ハゲ親父の逆襲

@oka2258

情けは人の為ならず

金曜の夜、田村宗司は帰宅途中の終電の窓に映る己の顔をまじまじと見た。


(禿げ上がったまん丸い顔、丸い眼鏡に細く垂れ下がる目、顔の真ん中に陣取る獅子鼻に大きな耳と口、そして固太りの身体。

見れば見るほど人の良さげな中年オヤジだな。

若い奴らに冴えないオッサンと舐められるのも無理はない。


情けは人の為ならず、人に頼まれたことは断るな、陰日向なく人一倍働けという父の教えに従って生きてきたのだが、もうそんな時代じゃないのかもな)


そう自嘲するのは、今日も若い部下に仕事を押し付けられた挙句に、陰口を叩かれているのを聞いたからだ。


「あのハゲオヤジに今日も仕事を押し付けてやったぜ。

この資料じゃあ使えないなんて言いやがったから、俺は精一杯やりました、これ以上のことを求めるなら課長がやってください、

無理な仕事をさせるならパワハラだと相談窓口に訴えますよ。


管理職なら残業は関係ないでしょうって言ってやったらため息ついてもういいよだって。

オレのバックには部長がいるんだぜ。

それが分かってるから何も言えないんだ、ダサいオヤジだ。」


そう言って高笑いするのは入社3年目の山田。


使えないくせに口ばかり達者で仕事の邪魔をすると、前の課をお払い箱にされ、人事課長から鍛え直してくれと押し付けられたのだ。


女の子を集めての飲み会が得意で部長に取りいっている。


「アタシは見積もりの間違いをしたけど、顧客にお詫びに行くのと、訂正業務を押し付けてやった。

フォローをするから自分のミスは責任を取りなさいなんていうから、女性に嫌がる仕事をさせるのはセクハラだと騒いでやったら、もういいって自分でやってたわ。

私なんか部長はおじさんだからね。

何かあったらすぐに訴えてやる」


その相手をするのは2年目の香川リカ。

コイツは部長の縁故で入ったものの、1年で何度も大きなミスをして、引き取り手がなく部長が田村に押し付けたのだ。

何度指導しても全く聞く耳を持たない。


二人に手を焼きながら、縁あって上司になったのだからなんとか一人前にしてやろうとしていたのだ。


しかし、自分がすべき仕事を引き受けてくれた上司に感謝も謝罪もなく、ミスを押し付けて平然と飲みに行く二人を見て、田村は疲れ果てた。


更に、夕方に呼ばれると、唐突に部長から「他の課が手一杯だから暇なお前の課でやってくれ」といわれる。


その中身は所掌外の面倒なトラブル案件。

それを月曜までに片付けて結果を机に置いておけと言われる。


役員にいい顔をしようと、各部で押し付け合いの仕事を拾ってきて、田村の断ることができない性分と見かけによらず有能なことを見込んで押し付ける気だったのだろう。


これは部下にさせる訳にはいかず、自分で対処しなければならない。


今日も終電での帰宅になった。

まあいい、明日の土曜日は幸い天気もいい。趣味の山登りで気分転換し、日曜に休日出勤をしてこなせばなんとかなるだろう。


宗司がそんな計算をして帰宅する。


玄関に入ると、リビングにいた大学生の娘の麻里は顔を見るなり舌打ちをしてイヤホンを耳につけて、部屋に向かった。


麻里のこの習慣は高校の頃からなのでもう5年にもなる。

父親を毛嫌いし、口もきかず話も聞かない。

顔を見ると舌打ちし、しばしば死ねばいいのにとか、帰ってくるなという暴言だけを吐く。


悩んだ宗司は専門家に相談したが、思春期の一時的なもの、成長すればそのうちしなくなりますという無意味な言葉しか返ってこなかった。


長男の大地は自分の部屋らしく大きな音がする。

大学を出たが、就職せずにユーチューバーを自称し、何か配信して稼いでいると言っている。

と言っても、いまだに生活費は親が出し、小遣いすら妻から貰っているようだ。


妻の綾子はと言うと、まだ帰っていないようだ。

最近、特に帰りが遅く、しばしば泊まりの旅行にも行っている。

友達との旅行と言っているが、その派手な若作りを見ると浮気しているかもしれない。


しかし、宗司はそれを明らかにした後、離婚を含めてどうしたいのかを考えるのが億劫で、先延ばしにしていた。


「親父、お袋が泊まりの旅行だから家事を頼むと言ってたぞ。

それと今日はアンタが飯を作らないから外食にした。飯代をくれ」


大地が部屋から出てきて手を伸ばす。

千円札を3枚渡し、流しに溜まった洗い物をする。

この後は掃除をして、風呂に入ろう。

その後は洗濯をしなければならない。


育児が大変だと言われ、子供が生まれてからは家事の大半を宗司が行い始めたが、子供が大きくなっても綾子は家事をせず、パートで稼いだお金は全て自分の小遣いにしている。


妻や子供にとって宗司はATM兼家政夫の、言うがままに従うのが当然の存在となっていた。


翌朝早くから、宗司は一人で近隣の山に登り始めた。


「山はいいなあ。

つまらない悩みを忘れることができる」


森林の空気は澄んでいて心が洗われるようだ。


「親父の言っていた通り、誠意を尽くして生きていればお天道様はみてくれる。そのうちにみんなわかってくれるだろう」


頂上で自分の作ったおにぎりを食べながら、そう独り言を言い、宗司は山を降り始めた。


行きは晴天だったが、急に黒雲が出始める。

もう降り始めるだろう。


「いかん、急がねば」


そこに道端から下を覗き込んでいる中年女性がいた。


「どうしました?」


尋ねると、スマホで植物の写真を撮っていたら落としてしまった、取ってきて欲しいと当然のように言う。


どうやらそのために人を待っていたようだ。


(山ではお互いに助け合うことが大事だ)


