不可解

 ぶわっ、と鳥肌が立った。思考が凍りつきそうになる。

 しかし、一つの疑問がふと生まれたことで、その思考は止まることなく巡った。


 魔女がサウロに人狼魔術と改憶魔術をかけ、犯人に仕立て上げたことまではいい。

 だが、ヒメナとレティシアを使い魔に監視させていた理由はなんだ。どうして、静観の姿勢を取っていた?


 人の行動を操れる魔術などたくさんある。そのどれかで偽でもなんでも目撃証言を作らせ、ヒメナとレティシアの注意をサウロへ向けさせれば、魔女が望む形で人狼事件により早く幕を下ろすことができたはずだ。


 だが、しなかった。それは、その手段だと得られないものがあったからだと考えるべきだろう。ならば、その得られないものとは何か。


 答えはなかなか出なかった。ただ、これならば出る。魔女が人狼事件の解決を急がなかったから生まれ、急いでいたら生まれえなかったもの。

 それは、ヒメナとレティシアが功績を立てられる未来だ。


 分かりやすい目撃証言で人狼を特定しても、ヒメナとレティシアが評価されることはない。人狼が特定できれば、次にすべきは捕縛となり、捕縛はきっと他の騎士によってなされていた。ヒメナとレティシアが人狼を倒すこともなかった。これでは、功績を立てられないのだ。


「わたしたちが手柄を立てることを、魔女が望んでいたとでも言うのか……?」


 だが、そこで一部に誤りがあることに気付く。

 その誤りは、使い魔の蛇と戦っているときに覚えた違和感から導き出されたものだった。


 すべて振り返ってみたが、間違いない。

 一貫して、蛇の使い魔はレティシアだけを標的にしていた。ヒメナに攻撃の矛先を向けたことはあったが、それはどちらかと言うと、身に迫った危険への対処という色が強かった。


 となると、レティシアはどうでもよかったということになる。魔女が手柄を立てさせたかったのは、ヒメナだけなのだ。

 逆に言うなら、ヒメナに功績を立てさせたいと考えそうな人間が魔女ということか。


 瞬間、ヒメナの頭に一人の人物が浮かんだ。だが、その人物の顔は即座に頭から消そうとする。いくらなんでもありえない。ヒメナが知る限りで、その者はレルマで最も魔女から遠い存在だと言えたからだ。


 だから、こう思う。きっと前提から間違えていたのだ。

 これまでに積み重ねた思考をすべて一蹴するように、ヒメナは小さく笑った。


 ザッ、ザッ、と土を踏みつける音が響いたのは、そのときだ。

 ヒメナは振り返り、足音の持ち主を捉える。


 その者は、騎士団のエンブレムを彫られた、肩当て、腕当て、膝当て、脛当て、鉄靴に身をつけていた。腰には両手剣が提げられ、ロングの髪はヒメナと同じ深海色に染まっている。


「母、様……」


 現れたのは、イメルダだった。


「なぜ、ここへ……」


「……ヒメナがここにいると知ったからだ」


「知ったって、どうやって……」


 その質問には答えず、イメルダは話を進める。


「ここに来たのは、お前に下したい命があったからだ」


「命……こんな時間にこんな場所で、ですか? 明日、屋敷で伝えるのではいけなかったのでしょうか……?」


「ダメだ。この指令は急を要する」


「その、内容は……?」


 ヒメナは恐る恐る尋ねた。イメルダは一呼吸置き、答える。


「アンヘルを、殺せ」


「へ……?」


 ヒメナは驚きのあまり、気が抜けた声を洩らしてしまった。レティシアは、イメルダに鋭い眼差しを送る。


「理由が、理由が分かりませんっ……」


 説明を求めるヒメナに、イメルダは淡々と言った。


「理由は後ほど話そう」


「い、いま教えていただくことはできないのですか……?」


「できない。くり返しになるが、急を要するからだ」


 イメルダは、顔に段々と苛立ちを滲ませていく。


「私をあまり待たせるな。レルマ支部の支部長であり、ガルメンディア家の当主であり、お前の母親からの命だぞ。従う理由としては十分だろう」


 有無を言わさぬような剣幕だった。それでも、ヒメナは言い返す。


「それは、アンヘルが、死刑に値するほどの罪を犯したということでしょうか……? だとすれば、それはきっと冤罪ですっ……! 私は彼女を隣で見てきました。彼女は、決してそのような罪を犯すような人間じゃないっ……! 仮に死刑に値する罪を犯していたとしても、このような簡略的なやり方は避けるべきです……然るべき場所で、然るべき日時で、然るべき手段で行うべきで……だからっ……」


「ヒメナちゃん、もういいよ」


 ふいに肩をぽんと叩かれる。レティシアだ。ヒメナは口を開いたまま、そのレティシアに目を遣った。


「たぶん、どんなに頑張っても無駄。ヒメナちゃんの話は聞いてくれないよ。てゆか、あたしが気付くくらいだもん。ヒメナちゃんもホントはもう気付いてるんでしょ? 気付いてるけど、気付きたくないんだよね? まぁ、認めるのもそこから先のことをさせるのも酷かな。だったら──」


 片手半剣の切っ先が、イメルダに向けられる。


「死ぬべき人間がいるとしたら、あたしじゃない。あんただ!」


 レティシアは地を蹴り、突貫。イメルダの目の前で止まり、片手半剣を手前に引いたのち、それを水平に振った。刃が、イメルダの身に迫る。だが、なぜかイメルダは動かない。刃の動きを目で追っているだけだった。


「母様っ……⁉」


 なぜ、防御も回避もしないのか。ヒメナが訝しんでいた、そのときだ。

 思わず、目を疑ってしまった。イメルダの剣が、ひとりでに鞘から飛び出したのだ。その剣はイメルダの眼前にて、宙に浮くような形で固まる。


「──っ⁉」


 レティシアが瞳を剥く。彼女の一撃は、宙に浮いた剣に阻まれた。

 今度は、剣が意思を持つ一体の動物のようにしてレティシアに襲いかかっていく。レティシアはその剣と何度か斬り結んでから、距離を取った。


 次の瞬間、ヒメナはふたたび目を疑うことになる。イメルダの剣が四振りに分身したのだ。その四振りは矢のように、レティシアへと飛んでいった。


 二振りは避けられる。一振りは短剣で弾き、なんとか軌道を変えられた。だが、残りの一振りはどうすることもできない。その一振りに右腿を裂かれ、レティシアは苦悶の声を響かせた。


「あぁっ……」


「アンヘル!」


 レティシアに視線を飛ばす。傷は深くなさそうだ。それを知って、ヒメナはイメルダにふたたび目を向けた。そして口を歪ませ、瞳を潤ませながら、声を絞り出す。


「そん、な……そんなっ……」


 目にした光景が、すべてを証明していた。


「母様がっ……母様が、魔女なのですかっ……⁉」


 ヒメナは叫ぶようにして尋ねる。


 だが、尋ねる必要などなかった。間違いなく、イメルダは魔女だ。ここに現れた時点で、レティシアを殺させる命令を下してきた時点で、それは自明だった。だが、分かりたくなかった。分からないようにしていた。すべて、レティシアが言った通りだった。

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