたのだ。


 だが、その覚悟は甘かったのか。

 レティシアを斬ることだけは、どうしてもできなかった。剣を向けるだけはしてみようとしても、手と腕はまったく動いてくれなかったのだ。


 しかし、それができないとイメルダの顔はより険しくなってしまう。幻滅されたくない。嫌われたくない。だが、そのためにはレティシアを殺さなければいけない。それはどうしてもできない。


 しなければいけない。できない。しなければいけない。できない。ヒメナは何度も思考を行ったり来たりさせる。


 やがて、自然と涙が溢れてきた。足はがくがくと震え、じきに立っていられなくなる。

 ヒメナは地面にへたりこみ、眼下の地面を濡らす。


「ごめん、なさい……ごめんなさいっ……」


 できない、は言わない。ごめんなさい、をただ重ねていった。そうするなかで、ふいに溜息を吐く音が響く。


 ヒメナは、涙に塗れた顔を上げる。すると地面で死にかけている虫を見るような、イメルダの目が視界に入った。


「残念だよ、とてもな」


 その声はひどく低く、ひどく暗い。


「お前を育てるために費やした時間や金、すべてが無駄だった。私の言う通りにならない娘など要らない。アンヘルとともに、お前は死ね」


 言われたヒメナが、心臓を抉られたような感覚を味わった直後だった。


 ヒメナとレティシアが立つ地面それぞれに黒い靄が現出する。急に足場が取り払われたような感覚とともに、重力を感じた。人工悪魔を呼び寄せたのと同じ転移魔術だろう。イメルダは二人をどこかへ飛ばそうとしているようだ。


 気付いたときにはもう遅かった。抗う気力があったかどうかは別として、抗う術はもうない。重力に身を任せることしかできず、ヒメナは靄へ落ちていった。


 ただ、ここで妙なことが起きる。

 傍らにでうずくまっていたレティシアはそのまま落ち、靄に消えた。しかし、ヒメナを呑み込もうとしていた靄は途中でなぜか消し飛んだのだ。


 ヒメナは戸惑う。イメルダも訝しげに目を細めていた。

 ふたたび、ヒメナが立っている地面に黒い靄が生まれる。今度は風穴のような吸引力を伴っており、途中で消えることなくヒメナを呑み込んだ。


「ぐっ……」


 靄を抜けたのち、放り出されたのは広い空間だった。

 転がされたヒメナは、レティシアの隣で止まると、すぐに身を起こして顔を上げた。

 周囲には区分けされた檻に囚われた、大量の人工悪魔がいた。ここが研究所の地下室か。


「考えが変わった」


 頭上の靄から、イメルダの声が降ってきた。


「お前たちは人工悪魔の餌にする。数ヶ月に一回、女の血肉を与えないと騒がしくなるからな。利用価値がないなら作る。せめて美味い餌になれ」


 靄が収縮し、完全に消えた瞬間だ。

 鍵が解かれる、ガチャリ、という音が何重にもなって響き、檻の扉がすべて開け放たれた。奇声を発しながら、人工悪魔がみなヒメナとレティシアへ迫ってくる。


「こ、のっ……」


 レティシアは片手半剣と短剣を握り、応戦に出た。


「ああああっ……!」


 必死の形相で、レティシアは人工悪魔を次々と斬っていった。しかし、イメルダの剣でつけられた傷が痛むのか、レティシアは右脚を庇うような戦い方になる。いつもの華麗さがまるでなかった。

 ヒメナはそもそも応戦する気力がない。迫り来る人工悪魔の群れをただ眺める。


 やがて、レティシアもヒメナも圧倒され、殺到する人工悪魔の山に埋れてしまった。

 腐った生ゴミのような臭いを感じながら、象が乗っているのかと錯覚するほどの重さを感じながら、ヒメナは思う。


 最早、死は免れないだろう。それは覚悟した。しかし、覚悟をしてもなお死は怖い。安心したくて、誰かの存在を感じたかった。


 ヒメナはレティシアに向かって、人工悪魔の隙間から手を伸ばす。すると、レティシアもヒメナに向かって手を伸ばしてきた。

 指先が触れ合い、手が繋がる。

 温かかった。安心した。いずれやってくる死も受け入れられそうな気がしてきた。


 ふいに眩しさを感じたのは、そのときだ。

 原因は目の前にあった。レティシアの身体が、なぜか白く発光していたのだ。


 ヒメナが怪訝な顔をしていると、突如として、ダンッ! という音が響いた。直後、すべての人工悪魔が周囲に吹き飛ばされる。


「……」


 臭いと重さから解放されたヒメナは、ぽかんとしていた。

 レティシアもぽかんとしていたが、やがて事態を理解したかのように表情を引き締める。その後に辺りをきょろきょろと見回し、脇にあった扉を指差した。


「ヒメナちゃん、チャンスだよ……あそこから逃げようっ!」


「あっ……」


 ヒメナは引っ張られ、起き上がる。そのまま、レティシアに導かれる形で扉へと駆けていった。

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