3章 ファーストキスを教えて
第13話 顔パスでご挨拶
地元が特別好きというわけではないが、ゴールデンウイークは帰省することにしていた。春休みの間は戻らなかったので、四か月ぶりの実家だ。
会社で活躍しすぎた父は、四月から海外出張で不在。介護施設のパートをしている母は「介護に連休なんてないのよ」といつも通り仕事に行ってしまった。
あっという間に一人。
仲のいい友人は、軒並みゴールデンウイークは地元に戻ってきていない。
茜は俺と一緒に帰省してきたが、今日は母親との時間を過ごしたいだろう。
仕方がないので、一人で街をぶらぶらすることにした。
小中高と自転車があれば通学できる範囲で生活していたので、ぐるりとめぐることだって苦ではない。錆びついたママチャリを起こして、まずは小学校から。
昨今の少子化に伴う統廃合で、市内の学校はいくつか消滅したらしいが……パッと見た感じ、母校はその波を免れたらしい。階段の一つ一つがやけに小さかったり、ずらりと並んだプランターの数が俺のころよりずっと少なかったり、飼育室のウサギの色が変わっていたり、そういうことを一つ一つ確認しながら回った。
中学校への途中にある駄菓子屋に寄って、五百円分の買い物をした。駄菓子に五百円使うと、思ったより袋がいっぱいになってびっくりする。昔は百円で楽しんでいた。
中学校は活気で満ちていた。部活の練習に、ゴールデンウイークは関係ない。グラウンドでは野球部の練習試合。校舎からは吹奏楽部の音。正門の前では、部活終わりの生徒たちが緩やかにだべりながら歩いている。
中学生の頃――俺は初恋をした。相手は茜だった。
中学二年生の夏から秋にかけて、俺は一気に背が伸びた。身長が170を超えると、途端に女子は小さく見えた。茜のことを異性として意識したきっかけは、彼女の見え方が突然変わったから。
「浅葱くんはおっきいね」
縁石に乗ってやっと目線の高さが同じになる。茜はにこにこして隣を歩いた。家が近いから、俺たちはほとんど毎日一緒に帰った。
茜はよく笑う女の子だった。吹奏楽部で友人も多く、だから自然と、男子からの人気も高かった。
定期テストぐらいの間隔で茜は誰かから告白され、そのたびに困ったような顔をしていた。
俺は――それを隣で見ながら、大繩に入れないみたいに立ち尽くしていた。タイミングをうかがっているのではなく、制限時間が過ぎるのを待つみたいに。
「また告白されたのか?」
「うん。でも断った」
「大変だな」
「ね。……今は恋愛なんて考えられないのに」
「彼氏が欲しいとかないのな」
「いらない。だって忙しいし、私たぶんそういうの向いてないし――あとあと、私がいなくなったら浅葱くんが寂しくなっちゃうでしょ?」
「ならん」
「えー、嘘だぁ。それ絶対嘘だよ」
「嘘じゃない。むしろ茜に彼氏ができたらほっとする」
あの時の胸のじくじくとした痛みを、まだ覚えている。湿度の高い傷だった。致命傷にはなりえないけれど、常に気を引くような傷み。
ああ、俺はこの子の恋愛対象ではないのだなと。
中学生ながらに悟った俺は、卒業まで仮面をかぶり続けた。無害な幼馴染を演じて、高校に進学して――
茜が別の高校に行くと聞いたとき、正直、安心した。
彼女を諦める自信がなかったのだ。同じ高校に通うようになって、また一緒にいることが増えたらと思うと、それだけで息苦しくなった。
安心した。恋をしようと思った。茜以外の誰かに。
そうすれば、俺はまた彼女のことをただの幼馴染だと思える。
茜を大切にするには、茜よりも大切な人が必要だと思った。
高校時代に彼女はできなかった。それでも、大学に入って、引っ越しをして、ようやく俺は茜のことを忘れかけていた。たまに思い出しては、「なにしてるかな」と気にする程度になった。
諦めがついたのは、俺が茜の魅力をよく知っていたからだ。
どうせもう彼氏はいる。それが世の中の現実であることを、大学が始まってすぐに悟った。
元カノを好きになる頃には、すっかり茜のことを考えなくなった。
高校に向かおうと思ったが、面倒くさくなったので帰宅することにした。別にグラウンド見たって面白いものはないし。
途中のコンビニで昼飯を買って、だらだらと自室で時間をつぶした。昔読んでた漫画が今でも面白いと嬉しい。真面目を辞書から叩き出したみたいな父親の書斎には、また本が増えていた。
『家中掃除しといて』
三時に母から指令が来たので、言われたとおりにあちこちを掃除する。掃除機、乾いた皿を戻す、玄関の整理、階段と廊下の拭き掃除。実家にいた頃に教えられた通り、一時間ほどかけて指令をこなす。
夕方になって母親が帰ってきた。右手に持った大きなビニール袋を、そのまま俺に渡してきた。
「おかえり母さん。それなに?」
「ただいま。これ寿司。ダイニングテーブルに置いといて」
「なんで寿司? 絶対二人で食べきれない量だけど」
「いいのよ。二人じゃないから」
聞きたいことはまだあるが、母さんは洗面所に一直線。仕方がないので俺は、言われたとおりに寿司を運ぶ。
「浅葱ー! お茶と箸、それから醤油皿も四人分用意して!」
「四人分……?」
ひたすら不可解な情報だけが増えていく。なにをどうやったら二人増えるんだ?
