ふたりぽっち

 父は優しい人だった。

屋根の国の資産家で、聡明にして怜悧れいり

世紀末にあっても英才教育を施してくれる――

立派な人物だった。


物覚えの悪い子には容赦なく折檻したが、それも愛ゆえだ。


けっして残忍な嗜虐に駆られたのではない――

そう思いたい。ただ妹を守ろうと必死に庇う姉の姿に、どうしようもなく昂ぶってしまったのだ。


薄紫の瞳、白い肌、震える声で「パパやめて」と懇願されれば欲望が湧き上がるのも無理はない。



それはともかく――

ある日ぐったりした姉が寝室から出てきた。耳が嫌に湿しめっていた。


「お姉ちゃん、お腹空いたケェ〜」


「来ないで。今は触っちゃダメけぇ」  


「なんで? あ、おねぇ……」


次の日からより一層いっそう父が優しくなって、なんと娯楽の時間が許されたのである。


「ユー、テレビ見ようけぇ」


各国の文明がアンバランスを極めてる時代に、民間放送とは――。屋根の小国はよほど豊かに違いない。


「お姉ちゃん、ストップって言うケェ」


「ストップ」


「ケェー!」


それは国民に充分配慮された性的な一幕シーン


「ゔっ」


しかし姉メーは嗚咽おうと吐瀉物としゃぶつをぶちまけた。


「お姉ちゃん……?」


「大丈夫けぇ。早く片付けなきゃ」


妹ユーはとを交互に見比べた。


そして昨夜のおぞましい事実が、幼い心ながら、まざまざと見えた。妄想であった欲しかったが昨日に限って、風呂嫌いの姉が二度も入浴し、しかも長いこと帰ってこなかった。



ユーは覚束おぼつかぬ頭で考えた。

――そもそも1人で入ることがおかしいケェ。いつもは……。いつも……そうケェ。

毎日守ってくれて庇ってくれて……それは当たり前じゃなくて……。



ユーは吐瀉物を前にしゃがみ込んだ。

酸っぱくて、いやな匂いが鼻をつく。

指先を伸ばせば、まだ温かい液体が指の間からとろりとこぼれ落ちた。

普通なら嫌悪で顔を背けるはずなのに――

妹は目を逸らさなかった。


「……お姉ちゃんの全部を、呑み込みたいケェ」


両手ですくい、震える手ごと口に運ぶ。

むせ返るような臭気とともに胃の底がひっくり返る。


けれどその不快さこそが甘美だった。


「もっともっと不快で気持ち悪いケェ」


「ユー何やってるけぇ……ユーってばっっ」


声が届かない。恍惚うっとりして、それでいて激怒する様子は奇怪千万きかいせんばんだ。


「パパァー! ……に何されたか教えるケェ」


「ユーぅ……?」


「メー早く言葉にして」


「いやッ」


「逃げないケェッ」


背後からハグする形になって丁度ちょうどいつもとは逆の光景。


「貴方の服も汚れちゃうけぇ」


「ちゃんと名前で呼ぶケェね」


「掃除しないと……パパかママが来たら……ッ」


「お姉ちゃん……メーェ!!!」


「怖いけぇやめてユー」


「メー以外……全員、全部、全滅ケェ」


双子を囲って――

辺りに二酸化珪素にさんかけいそが広がってゆく。


「……なにこれ」


それは結晶化し――やがて石英せきえいとなる。


月魄人はによってその人外性を発揮する。


夜靡久よみひさなら好奇心と狂気をもとに異常な正確性を発揮する。


ユーなら陶酔とうすい憤慨ふんがいをもとに石英を生成する。しかし相反した心情ゆえ、生きてる間に仕組みに気付けるかしら。

それはともかく――


2人ぽっちでくっついて、ただただ寄り添う事しか出来なんだ。メーは広がる無色透明に恐怖して、ユーは疲労から動けないでいた。瀰散びさんした火花すら動きを停止した空間は一種異様だった。


「ユー……」


返事はなかったが腰辺りの布がグィッと引き寄せられ、メーはなんだかほっとした。そして父にされたように――耳を舐めはじめた。


「なにぃ」


「動かないけぇ……」


「……うん」


どうしてクソ親父と同じ行動をしたのか。

メー自身にも分からなかった。


「外にも広がってるのかな」


「……わかんないケェ」


「ありがとうけぇ。お姉ちゃんのために」


「……みんなおっんだか分からないケェ」


「それでも今はお姉ちゃんの中で休むけぇ」


「……これからは」


「うん」


「もうお姉ちゃんと呼ばないケェ」


「うん」


「ユーも貴方を守るから。ちゃんと名前で……」


「うん。お休みけぇ、ユー」


死物絢爛しぶつけんらんな豪邸。どいつもこいつも塑像のようにピクリともしない。まるで作りものの骸どもは冷たく冷淡なのに、姉妹の周りだけは温かくて夢心地。努々ゆめゆめ醒めぬ事を願うばかり。









――それは過去の話。


目の前には軍人の死体と――月魄之狂人よみひさ


「同族けぇ……」


メーは妹の死を恐れた。だから懇願した。


ねぇ屈んでッッ!!」


ユーは、姉の死を思うと胸が張り裂けそうだった。だから銃を握った。


「劇場で会ってるよね。どっちがメーでどっちがユーだっけ」


無数の銃弾が飛び散る。

しかし夜靡久に当たらないばかりか明後日の方向に飛んでいってしまった。


「そりゃ慣れてないと扱えないよ」


「助けて……妹だけでいいけぇ」


「わかったよ」


言って夜靡久は妹を狙い撃ちした。


「ダメ……ッ!!」


凶器を、身体全体で抑えるメー。

左肩を被弾するユー。


「ありゃ――キミ速いね。速すぎるよ」


「逃げて逃げてユーッッ!!」


「姉から離れるケェェエェェ」


「キミは遅いね。もっと早く立ち上がらないと」


『銃を抑え込む』

こればかりに意識がいき重心が下がり切ったところを夜靡久に利用され――簡単な動作で銃ごと押され、猪突猛進の愚妹と激突した。


「……んん」


「ねぇさっきの速さはどうしたの」


「あ、ユー大丈夫……!? ねぇしっかり」


脳震盪のうしんとうだよ。それで」


「あっち行くけぇッッ」


夜靡久は両手をあげ「攻撃しない」と示し座り込んだ。あまつさえ看病までしようしたが許されない。


「キミの瞬発力凄まじいね。どうして攻撃に活かさないの?」


「知らないけぇッ」


「水あるよ」


「……ッ」


「軍人さんから頂いた水筒だよ。安心してよ」


「ありがとうッ」


「――ボクの他に月魄人に会ったことある?」


「……劇場にいたスピィーリタウス?」


「スピリトゥス」


「そうけぇ。あとは妹ぐらい」


「妹ちゃんも何かできるの?」


メーは少し考えてから答えた。


「石英ってわかりますけぇ?」


「うん。クリスタルみたいヤツだよね」


「それを辺りにいっぱいに広げますけぇ。ユーを中心にして」


「2つ質問。生物も停止するのかな」


「はい。生物も動きを止めますけぇ」


「ならどうして捕まったの? そんな能力がありながら」


「発動する条件が妹のユーですら、よく分かっておりませんけぇ」


「そっか」


軍人の装備とか食料とかを剥ぎ取ると夜靡久はだるそうに立ち上がって、


「ついて来なよ」


「……その前に質問ですけぇ」


「どうぞ」


「生かす理由は……?」


「キミへの好奇心」

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