第6話 思わぬこと

 また数日が経ち、冬の気配はますます濃くなっている。お仕事中の千歳ちとせは男性上司に呼ばれてデスクに向かった。


葛木聖かつらぎひじりてモデル、知ってる? 主に関西ローカルで活動してる子」


「はい」


 それはもう、とても良く。聖ちゃんの全てを知っているわけでは無いが、偶然とはいえお酒を酌み交わした仲である。聖ちゃんは記憶力が良いと言っていたので、千歳のことも覚えていてくれているかも知れない。


「今度、写真集を出すんやわ。撮影はグァムでもあるんやけど、国内のスタジオも多くてな。葛木聖は大阪在住やから、大阪のスタジオでやるってさ」


「そうなんですね」


 写真集が出るということは、それだけ人気が高いということだ。とても喜ばしい。


 撮影をする写真家さんがどこにお住まいなのかは分からないが、聖ちゃんにとっては馴染みのある地元の方が良い写真が撮れそうである。それも加味した判断なのだろう。


「で、その加工を全部、群青ぐんじょうさんに任せたいんや」


「私にですか? 全部?」


「うん。カメラマンの希望を聞くには、それがええと思ってな。実はな、そのカメラマンが、制作に関わる人間に、撮影に来て欲しいて言うててな」


「へぇ?」


 千歳は思わず目を丸くする。これまでも写真集のお仕事には携わったが、そんなことを言う写真家さんは初めてだった。少なくとも千歳が知る範囲では、なのだが。


「こだわりが強い人らしいねん。撮影んときの空気感とか雰囲気とかを見て、それを写真に乗せて欲しいってな」


「……そういうので、変わることってあるんですかね? 何となく分かる気はするんですけど」


「正直なところ、クリエイターの感覚ってやつやわな。ま、これも勉強のひとつやと思って行っといで」


「分かりました」


 千歳が所属する画像処理部は、各人が締め切りの早いものから取り掛かっていく形なので、誰かが抜けてもお仕事にさほど影響は無いのだ。


 だが、聖ちゃんの写真集を一手に引き受けるとなると、しばらくはそれに掛かりきりになるだろう。スタジオ撮影も屋外撮影も、プロが撮るものなら光源などがしっかりとしているから、比較的色味加工は楽なのだが、問題は造形加工だ。


 グァムでも撮影があるということは、水着もあるのだろう。聖ちゃんのスタイルを変に変えられたりしなければ良いのだが。こだわりが強い写真家さんなら、どちらに転ぶか。千歳としては、聖ちゃんのありのままの魅力が伝わって欲しいなと思うのだった。




 聖ちゃんの写真集の撮影は、グァムに先駆けて大阪の梅田うめだにある撮影スタジオで行われるということで、千歳は指定された日時にそのスタジオに向かう。


 営業担当は同期のゆずちゃんだ。ゆずちゃんは他の外出があるので、千歳たちとはスタジオで落ち合うことになっている。


 制作は出版社の制作部と企画制作部の合同、デザインとDTPは、平面デザイン部が行うことになっている。


 企画制作部は、映像媒体やWEB媒体、紙媒体など関わらず、広告の制作を一手に担う部署である。工程はそれぞれに違いがあるが、クライアントに企画を出すというところは変わらない。


 平面デザイン部は、主に紙媒体のデザインとDTPオペレーションを行う部署だ。今、広告はWEB媒体も多く、紙媒体の多くは失われてしまっている。だがお家のポストを見ればチラシは入っているし、一定の需要は続いている。


 千歳の会社はあくまで広告代理店なので、デザインなどは外注することも多い。だが納期が短いなどの都合で、社内で完結させることもある。


 今回の聖ちゃんの写真集は、広告も広報部が請け負うことになっており、写真家さんの希望に沿うには、社内で全行程を担う方が良いという判断なのだった。


 今日の撮影には営業部所属のゆずちゃん、平面デザイン部所属で1年先輩の山下聡美やましたさとみさん、広報部所属で3年先輩の佐賀屋真紀さがやまきさん、企画制作部所属で2年先輩の福田薫子ふくだかおるこさん、そして画像処理部所属の千歳が立ち会う。写真家さんの意向で、比較的若い、だが経験のある女性で固められたのだった。


 佐賀屋さんも他の外出があるというので、出先から直接撮影に向かうという。内勤の山下さんと千歳、そして部署の性質上撮影には基本的に立ち会う福田さんは連れ立って会社を出た。お昼休憩中の12時半のことだった。お昼ごはんは3人とも済ませてある。千歳は出勤途中で寄ったコンビニで買ったおむすびを2個とカップ豚汁をお腹に収めていた。


 梅田までは大阪メトロ御堂筋むどうすじ線で移動する。2駅で5分程度と短い時間である。時間には充分余裕があった。


「何や雰囲気を乗せるとか、意味分からへんのですけど」


 平日のお昼なのにそこそこ混んでいる車内でそうごちる山下さんに、千歳はおかしくなって「何でですか」と小さく笑う。福田さんも「あらま」と微笑む。


「山下さんはデザイン部署なんですから、私よりよっぽどクリエイティブですやん」


「そうかも知れんけどさぁ。私にはそこまでこだわりないからなぁ」


 ああ、そうだった、だから山下さんが抜擢されたのだろうな、と千歳は密かに納得する。写真家さんのこだわりが強い場合、デザインワークをする側の我が強ければ、ぶつかってしまう可能性がある。


 クライアントさん、この場合は出版社さんと写真家さんの趣旨を汲み取ることが最優先なのだが、場合によってはデザイナーが企画制作部と組んで提案をすることもある。それが受け入れられれば良いが、相手もこだわりが強ければ衝突してしまうことがある。それを避けるがための配置なのだ。


 平面デザイン部と写真処理部は関係性が強いこともあって、千歳は山下さんとも気安く話をすることができる。だから山下さんがクライアントに比較的素直なデザインワークをすることも把握しているのだ。


 だからと言って、プロ意識が低いわけでは無い。山下さんはクライアントさんの意見をすくい上げることに長けている、千歳はそう思っている。そして場合によっては発案する力もある。そこのさじ加減が上手な人なのだ。


 撮影スタジオは梅田の茶屋町ちゃやまちにあった。茶屋町は若い人に人気の街である。梅田駅から見ると東側に位置している。


 現在は阪神百貨店に移転が決まっているが、生活雑貨専門店ロフトのビルがランドマークと言えた。その横にはテレビ地方局であるMBSビルがある。


 その辺りに差し掛かったとき。


(……嘘やん!?)


 千歳の数メートル前で、拓嗣くんが華やかな女性と腕を組んで歩いていたのである。

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