まあでも母さんの命令は絶対なので、おとなしく従う。この家の指揮系統の一番上は母さんだ。俺と父さんは逆らうすべを知らない。
ものすごい勢いで部屋に戻って仕事着から私服に着替えてきた母さん。準備が済んだテーブルを見て、満足げに頷く。
「ありがと。これで大丈夫ね」
なにが大丈夫なのだろうか。
チャイムが鳴った。
「さあ、迎えに行くわよ」
「うっす」
パワー系母に引きずられてると、普通に部活みたいな返事が出る。
玄関に行って、ドアを開けた。
「どうぞ。……って茜じゃん」
「やほっ。浅葱くん」
見慣れたミルクティー色の髪の毛とベージュのコート。弾けるような明るい笑顔。
その後ろに、もう一人。懐かしい人が立っていた。茜と同じくらいの背丈で、優し気に目を細めたその女性は、
「茜のお母さんも――お久しぶりです」
「あらあら、茜の言う通り男前になったのね。久しぶり、浅葱くん」
「ちょっとお母さん!? 余計なこと言わないでくれる!?」
「いいじゃないの。別に悪いことは言ってないでしょう」
「そうっだけどっそうじゃないのっ!」
「浅葱くんがカッコいいし優しいって、いっつも言ってるじゃない。そういうの、ちゃんと伝えないとだめよ」
「うるっさい! 私には私のペースがあるのっ!」
ぺちぺちと軽く母親を叩きながら、茜が顔を赤くする。
その様子を見て、うちの母さんは満面の笑みになる。
「あらあらあらあらあらもうあらあら。茜ちゃんったら本当に可愛いわねえ。昔からずーっと可愛くって本当にもう、浅葱はなーんにも言わないけど」
「あんま親にそういうこと言わないだろ」
「言いなさい聞かせなさい。大学のことは興味ないけど、茜ちゃんのことはいくらでも聞くんだから」
「言いたくないことだけピンポイントで興味持たないでくれるかな」
母さんは聞こえなフリと口笛を一度鳴らして、茜たちを招き入れる。
「あがって二人とも。お寿司あるから、みんなで食べましょ」
にこにこしながら靴を脱ぐ茜のお母さん。その後ろで困ったように顔を赤くする茜。
目が合って、俺たちは互いに同じ気持ちであることを悟る。
逃げらんないかな、これ。
◇
懐かしい顔ぶれがそろった夕食は、魔女の会合のようになっていた。
「あらあらあらあら、あらそうなの? あら~、浅葱ったらけっこうちゃんとしてるのね。そんなことちっとも言ってくれないんだから。あら、あら、あら~」
缶ビールを飲み、あらあら大魔神と化した俺の母さん。
同じく飲酒しながら、しみじみと語り続ける茜の母。
「うちの子ったらほんっっっっとに料理とかできないから、浅葱くんがいるおかげで助かってるのよ。私が安心できるのも、ぜんっぶ浅葱くんのおかげなの」
「あら~、浅葱ぃ~」
感動したように俺を見る母さん。
ちなみに座席の配置は、俺と茜が隣。対面に母二人という形だ。
これがとんでもなく気まずい。なんらかの挨拶をしに来たような気分になる。
茜はというと肩をすくめて、
「いつもお世話になってます……。本当に、浅葱くん様のおかげです……」
とぺこぺこしている。
茜のお母さんも、それに合わせてこっちを向く。
「娘のこと、これからもよろしくお願いします」
「いえ……こちらこそ、お願いします」
母さんも流れに合わせて、茜に頭を下げた。
「お願いしますね、茜ちゃん」
「はいっ。あの……私、精一杯頑張ります!」
普通の挨拶というか、礼儀的なやつだよな。それ以上のなにか重大イベントが起こっているような気もするが……。
「浅葱」
「はい」
ぼんやり悩んでいたら、母さんに呼ばれた。
「後でお金渡すから、コンビニで好きなスイーツ買ってきて。四人分」
気がつくと寿司はもうなくなっている。食後のお使い。この場から逃げられるなら、どんな理由でもありがたい。
「茜ちゃんもついていってあげて。この子、ちゃんとはしてるけど危なっかしいから」
「はいっ」
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