1-3:この世界のあらまし(1/2)



 女の子に手を引かれて夜の住宅街を駆け足で練り歩く。俺からすれば目的地がまるで分からないが、女の子からすればハッキリしているみたいに然りとした足取り。

 ふと顔を上げる。あの異質な空気が身体から徐々に抜けてきたのだろう。余裕を取り戻した俺は視線を上げて、俺を連れ去ろうとする相手を判別しようと試みる。

 藍色の髪……と思ったが、電灯に照らされて水色だと分かった。後ろからでも確認できる、左右に揺れる三つ編み。

 分かった。この子は万里だ。上妻万里。隣の席に座っていた文学少女のサブヒロイン。水色の髪を三つ編みにしているキャラクターなんてブルメモじゃ彼女くらいだ。

 でもどうしてあの場に……。


「この辺まで来れば一旦あいつらも諦めるでしょ」


 無言で歩き続けて数分、万里はペースを落とすように地面に吐息を落とした。


「万里……だよな?」

「今気づいたの?」


 呆れるように万里は俺を見た。

 誰に悪いわけでもないのに俺は慌てて勘違いを訂正する。


「いや手を引かれてる最中。その三つ編み、可愛くていいよな」

「馬鹿じゃないの……そういう言葉を求めてたわけじゃないけど」


 鼻を鳴らしながら視線を地面に放り投げて、三つ編みを細くしなやかな指でくるくると回している。電灯に照らされた白い頬は薄く桜色に染められていた。

 万里からは無関心だと思われていたからそんな反応をされると俺も困る。

 というか俺も俺だな。何でこんなナンパ紛いな言葉を投げかけたんだろう俺。

 取り敢えず話題を変えよう。ギャルゲー的展開は今求めてない。


「それで、何であの場に……」

「別に偶然だから。勘違いしないで」

「そ、そうか」


 早口で言い切った万里に、これがゲームなら絶対に俺の後を付けてるなとか考えつつ、気まずいから触れないようにする。


「何で俺をあの場所からここまで連れてきたんだ?」

「死にたかったの? 自殺志願者ならそう言ってくれれば放置したけど」

「い、いや違うが」

「なら絶対にあそこにいるべきじゃ無かった。私の忠告の意味、身を以て分かったでしょ?」

「まあ……何で襲われたんだ俺は」

「その話は少し長くなる。だから、先ずは入りましょう」

「何処に?」


 俺が問いかける「んっ」と万里は視線をマンションに向ける。


「家よ。榊田・・君、貴方の」


 ここ俺の家かよ。






 実のところ主人公の家族構成は不明だ。両親は健在らしいが、主人公が家族と暮らしている描写が無いのである。

 そして主人公の家がマンションの一室であるという事実───それはシナリオじゃ無かった話だ。

 一人暮らししていたのかこの主人公。高校生の癖に生意気だな。大学生の俺だってまだ実家暮らしだっていうのに。


 ポケットに入ってる鍵を出して一階玄関に入る。郵便受けの表札から三階だということが分かったのでそこからはエレベーターで上がった。


 303号室、つまり主人公の部屋のようだご、中はワンルームだった。ベッドに本棚、簡素なテーブルにテレビ。それから勉強机。それだけのシンプルな部屋だ。部屋の装飾を見る。主人公の趣味らしい趣味が見当たらないのもまたギャルゲーの主人公っぽい。


