第9話 興味ないね

 ケーキを食べ終わった後は、各々がのんびりと時間を過ごした。


 俺は宿題、茜はスマホ、船見は漫画。


 宿題が終わった後は、そのままパソコンでネットサーフィン。


 二時間ほど経った頃に、船見がこたつから出た。


「そろそろ帰るかな」


「今日はお前も飯食ってくか?」


「船見さんも一緒に食べましょうよ。浅葱くんの料理、すっごく美味しいんですよ」


「いや結構。若い二人の邪魔をするような無粋な真似はできない」


「その言い方やめろ」


「アサーギ、幼馴染は誰にでも与えられるものではないんだぜ。大事にしろよ」


 さっさと荷物をまとめると、気障な笑顔でそのまま去って行った。


 こういうとき、パッと引くのがあいつの処世術なのだろう。船見と特に仲のいい相手は思いつかないが、誰とでも話している姿を見る。


「帰っちゃったね」


「あいつはそういうやつだよ」


「船見さん、いい人だった」


「悪いことはしないからな」


 一緒にいて嫌な部分がない、というのはかなり高得点だと思う。友人として、船見という人間がいて嬉しいのは違いない。


 俺が浮気されたときも「そんな不純愛は捨ておけ」と一蹴してくれたし。


 だが、今日のあの言動は普通に困る。次会ったときにくぎを刺しておかないと。


 刺さるかな。あいつに……。


「さて、晩飯作るか」


「今日はなに?」


「サバの味噌煮」


「サバの……味噌煮!?」


「サバが一尾で安かったから」


 冷蔵庫から取り出すと、茜は目を白黒させた。


「えっ、捌くところからやるの?」


「出刃包丁あるし」


「出刃包丁あるの!?」


「釣り好きの先輩がよく魚持ってきてくれたからな」


「浅葱くん、先輩から好かれすぎじゃない?」


「自分ちで捌くと臭くなるから、俺にやらせてただけっぽいけどな」


 魚の内臓とかって夏になると処理がめんどくさいし。そういうのも断らずに受け取っていたから、ほかのもろもろも貰えたところはある。


「やってみたらけっこう楽しいし、切り身で買うより安くてうまいんだ。だから、先輩には感謝してるよ」


「感謝までしてる……。いい後輩すぎる」


「ちなみにその先輩たちは全員男な」


 いらないとは思うが、注釈を入れておく。


 この関係で浮気が成立するのかはわからないが、茜の不安を取り除くに越したことはない。


「見てるよ」


「どうぞ」


 魚を洗ってキッチンペーパーで拭き、まな板の上に置く。


 肛門から出刃を入れて頭に向けて腹を裂く。胸鰭を目印にして頭を落として、内臓ごと引き抜く。残った身を流水で洗い、血合いを綺麗にする。


 腹と背中から背骨に沿って刃を入れ、尾側から身と骨を切り離す。もう片面も同じようにして、腹骨をすく。


 これで三枚おろしが完成。後はレシピに従って、鍋の中で味噌煮を作っていく。


「洗い物は私が!」


 パッと飛び出してきた茜がまな板と包丁を洗ってくれる。


 俺は空いた手であおさの味噌汁を作って、今日の料理は終了。


 冷蔵庫の米を温めて、リビングにもっていく。昨日作っておいたほうれん草のおひたしも加えれば、かなり上等な食卓だ。


「豪華すぎる。……大学生のクオリティを逸脱してるよぉ」


「ちょっとだけな」


 元から自炊はちゃんとする方だったが、最近は茜が食べてくれるのでモチベーションが高い。


 今日も俺の料理は、茜のスマホに収められる。


「お母さんに浅葱くんの料理見せたんだけど」


「おい」


「『絶対に逃がしちゃだめ』って」


「……おい」


「まあ逃がす気はないけどね」


 逃げる姿勢は見せていないつもりだが、今日も茜は俺を囲っているようだ。


 手を合わせて、夕飯が始まる。


 サバの味噌煮を一口食べて、茜はほほに手を当てる。


「ん~、なにこれ、ふわふわで美味しい!」


「よかった。まだあるから、いっぱい食べてくれ」


「もしかして:お婆ちゃん……?」


「気のせいすぎる」


 おかわりがあると伝えただけで、里帰りの気分になってしまったらしい。


「ほうれんそのおひたしなんて……自分で作らないよ」


「作り置きしとくと便利だぞ。一品増やせて嬉しいし」


「うぅ……毎日ご飯作ってほしい」


「作ってる」


「作ってくれてたね。やっぱり浅葱くんしか勝たんですわ」


 俺からすれば、毎日のように食べに来てくれる茜の存在はありがたいのだが……。


 それを言うのも気恥ずかしいので、黙っておくことにする。


「はっ! もしかして、私が浅葱くんに外堀を埋められてる!?」


「……」


 なにかの天啓を得た茜。ぱちぱちと瞬きをして、俺を見つめる大きな瞳。


 俺は首をかしげて、テレビのリモコンを押した。びっくりするくらい無粋な笑い声が部屋に流れ込んでくる。


 これで少しでも、茜の暴走を止められればいいが。


「落ち着け」


「テレビが流れてると、なんだか本当に家族みたいだね」


「無敵か?」


 船見の薫陶を受けて、茜はいわゆるスター状態になっているようだ。この調子だと将来の家の間取りについて話だしかねない。


 この流れ、断ち切らないと押し切られる。


 ……押し切られたらまずい、というわけでもないのが難しいところだが。


 茜って、今すぐ俺と付き合いたいってわけじゃないんだよな。そうだよな。


 ……なんなんだ、この関係?


