第12話 そのままでいて
桜の季節になると、思い出す。
一面に咲き誇った桜の花と、その真ん中に敷いたブルーシート。ビールを片手に談笑する俺と茜の両親。蓋の開いた重箱。冷めた唐揚げの匂い。
「あさぎくん! あっちいってみよ!」
俺を呼ぶ、元気いっぱいな茜の声。
その公園にはたくさんの人がいた。地元では有名な花見スポットだったのだ。
周りを駆け回る子供の中に、俺たちの知り合いはいなかった。俺と茜は二人で走り回って、時々ブルーシートに戻ってなにかを食べて、日が暮れるまでそうしていた。
あのときは正直、「飽きたな」とか「そろそろ帰りたいな」とか思っていたけれど、今では毎年のように思い出す。
綺麗だから思い出なのか、思い出だから綺麗なのか。
あるいは――あるいはもっと単純に、
あの景色の真ん中に、茜がいたからか。
◇
ハンドルを握る。フロントガラスの向こうに、ちらほらと桜の色が見えてきた。
「見えてきたよ、浅葱くんっ」
「いい咲き具合だな」
「ね。最高のタイミング」
出発してから一時間。県内でも桜の有名な公園に到着した。花見シーズンのど真ん中なので、入り口は軽く渋滞している。
なんとか見つけたスペースに駐車して、車から出る。二人そろって大きく伸びをした。
ちなみにこの公園、船見が送ってきた怪文書の中に含まれていたものである。移動方法は自家用車を想定しており、トイレ休憩に最適な場所、帰りに寄って夕飯を食べられるレストランまで記載されていた。
ありがたいを超え、怖いすらも超え、ここまで来ると助かるという感想しか残らない。
イマジナリー彼女にここまでできる船見が、本物の彼女ができたときにどんなデートをするのか。今から楽しみである。誰かあいつを恋の奈落に突き落としてくれ。
荷物を二人で分担して、公園に入る。
「やっぱり人でいっぱいだね」
「ま、どっかに空いてるとこあるだろ。二人だからそんなに場所いらないし」
「そうだね。二人だもんね」
トイレから近い場所、木の真下は大人気。だが駐車場から離れていくほどに人は減っていって、俺たちはそこにシートを敷くことにした。
二人で座れば、固定する必要もない大きさだ。腰を下ろして、クーラーバッグを置く。
ポットを持ってきてくれた茜は、中に入ったお茶をさっそく二人分注ぐ。白い湯気が立つコップが差し出される。
「どうぞ」
「ありがとう。緑茶か」
「そう。こういうときは、やっぱり温かい緑茶が合うかなって」
「針の穴に糸を通す名采配」
数ある飲み物の選択肢から、唯一無二の回答を出してくる茜。やはり彼女に任せて正解だった。俺だったらペットボトルという安全策を取っていた。
「じゃあ、次は俺の番だな」
クーラーバッグから、アルミホイルに包んだおにぎりと、おかずの入った弁当箱を取り出す。
「浅葱くんのお弁当だー!」
プレゼントを開けた子供みたいに、無邪気な笑顔になる茜。彼女がくれる笑顔は、料理をするにあたって最高のモチベーションだ。
調子に乗ってリンゴはウサギさんにしてしまった。
弁当箱を開けて、それに気がついた茜は思いっきりリンゴを覗き込む。
「えっ、えっ、えっ、えっえっえっ、ウサギのリンゴさんだ! 浅葱くんが作ったの?」
「楽しくなってつい」
「可愛いね。浅葱くんが」
「えっ、俺!?」
「お弁当作ってて楽しくなって、リンゴをウサギさんにしちゃう浅葱くん……やばい。保護しないと」
「俺は絶滅危惧種か?」
「ウサギさんのリンゴを準備する男子大学生は絶滅危惧種だよ」
「……」
それはそうかもしれない。少なくとも俺は聞いたことがない。
なんかちょっと恥ずかしくなってきたな……と腕組みする俺を、茜がじっと見つめてくる。
「ずっとそのままでいてね」
「……」
「ずっとそのままでいてね」
「……」
「ずっとそのままでいてね」
これ強制イベント?
