第15話 術が解かれたとき

拓嗣たくし、分かるな?」


 はらくんに少し硬い声で聞かれ、拓嗣くんはがっくりとしたままこくりと頷いた。


 原くんは白いスチール製の片開きドアの傍らにあるインターフォンを押す。間も無くスピーカーから『はい』と落ち着いた声の返事があった。


「17時からお約束をいただいている、原と申します」


『はい。どうぞお入りください』


 原くんは拓嗣くんをがっちり捕まえたまま、ドアノブをひねる。原くんがうなだれる拓嗣くんを引きずりながら入っていき、カレンちゃんと千歳ちとせも続いた。


 部屋の中はクリーム色の壁に天井、置かれているデスクや棚、応接セットも柔らかな暖色で揃えられていた。不安で彩られていた千歳の心が、心なしかほっと和らぐ。もしかしたらその様な効果を狙ったインテリアなのだろうか。


 そんな部屋の応接セットの横に、ひとりの白衣の男性が立っていた。長い真っ直ぐな黒髪は頭の真ん中あたりでポニーテールにしていて、歳はおそらく千歳たちより上、だがそう離れてはいなさそうだ。


「原さま、ようこそお越し、ってあれ?」


 にこやかだった男性は拓嗣くんを見て、目を丸くする。


群青ぐんじょうさん?」


「はい。原は私ですが、群青の友人です。この群青に掛けられたであろう術の詳細をお聞かせ願えますか。場合によってはその解術も」


「……私はこの研究所の所長で、須賀すがと申します。よろしくお願いいたします。ですがそれは、患者さまのプライバシーですので、私の口からは」


 須賀と名乗った男性が戸惑うと、拓嗣くんが顔を上げた。その顔には何かを決意したかの様なものが表れていた。


「先生、お騒がせしてしまってすいません。僕から話します」


「分かりました。まずはみなさま、こちらにお掛けください」


 須賀さんが応接セットに促してくれたので、ありがたく座らせてもらう。白いローテーブルを挟んで、クリーム色のふたり掛けソファに原くんと拓嗣くん、向かい合わせで並べられたひとり掛けソファのふたつには、それぞれカレンちゃんと千歳が。須賀さんはデスクから椅子を転がして来て、お誕生日席に置いてそれに掛けた。


「まず、群青さんはそれでええんですか?」


 須賀さんが気遣わしげに聞くと、拓嗣くんは「多分……?」と自信無さげに言った。


「あの、僕は女性と接するのが得意や無くて、それを克服したくて、うちのクリニックの患者さんの須賀さんが催眠術師やと知って、お願いしたんです」


 ああ、やはりそうだったか。千歳が想像していた通りだった。催眠術師さんと出会ったのはたまたまだったのだろうが、それに縋るにまで困っていたのだろうか。


 数年とはいえ一緒に過ごしてきて、今まで気付いてあげられなかったことに、千歳は情けなくなって、うつむいてきゅっと目を閉じた。


 夫婦とはいえ他人なのだから、全てを察することなんてできるわけが無い。それでもできることなら悩みに気付いて、寄り添ってあげたかった。


「ですが、それがちょっと行き過ぎというか、おかしな方向に行ってしまったみたいで」


 原くんが言うと、須賀さんは「と、言いますと?」と目を細めた。


「異性であっても、群青の場合は女性ですけど、友人なら腕を組んでもそれが普通だと」


「ありゃ」


 須賀さんは驚いた様で目を見張った。


「そこまで極端に行ってしまいましたか。それはいけませんね、下手な誤解を生みかねない。解術した方が妥当でしょう」


「私は群青を高校のころから知っています。確かに女性に対して奥手で、今でこそ好きな人とお付き合いをして結婚できましたけど、奥手ってそんな簡単に変われるものでは無いだろうって思ってます。そんな群青がこの様な価値観になってしまった理由があると思って、少し調べさせてもらいましたら、ここのお話を聞きまして」


 原くんは須賀さんに言ったあと、カレンちゃんと千歳に向き合った。


「詳しくは言うてへんかったけど、拓嗣が家と職場の往復が日々のメインなんやったら、職場に何かあるんとちゃうかって思ってな。直接勤め先のクリニックに電話して、院長に「拓嗣夫婦の危機です」言うて聞き出したんや」


「さすが原くんの行動力。お見事やわ」


 カレンちゃんが感心し、千歳も「凄い」と呟く。原くんがいなければ、こんなに早く解決には辿り着けなかっただろう。


「え、でも友人なんですから、男女問わず腕を組んだりって不自然なことや無いって、僕は思うんですけど」


 拓嗣くんがためらう様に言うと、須賀さんは「あ、こりゃあかんわ」と腰を浮かせた。


「群青さん、催眠術を解きましょう。施術室に入ってください」


「僕、何かおかしいですか?」


「解いたら分かりますよ」


 拓嗣くんは立ち上がると、素直に須賀さんに付いていった。この部屋の横側に片開きドアがふたつあり、その片方、奥のドアへと導かれる。


 時間にして数分だっただろうか、千歳たちは不用意に話すこともせず、黙ったままふたりが戻ってくるのを待っていたのだが。


 ドアが開かれて、穏やかな笑顔の須賀さんに促されて姿を見せた拓嗣くんは、顔を真っ赤にしていた。


「千歳ちゃん、ほんまにごめん……!」


 拓嗣くんは絞り出す様な声で、千歳に誤ったのだった。

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