 冷静に考えるほど意味不明。よし。考えるのやめ。


 茜は押す係。俺は引く係。


「そういえばね浅葱くん」


「どうした」


「さっきどさくさに紛れて聞こえなかったみたいだけど、今日、お泊りの準備してきたよ」


「んぐっ」


 押せ押せじゃねえか!


 お泊りの許可を出したのはいったいどこのどいつだ! 出てこい! そいつに今の状況を見せて、百回その決断が正しかったか反芻させてやるから!


「……帰らなくても、いい?」


「いいよ。言い出したのは俺だしな」


 彼女に問われてはこのざまである。情けないにもほどがある。俺にはなにかを断る意志の強さがないのか。


 女子に頼まれたらなんでもへにゃへにゃなのか。


 そういうふうには、なりたくないけれど。


「うふふ。お泊り会だね」


 それにほら、茜はこんなにも純粋な笑みを浮かべている。


 いつかはこの関係も、変わるかもしれない。今はただ、幼馴染として接すればいい。


 難しく考えすぎだ。ここには俺と茜しかいない。二人だけのルールで、やっていけばいい。


 夕食を終えて、皿洗いをして、少しの間ゆっくりして。


「シャワー借りるね」


 茜が風呂へ向かった。


 1DKの狭い家に、水音がしたたかに響く。対抗すべくテレビの音量を上げてみるが、優秀な俺の耳は的確に水の音と茜の鼻歌を拾ってしまう。


 へにゃへにゃだ。


 ため息。それと同時に、スマホが振動した。


 あらゆる通知を控えめにしている俺のスマホは、メッセージくらいじゃなんの反応もしない。つまりこれは、電話だ。そして電話の相手は、船見と相場が決まっている。


 適当にスマホを掴んで、耳元に当てる。


「なんだ。忘れ物でもしたか?」


「は?」


 スマホから聞こえたのは、船見の声ではなかった。


 女の声――元バイト先の知り合いだ。元カノの友達。名前はつじ美穂みほ


「誰かと間違ってない?」


「間違ってた。……急になんだ。バイトはやめたぞ」


「シフトの相談じゃなくて、佳乃よしのの話」


 唐突に出てきた元カノの名前に、俺は首をかしげる。


「今一緒にいるんだけど。ちゃんとあんたに謝りたいんだって」


 彼氏に振られでもしたのだろうか。パッと思いつくのはそれだけ。


 辻があからさまに声を潜める。


「――お願いなんだけど。ちょっと優しくしてあげてくれない。新しい彼氏がモラハラ野郎だったみたいで、ちょっと病んじゃってるの」


「モラハラだったんだ」


「そう。で、精神ズタボロになっちゃってるってわけ」


「そっかぁ」


「一瞬変わってくれるだけでいいから。あんたがされたことは知ってるし、ガツンと怒鳴るとかでもいいの。とにかく謝らせてほしいって――」


「いや、大丈夫。気にしてないから。『もういいよ』って言っといてくれ」


「ちょっと……」


「興味ないんだ。だから怒ってもないし、話聞いても暇なだけだよ」


「ほんとに怒ってないの?」


「どうでもよすぎて」


「そ……。じゃあそうやって伝えとくわ」


「サンキュー」


 面倒な電話であることは間違いないが、辻美穂は案外あっさりと引いてくれた。話がわかる相手はありがたい。そういえば、辻はバイト先でも頼れる存在だった。


 茜がリビングのドアを開ける。濡れた髪と、朱に染まった顔だけ出した状態だ。


「誰と電話してたの?」


「女」


「女ぁ!?」


 口をばっくり開けて威嚇してくるが、リビングには飛び込んでこない。これはまだ服を着ていない可能性がある。頼むから着てくれ。


「元バイト先の知り合い。なんか元カノと一緒にいたらしい」


「あの愚か者?」


「そうそれ」


「なに言われたの?」


「いや、直接は話してない。でもなんか、浮気したことを謝りたかったみたいだな」


「浅葱くんはどうしたの?」


「どうもしてないよ。ただ――」


 そう。なにも思うところはない。四ヶ月もたてば、興味も失せるというものだ。


 ただ、一つだけあるとすれば。それは自分への落胆。



「好きになる相手を間違えてたんだな、って思った」



 話が盛り上がらないのも、浮気されてしまったのも、一言でまとめてしまえば、そういうことなのだ。


 ぽかんとした茜を見つめて、穏やかに言う。


「もう間違えないようにするよ」


 その言葉に、


 バッと一瞬で茜が顔をひっこめた。


 どたばたと洗面所に戻っていく音を聞きながら、俺は一人で笑った。

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