当たり前のように言う女性に思うところはあったが、宗司は崖を下ってスマホを取りに行く。


ポツポツと雨が降ってきた。


慎重に降りて、スマホを掴むとゆっくりと上がっていく。


女性は宗司の手が届くところに来ると、「早く頂戴!」とスマホを奪いとった。


「うっ!」


ガーン

宗司は激しく身体を叩きつけられる。


急に手を取られてバランスを崩した宗司は雨で滑りやすくなったこともあり、下に転がり落ちる。


「私は知らないわ、雨も降ってきたし早く帰らなきゃ」


女性は宗司を振り返ることもなく立ち去る。



「うーん」

しばらく気を失っていたようだ。


宗司はようやく気がついた。

もう日も暮れかけている。


身体中が痛いが、特に頭を激しくぶつけたようで、ガンガンする。


(仕方ない、今日はここで泊まろう)

緊急用のシートを被り、非常食を食べる。


その下はずっと崖になっていて、ここで引っ掛からなければ岩にぶつかり死んでいただろう。


痛みのあるところをチェックするが、幸い骨は折れていないようだ。


落ち着いてくると、死の恐怖ともう死んでも良かったかという思いが湧いてくる。

会社でも家庭でも真面目に生きている自分が侮られ、いいように使われている。


おまけに唯一の息抜きの山でも悪意に晒された。


心の奥底に隠していた思いが溢れ出す。


「くそー!

馬鹿にするな!


あのクソババア。

スマホを拾わせておいて突き落とすか!


部長、山田、香川!

なんで俺がお前たちの尻拭いをしなきゃならんのだ!


綾子、大地、麻里、お前たちもだ!

俺はお前達の奴隷じゃない!」


宗司は真っ暗な山の中、一人叫んだ。


翌朝、宗司は山道に戻り、なんとか下山した。

あちこちから血を流し、酷い傷だったようで、医務室で手当てをしてもらうが、精密検査をするようにと言われる。


帰ると、綾子が帰っていたが、包帯で巻かれた宗司の傷のことを聞くこともない。


「何処に行っていたの!あんたがいないから、昨日は出前を取ったわ。食器を洗って、掃除洗濯を早くして」と怒鳴りつけた。


宗司は相手にせず、二階の一番狭い北向きの自室に向かう。

これまでは怒鳴られるとビクビクしたのだが、少しもそんなことは思わず、逆に怒りが沸騰しそうだ。


山の荷物を片付けると、一階に降りる。


リビングにいた妻や子供が宗司を見て、早く家事をやれと言ってくるが、無視して外に出た。


不快な家族から離れて、ホテルに泊まり、翌日は休暇をとって病院で精密検査をしてもらう。


頭をCTスキャンすると、脳の一部が内出血して損傷していると言う。


「ここは感情を司る部分です

ひょっとすると性格が変わったかもしれません。

そんな自覚症状があれば診察にきてください」


医者はそう言って診察を終えた。


(なるほど、自分でも冷たく、自己的な考えになった気がする。

どうせ一度は死んだようなものだ。

もう好きに生きてやる。

親父、悪いが、お天道様がいい顔をしないようなこともやらせてもらうぞ)


その日は高級レストランで飲み食いして、家に帰り、妻や子供の言うことは全て無視した。

田村家の家計は綾子が面倒だと言って押し付けたために全て宗司が握っている。


これまではあまりに高額でなければ言われるがままに金を渡していたが、これは自分が稼いだものだ。

これからは自分で使おうと宗司は決意した。


小遣いが欲しいのか、大地が話しかけようとしていたが、無視して部屋に入った。


翌日は出勤した。

週末に片付けろと言われた仕事はしていない。

部長がカンカンだと、ニヤニヤした山田が告げてくる。


部長室に呼ばれると、部長は、頼んだ仕事はどうなった!と怒鳴りつけた。


「馬鹿な部下の尻拭いでそんな暇はありません。

そもそも私の仕事でもないので、お返しします」


人が変わったのようにずけずけと言う宗司に部長は呆気にとられていた。


「あの香川リカは、部長の姪御さんですよね。

次々とでかいミスをするので部長からも注意してください。

それと山田、お気に入りのようですが、全く仕事ができません。

私では教育できないので、部長付きにしてください」


「貴様、ふざけるな!

俺が言ったようにやればいいんだ!

つべこべ言うな」


これまでに逆らったことのない田村に反抗され、部長は真っ赤になって怒鳴った。


「会社の規則ではご命令の仕事は私の課の所掌には含まれていませんが、何に基づいてのご命令ですか?

そこを明確にしてからお呼びください」


宗司はそう言って去ろうとすると、馬鹿にされたと思った部長は椅子を立って殴りかかってきた。


宗司は黙って三発ほど殴られたあと、


「助けてくれ!部長に殴られた!」

と叫び、廊下に出てもう一度同じ事を大声で言う。


「お前みたいなカスは俺の言うと通りに働け!」


よほど激昂したのか廊下で掴みかかってきた部長を居合わせた数人の社員は呆然と見守る。


(そろそろいいか)

宗司は部長の手を取って捻り上げた。

登山で鍛えた身体は中年太りの部長など相手にならない。


「傷害ですね。

警察を呼びます」


慌ててやってきた人事課長は、「会社の外聞にかかわる。警察はやめてくれ」と頼み込んだ。


「それは会社がどういう態度を取るか次第じゃないですか」


太々しく嘯く宗司はこれまでの小心翼々の姿とは人が違って見えた。

人事課長は言葉を失った。

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