「意外に散らかっていないものね。ここ座っていい?」

「あ、ああ」


 万里は部屋を見渡すとベッドに座った。自然と俺は勉強机に付随する椅子に座ることになる。

 あ、その前に。


「飲み物いる?」

「そういう気遣い出来るんだ。じゃあガラナある?」

「ある訳ないだろ」

「あ、ガラナ分かるんだ」


 分かるんだじゃねえよ。北海道限定炭酸ジュースがそうある訳ないだろ。あんまり覚えてないが万里ってこんな性格だったのか。


「お茶で良いよ」

「最初からそう言えっての」


 憎まれ口を叩きながら俺は冷蔵庫の中身を確認した。

 全て2Lのペットボトルで水とお茶と紅茶とコーヒーがあった。ジュース類は無い。何だか高校生らしくない冷蔵庫だな。


 食器棚から取り出したコップに注ぐ。万里の分は言われた通りお茶、俺はコーヒーにしておく。


「どうも」

「ベッドに溢すなよ。そこ、俺が寝る場所なんだから」


 コップを渡して俺は椅子に座る。万里は一瞥もせずに水面を眺める。

 ……無反応かよ。

 やっぱ俺苦手だ、このヒロイン。

 万里が飲んだのを見て、俺も一口コーヒーを啜る。


「最初にこれだけ聞かせて。この質問の答え次第では私の話も変わってくるから」


 無言の空間に万里の神妙な声が響いた。

 射貫くような翆色の視線に俺は唾を飲み込んで頷く。

 何を話すつもりなのかは知らないが、俺には今目の前の眼鏡少女しか頼れる相手がいないのだ。

 猜疑心からここで虚偽を吐いたところで、状況が悪化することは目に見えている。


 万里はこちらを凝視し、言葉を溜めて、唇を戦慄かせる。


「───貴方はプレイヤー。間違ない?」

「ああ。俺は榊田じゃない」


 俺は力強く頷いた。意外そうに万里は瞳を丸くする。


「……随分と返事が早いのね。あの二人を見たでしょ。私に伝えること、迷ったりしないの?」

「迷える状況なら迷うけどな。さっきまで夢かと思ってたし。でも俺は万里のことを信じることにした」

「私もあの二人と同じかもしれないのに?」

「そう言ってくれることが証拠だろ。少なくともあの二人はそんな常識的な話が通じるようには見えなかった」

「それもそうね。私は貴方に興味が無いから」

「酷いな」

「当然でしょ。ま、他は違うみたいだけども。それも今から説明するわ、プレイヤーさん」


 俺はこくりと頷いた。

 万里は冷めた目で俺を見つめる。


「何処から説明しようかと思ったけど、先ずはこの世界の現状について理解する必要がありそうね」

「……それって俺が理解できる話になりそう?」

「馬鹿じゃなければ理解できる。理解できなきゃ……まあこの先真っ暗になるだけ」


 思わず口を開いてしまうが、冷淡と言われてしまえば「頑張ります」と答えるしかない。

 万里は話を続ける。


「ここはゲームの世界だと貴方は思っているかもしれないけど、それは正確じゃない」

「待て、万里はここがゲームって分かってるのか?」

「話を遮らないで。それもすぐ後で話すから」

「悪い。一旦黙ってる」


 手を上げて謝罪をしておく。呆れた目で溜息を吐きながら万里はお茶を飲んだ。


「この世界は元はゲーム、だけど現実に徐々に近づいているの。この世界、どう見てもゲームじゃないみたいでしょ。3Dポリゴンの粗さも無ければまるでゲームじゃないみたい」

「まあな」


 椅子のクッションの質感も机の固さも有機的に思える。ブルメモの3Dは大したエンジンを積んでる訳でもないからここまでの解像度は無かった。


「まだこの程度の現実感しかないけど、いずれはもっと補完されていく。例えばこの世界はまだ学校を中心点として約10kmくらいしか実装されていない。電車に乗っても次の街には永遠には着かない。それがこの世界の真理だった。過去形ね。でも今は時間が経つにつれて世界が広がっている。次の駅も、次の次の駅も。いずれは飛行機も付けるようになって中国、アフリカ、ヨーロッパ辺りも行けるようになるんじゃないかと私は思ってる」

「それは……良いことだな」

「私にとっては興味深い事実だけど、貴方にとっては違うんじゃない?」

「え?」

「現実になるってことは即ち、貴方はこの世界から出られなくなる」


 出られなくなる……?

 それって、ゲームに閉じ込められると同義なんじゃ……?

 俺の内心を読み取るように万里は小さく頷いて肯定した。


「今はまだゲームとしての要素が強いから問題ない。私が言いたいのは貴方にはタイムリミットが存在するってこと」

「なるほど……タイムリミットはいつだ?」

「それは分からない。でも目安が一つ」

「目安?」


 俺の問いかけに万里はスマホを取り出す。

 

「これを見て」

「うん?」


 万里にスマホの画面を向けられる。

 ええと、世界地図の画面? グーグルマップにしては簡素なマップに見えるな。

 それ以前にこの地図、パズルみたいに欠けすぎている。

 日本は完全な形で存在する。だが中国は国土の半分程度しか存在せず、オセアニアは存在しない。ヨーロッパも、アフリカ大陸も、アメリカ大陸も。無いな。形も影も。


「私はこれが完全になったとき、世界が現実化するだろうとそう思っている」

「なるほど……」

「あとこの粗末なUIもね」


 ブラウザバックをしてインターネットの検索画面を見せてくる。令和のこの時代にしては簡素なデザイン……これも現実になるにつれて現代化するということか。


「ここまでで世界については理解してもらえたと思う。次がキャラクター、こういう恋愛ゲームなら不可欠なヒロインね」

「今度こそ聞いていいんだよな。万里がなぜメタ的な情報を知っているのか」

「ええ。でもそこは大した話はないのよ。そうね。敢えて言うならば、現実化が始まった瞬間というべきか。ゲームの世界を0として、現実を1とする。0が0.001となろうとしたその日、その瞬間、世界はゲームから別れた。この世界はその時に生まれたものなの」

「世界5分前説ってやつか?」

「それに近いかも。世界が生まれて、私たちも生まれた。色々と知識を持った状態でね。いつ生まれたかは知らないけど、そう生成されたってプロセスだけは私は知っているの」

「そういうもんか」


 世界5分前。文字通り世界が5分前に現在の形になるように生まれたという説である。

 現実なら机上の空論どころか思考実験でしかなくとも、ゲームの世界ならそういうこともあると。

 納得は難しいが、納得するしかなさそうだ。

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