第2話 夜明けの名

 



 男の子の名はシュトラエルと言った。

 このアルカーナ王国の第一王位継承者けいしょうしゃだ。そんな彼がなぜこんなところに居たのかと言うと……この森の南にある王家の避暑地に王妃と訪れた所、何者かにさらわれたらしい。

 ガヴィ・レイと名のる赤毛の男は実は侯爵こうしゃくで、護衛ついでに王子の相手を任されて遅れて避暑地入りしたところで王子の誘拐を知ることとなった。

 本来ならば捜索隊を結成して行方を追うところだが、国王直々じきじきの指名で国境の防衛や討伐任務に赴く事も多いこの武人侯爵は、避暑地到着直後単身で王子の誘拐犯を追跡した。犯人にはあっという間に追いつき、捕縛できると思われた。  

 が、ガヴィにはひとつ誤算があった。――犯人は二人組だったのだ。


 しかし、二人だろうが三人だろうが彼にとってはさほど問題はなく、あっという間に一人を切り倒し、実力の差は一目瞭然で、王子を人質に取りながらも犯人に勝機はなかった。

 負けを認めて諦めるようなやからか、もしくは闇雲に切りかかってくる様な相手であればそこで問題は解決であったであろう。


 ――が、


 残りの一人が剣士ではなく、魔法使いであった事、自分の命より使命を優先したことで状況が変わった。

 魔法使いは自分に勝機がない事を悟ると、その場で魔法陣を描き王子だけを放り込み、ガヴィがハッとして魔法陣に手を伸ばした時には後に残ったのは魔法陣の軌跡だけであった。

「くそったれが!」

 移動魔法を使った魔法使いの方を振り返ったが、案の定魔法使いは絶命した後だった。

 魔法使いにとってもこんなにすぐ追いつかれるとは思ってもいなかったに違いない。追いつかれてから今に至るまで十分もたっていないこの状況からするに、誘拐に関わった剣士も魔法使いも大した腕ではない。

 しかし移動の魔法陣が描ける位の力はあるらしい。慌てて描いた魔法陣ではそう遠い移動は無理とみてガヴィは王子の捜索を続行した。


 ただ、移動しただけであればさして危険はない。しかし、王子はまだよわい六歳の子ども。なんの知識もなく広大な森に放り出されれば命の危険にさらされる。危険な獣との遭遇、崖の上や川の上に放り出されたとしたら一発で終わりだ。


「……なんだ?」

 ガヴィの鼻を何かがかすめた。ざわざわと木々を揺らす風に乗って、きな臭い香りがする。空を見上げると森の奥の方角から黒煙が流れてきていた。

「火事……?」


 避暑地とは逆の方向だ。すぐに避暑地に危害が及ぶことはないだろうがこのタイミングで?


 ガヴィは今一体この森に何が起こっているのか、黒煙の出所を確認しに行った方がよいのではないかとも思えたが、自分の最優先事項は王子の保護だと思い直してガヴィはすぐさま駆け出した。




 *****  *****




「いや、ま、ほんとにお前が居てくれて助かったわ」

 カラカラと笑って赤毛の剣士ガヴィはイルの頭をわしゃわしゃと撫で回した。

 イルは黒狼の姿をしていると言うのに、噛まれるとは微塵も思っていないのか、全く遠慮なく毛並みをかき混ぜてくる。

 イルは鼻先でガヴィの手を払い除けるとシュトラエル王子に身体をせた。王子は嬉しそうにイルの毛並みの感触を楽しんでいる。

 王子の手は子ども特有の体温のせいか、王子に特別な力があるのか、触れられた所からポカポカとイルの心を温める気がした。

「さて王子、王妃殿も陛下も心配してる。急ぎ屋敷に戻ろう」

「うん!」

 ガヴィに促されてスックと立ち上がった王子だが、イルを見ると視線をイルとガヴィの間で彷徨さまよわせた。

「……オーカミさんはどうするの?」

「……どうするったってなあ……。そいつはこの森の黒狼だろうし、自分の住処すみかに帰るだろうよ。王子が城へ帰るみたいにな」

 なあ? と赤毛の剣士はイルを見た。イルは戸惑った。


 それはそうだ。

 王子とこの剣士とはたまたま出会っただけで、なんの関係もない。

 そもそもお付きの剣士の登場により、イルが王子の側にいる理由も何一つないのだ。


 ――でも、


 イルはもうこのぬくもりを手放したくはなかった。

 もう、一人は嫌だった。


「……さよならなの? オーカミさん。……ぼくと、一緒にこない?」


 大きな黒曜石こくようせきのようなひとみに見つめられて、イルの胸は確かに喜びで高鳴った。

 王子の頬をおずおずと舐める。それだけで王子には気持ちが伝わったのか、パッと破顔はがんしてイルの首に巻き付いた。

「……黒狼の精霊を契約なしで従わせるなんて、王子は大物になるわ」

 ガヴィがピュゥと口笛を吹く。

「違うよガヴィ! ぼくとオーカミさんは友だちになったんだ!」

 主従じゃないもん、と唇を尖らせる。

「友だちねぇ……。それでも充分稀有けうなことだぜ」

 ガヴィは大げさに肩をすくめてみせた。




「えーと、ずっとオーカミさんっていうのも変だなあ……」

「……名前でもつけてやんのかよ?」

 赤毛の剣士は面白そうに問う。

「う〜ん……」

 腕組みをしながら小さな王子はひとしきり悩むと、急にひらめいた! と表情を輝かせた。


あかつき! アカツキにする!

 だってオーカミさんのひとみの色、

 夜明けの金色の光みたいでキレイなんだもの!」


 満面の笑みでどう? と問う王子の笑顔が眩しくて、イルは鼻先を何度も王子の頬に擦り寄せた。


「決まりだね! アカツキ!」


 シュトラエル王子との出会いはイル=アカツキにとって特別なものとなった。




「アカツキ。ずっと、ずっと一緒にいようね」


 (王子はきっと特別な子なんだ)


 だってこんなにも胸が踊る。

 あんなに悲しいことがあった後なのに。


 この王子は知らぬ筈なのに。

 イルの名が、一族に伝わる古い言葉で『夜明けの太陽』を指す言葉であることを。

 同じ太陽を示す名をくれた事に、イルはそれこそ太陽を見つめるように、眩しく目を細めたのであった。

 

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