3章 それぞれの役割り

第1話 カラフルな日々

 梅雨が明け、7月末になった。暑さが一気に襲い掛かり、じめじめと不快な日がやってくる。すでに太陽が凶器に思えてしまう。これからさらに激しくなるのだから、恐ろしいことである。しかしビールがますます美味しくなる。それは嬉しい。


 千歳ちとせの職場は心斎橋しんさいばしにある。大阪メトロ御堂筋みどうすじ線の心斎橋駅だ。そこの広告代理店で、パソコンを使用した写真加工を担っているのだった。


 クライアントから送られる画像、写真データを指示通りに加工する。全体の色調補正はもちろん、写っている人物のスタイル補正なんてものもある。お料理の写真に湯気を加えるなんてのもあるのだ。


 元写真のクオリティも様々で、基本は撮りっぱなしである。だがスタジオなどでプロによって撮影されたものは光源なども計算されているから、大きな加工は必要では無い。晴天の屋外で撮影されたものも、自然光のおかげで綺麗な写真なことが多い。


 クライアントによっては、素人さんがスマートフォンで撮ったものもある。今やスマートフォンの多くはAIが搭載されていて、アプリや設定によっては自動的に加工されていたりもする。それでも印刷に必要な場合、耐えうるかどうかを判断しなければならない。


 スマートフォンやデジタルカメラで撮影されたものの色彩は、光の三原色で表現されている。R=レッド、G=グリーン、B=ブルーで構成されているのだ。


 パソコンやタブレットにスマートフォン、それらはRGBモードで表示されるので、Webやアプリなどに使用されるのならカラーモード変換の必要は無い。だが印刷をする場合、CMYKモード、四原色に変換する必要があるのだ。


 C=シアン(スカイブルー)、M=マゼンダ(ピンク)、Y=イエロー、K=ブラックの4色で構成されている。


 主に家庭で活用されているインクジェットプリンタもこの原理である。インクカートリッジを買ったり取り替えたりするときに目にすることがあると思う。あれがまさに4原色なのだ。


 今やオンデマンド印刷など、データから直接出力が可能な印刷方法もあるが、商業印刷の多くがオフセット印刷である。オフセット印刷は印刷データをCMYKに分解し、それぞれのインクを重ね合わせることで完成する。


 RGBとCMYK、掛け合わせで表現できる色域にも違いがある。CMYKではRGBの一部を表現できないのだ。


 顕著なのがオレンジ色である。RGB環境で蛍光色にも近い明るいオレンジが表現されたとしても、CMYKでは表現することができず、くすんでしまうのである。


 なら商業印刷、例えばグラビアなどで表現されている様な鮮やかなオレンジ色は、特色というものが掛け合わされているのだ。DICディックカラーやパントーンカラーが有名である。


 そのオレンジ色は最初からそういう色のインクが作成されるのである。5色以上印刷は今や珍しいものでは無い。ありとあらゆる媒体で取り入れられている。もちろんその分コストは上がるのだが。


 今日もお仕事に勤しむ千歳は、クライアントの指示PDFを見て「ええ〜……」と思わず嘆いた。


 紫色のビキニ水着を着けて、お胸を強調する様なポーズを取っている若い女性のグラビア写真。千歳は知らない人だった。これから売り出す予定のアイドルなのだろうか。


 肘や膝、頬に胸の谷間が赤色の線で囲われ、「瑞々しいイメージで赤っぽく。特色使用可」、そして胸そのものも「大きく!」とあった。そして「全体的に肉感を増す」。


 それで艶かしさを出したいのかも知れないが、この女性はスレンダーな体型である。別人になりやしないか。ポージングもそうだが、この女性のせっかくのスマートな印象が無視されている。


 グラビアアイドルなどの多くは、ふっくらとして童顔のイメージの女性が多い様に思える。あくまでイメージだ。実際には体型はとても華奢だろう。細い骨格ながらも筋肉や脂肪の付き方で印象は変わる。


 この女性は肉付きそのものは良く無い。さすがに針金の様、とまでは言わないが、細っそりとした体型だ。お胸は控えめで、顔だって大人っぽい。


 その良さを生かしてあげないなんて、と、つい思ってしまう。だがそれがクライアントの意向ならば、こちらとしては従うまでだ。こちらができることは、可能な限り赤みを控えめにし、この女性の持つ良さをできるだけ消さないことだけである。


 この写真は印刷物となる。千歳は写真データのカラーモードをRGBからCMYKに変換する。すると全体に色味が少しばかりくすんだ。まずは全体の色相を上げるところからだ。パソコンのディスプレイプロファイルをCMYKモードに切り替えた。




 お仕事を終えてお家に帰ると、エアコンとリビングの電気がついている。白い不織布マスクで鼻と口を覆ったパジャマ姿の拓嗣たくしくんが、ソファで体育座りをしてテレビを見ていた。


「ただいま、具合どう?」


「千歳ちゃん、おかえり、お仕事お疲れさま。うん、だいぶんええわ。熱も下がった。マスクは念のためにしてるけど」


 拓嗣くんは、千歳と結婚して初めての風邪を引いていた。だから少し声が枯れている。喉がやられているのだ。熱はそう高くは無かったが、朝にはあった。


「ごはん、作ってくれるって言うから待ってたんやけど、良かったん?」


「うん。夏の風邪にええ食材ってあるんよ。それ買ってきたから」


「あ、薬膳やな」


「うん。ちょっと待っててね。あ、豚汁も作ってええ? 拓嗣くん食べられそう? 具はおくらなんやけど」


「うん、食べられる、食べたい」


「はぁい」


 千歳が薬膳をかじっているのは、拓嗣くんにも話してある。少しでも拓嗣くんの身体が丈夫になればと、取り入れることも言ってある。


 今は夏なので、赤いものを食べるのが良いとされている。パプリカや人参、まぐろにレバ、トマトや梅干しなども赤い。果物ならすいかやいちごなど。


 また、苦いものも良いそうだ。ピーマンやゴーヤ、ししとうなどが当てはまる。


 それらを取り入れつつ日々晩ごはんを作っていたのだが、そう急に良くはならないものだ。じっくりと取り組むことが重要なのである。

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