第16話 受け入れの条件
「恥ずかしい……、いくら術に掛かっとったとはいえ、
拓嗣くんはすっかりと消沈している。横の
「あの、須賀さん、私は
「ああ、この度はご迷惑をお掛けして」
千歳の名乗りに、須賀さんは焦った様な表情になる。それに千歳は恐縮して「いえいえ」と首を振った。
「須賀さんは群青の依頼通りに催眠術を掛けはっただけやと思うんで。でもなんで群青はここまで極端になったんでしょう。術の掛かり方には個人差があるって聞いたことがありますけど」
須賀さんは困った様に頭を掻いた。言いづらいことなのだろうか。
「ええっとですね、催眠術って要は暗示なんですが、この術に掛かりやすい人っていうんもいろいろありまして、群青さんの場合は絶対に掛かって欲しいという思いが強かったことが、まずはあります」
「はい」
「そして、素直であること」
拓嗣くんの特徴に当てはまる。千歳は小さく頷いた。
「想像力が豊かな人」
これも当てはまりそうだ。以前同僚の
「感情表現が豊かな人」
これはどうだろうか。ああ、でも拓嗣くんは千歳のごはんを、いつも嬉しそうに「美味しい」と言ってくれている。これも感情表現のひとつだろうか。祐美さんのことで拗ねた様に怒っていたのも当てはまりそうだ。サプライズ好きなことも該当するだろうか。根本は人を喜ばせたいという思いである。
「集中力がある人、ですね」
これも確かに。お勉強が得意では無かったという拓嗣くんが、看護専門学校に入るために、地道にこつこつと受験勉強を続けてこられたのは、熱意もそうだが、きっと集中力があったからだ。
「なるほどです。あの、群青は思い込みが少し強いかなぁって思うこともあるんですけど、それは関係ありますか?」
「多少はあるかも知れませんね。掛かりやすい条件はいくつかあれど、人さまの意識などは千差万別ですから、掛かり方にも違いは出ます。掛からない方もたくさんいます。群青さんの場合は極端ではありましたが、全てにおいて受け入れ態勢ができてしまっていた、ということなのかも知れません。でももう解術しましたので、大丈夫ですよ」
須賀さんはそう言って、人好きのする笑顔を浮かべた。催眠術に限らず病院にしても、施術をしてくれる相手への信頼関係が重要だと聞くし、実際に思う。この須賀さんもそういったことに長けているのだろう。物腰も柔らかいし、対応もずっと丁寧だ。
「ほんまにありがとうございます。お手間をお掛けしました」
千歳が頭を下げると、須賀さんは「いえいえ」と優しい笑みを浮かべた。
「奥さまもご心配でしたでしょう」
「そう、ですね」
千歳は苦笑してしまう。やきもちだとかそういうのでは無く、異性のお友だちに対して、千歳の価値観と大きく違うものを持っている拓嗣くんを、どう受け止めれば良いのか分からなくなってしまっていた、今にして思えば、それがいちばん大きい気持ちかも知れない。もちろん周りの誤解だって怖かった。
不安であったことも間違いは無い。拓嗣くんとこれからも結婚生活を続けていけるのか、実はそんなことだって考えてしまった。夫婦は元は他人だ。価値観のすり合わせが大事だと思っていたのに、催眠術に掛かっていた拓嗣くんは、この価値観だけは千歳に寄り添ってくれなかった。
それが催眠術というものだと言われてしまえばそうなのだろうが、それは今だから言えることである。思いもよらなかったときには、どうしてこんなことに、と狼狽もした。
夫婦だからといって、譲れないことだってあるだろう。千歳だって、例えば拓嗣くんがお仕事を辞めて専業主婦になってくれなんて言えば、確実に反発する。
千歳はクリエイティブなお仕事がしたくて、今の広告代理店に入社した。結果配属されたのは画像処理部だったわけだが、自分なりに昇華して、今のお仕事を精一杯励んで楽しんでいる。画像処理にもいろいろあって、クリエイター感覚が必要なこともあるのだ。今や千歳の張り合いになっているそれを、そう易々と奪われるわけにはいかないのだ。
でも拓嗣くんはそんなことは言わない、そう分かっていたからプロポーズを受けたのだ。拓嗣くんと生きていくために、千歳は一世一代といえる決心をしたのだ。
大げさだと思われるだろうか。結婚は人生の通過点というのはその通りだが、生活の全てが変わるといっても過言では無いのだ。それだけ大きなことなのだから。
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