ゲームとかでたまにある、肯定しないと何回でもループする会話の匂いがする。
「ずっと――」
「わかった。わかったわかった。この方向性でやってくから、安心しろ」
「方向性の違いは危ないからね。なにかあったら相談してね」
「了解」
リンゴをウサギにする方向性になにがあるかは知らないけど、茜が納得してくれたのでヨシ!
俺の意思決定権、もうほとんど茜に所有されてる。でも悪い気はしないからヨシ!
……大丈夫かな、俺。
おにぎりを食べながら、自問自答する。
だがそれも、目の前で茜が嬉しそうに卵焼きを頬張るのを見たらどうでもよくなった。
このチョロさは、簡単に変わらないだろう。
◇
春の日差しは暖かくて、風は涼しい。
ブランケットを膝にのせて、俺たちはのんびり桜を見上げて過ごすことにした。
くだらない話をして、持ってきた和菓子を食べて、二人そろって静かに花を見上げて。無意味に遠くの子供たちを目で追いかけたり、流れる雲の先を見てみたり。
じんわりと傾いていく太陽。空の青が遠のいていく。
ぽつりと、茜が聞いてくる。
「覚えてる? 昔はよく、浅葱くんちと一緒にお花見してたこと」
「覚えてるよ。この時期になると、いつも思い出す」
俺たちの周りにも、何グループかはいる。仲の良い家族同士で、子供を連れて花見に来ている人たち。
遠くの遊具で遊ぶあの子供たちが、俺と茜だった。
「……私もね、春が来ると思い出すの。またみんなでお花見がしたいなって」
茜のそれは、俺の曖昧な感傷よりもずっとずっと切実なものだった。
もう二度と戻ることがないと、彼女は知っているから。深い実感を持って、あの光景を過去のものだと捉えているから。
「遊具で遊んで、モンシロチョウを追いかけて、四つ葉のクローバーを探すの。お腹がすいたらお母さんたちのところに戻って、残った唐揚げとか食べて、また浅葱くんと遊んで……やることがなくなっても、帰るまでは――」
茜は言葉を切って、ブランケットに顔を沈めた。
「ごめんね。急に変なこと言っちゃって」
「……いや」
返す言葉が思いつかなくて、俺も黙り込む。
でも、それじゃあダメだと思ったから立ち上がった。茜の隣に移動する。
ほんの少しだけ顔を上げた茜の目が、うっすらと腫れていた。目が合うと、またブランケットに隠れてしまう。
「俺もたぶん、茜と似たような感じだよ。楽しかったことはほかにもあったはずなのに……あの頃のことが、まだはっきり思い出せる」
どれだけ鮮やかな出来事を塗り重ねても、幼いころの淡い記憶は消えない。
簡単に散っていくのに、誰の中からも消えない。思い出は、桜に似ている。
「ずっと、あのままでよかったのにって思う。――専業主婦からパートになった母さんとか、立場が上になって仕事の増えた父さんとか……久しぶりに帰省したら、二人とも記憶よりずっと小さくて、皺が多くて、驚いたんだ。そのときは、ただ時間が経ったのがショックだった。
でも最近、茜と一緒にいるようになって、気がついたんだ」
右手をそっと茜の頭に載せて、そっと撫でる。彼女の頭は小さくて、俺の手は大きくなった。だから、子供の頃と変わらないような気がする。
「誰かのためにハンドルを握るとか、ご飯を作るとか、帰りを待つとか――俺はけっこう好きなんだって。そういうことができるようになった自分が、そんなに嫌いじゃない」
背伸びをして、大学生らしく振舞うより。
誰もが憧れるような輝かしい恋をするより。
あくびが出るような日々の積み重ねの方が、ずっと大切に思える。
「茜のおかげだ。ありがとうな」
「私……なんにもしてないよ」
「それでいいんだよ」
シートの上にごろんと寝転ぶ。髪の毛の先が雑草に触れた。
目を閉じて、大きく息を吸う。
「――茜は、そのままでいいんだ」
投げ出した手が、柔らかいもので包まれた。それは茜の手だった。細い指がそっと重ねられて、冷たい温度が伝わってくる。
吹く風が冷たくなるまで、俺たちはそうしていた。
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