第3話 幼馴染の背中

 元カノとは、バイト先で知り合った。


 共通の友人もいるせいで、別れた今も、SNSで姿を見ることがある。本人をブロックしただけじゃ意味ないのが、厄介なところだ。


「アプリごと消した方がいいよなぁ。絶対」


 そうは思うが、踏ん切りのつかない優柔不断。


 なくなって困ることはないと思うが、消すにはやや惜しい。

 なにより傷心だと思われるのが癪だ。


 彼女と別れたけど、別に気にしてませんよ。みたいな顔をもう三か月ほど続けている。


「はぁ……。不毛だ」


 スマホをしまって、ハンドルに体重を預ける。


 助手席のドアが開いて、外の空気が流れ込んできた。コンビニから、茜が戻ってきたのだ。


 今日の彼女は温かそうなカーキのダウンと、赤いマフラー。髪の毛はちゃんとアイロンをかけていて、ゆるく内側に巻いている。


「お待たせ。はい、浅葱くんのカフェオレ」


「ありがとう」


「からあげさん、一緒に食べよ。あとこれは眠気覚ましのガムね」


「いろいろ買ってきてくれたんだな」


「運転してもらってるからね。これくらいは当然!」


「ちゃんとしすぎだろ」


 高校を卒業したばかりとは思えない振る舞いだ。その辺の細かいマナーは、もっと後で身に着けるものだとばかり思っていた。


 茜がシートベルトをしたのを確認して、車を発進させる。


「好きな音楽かけていいからな」


「えー、恥ずかしいよ」


「お前は普段なにを聞いてるんだよ」


「女の子には秘密が多いの」


「珍しいって」


 好きな歌が恥ずかしいって、平成のアニソンじゃないんだから。


 時代は令和。なにを好きと言ったって許される時代なのに。


「無難なの流すね」


「おう」


 クラシックが流れ始めた。


「寝るぞ? こんな安らかな音楽流れてたら、運転手寝るぞ?」


「リラックスできていいかなって」


「適度な緊張もくれ」


「オッケー。ちょっと待っててね」


 ヘビーメタルが流れ始めた。地獄の底から響くようなシャウトが、車内に反響する。


「ストレスフル!」


「これもだめかー」


「良いとかダメとかの枠にないんだよ。未知だから」


 俺がもうちょっとアウトローな人間だったら、この音を心地よいと思えたのだろう。残念ながら、普通の人間だ。


「じゃあ、いつも聞いてるのにするよ?」


「おう」


 聞かれて恥ずかしい曲なんて、そうそうないだろう。


 信号が青になったのに合わせて、アクセルを踏む。俺たちは海沿いの国道を北上していく。


 流れ始めたのは、しっとりした曲調の音楽。街の中で流れているような、有名な女性シンガーの声。すぐに気がついた。


 これは失恋ソングだ。

 想い人が遠くへ行って、知らない誰かと結ばれた人の歌。


「……」


 茜は窓の外を向いてしまった。耳がほんのりと赤い。


 彼女が買ってきてくれたカフェオレを飲んだ。甘く染め上げられた液体に、苦みはない。


 運転している最中だから、沈黙でもまだ救いがある。流れていく景色の先を見ていればいい。


 失恋の歌が続く。キャッチーで、ポップで、それでも泣きたくなるような恋の歌。


「湿っぽいでしょ」


「そうだな。……でも、いい曲だよ」


「浅葱くんもこういう曲、聞いたりするの?」


「前はけっこう聞いてた。失恋した後は、逆に聞かなくなったけど」


「そうなんだ」


 俺のは失恋、なんて呼べるものですらなかったのだろう。


 相手の心は最初からこっちを向いていなくて、俺はそれに気がつかないでいた。あまりに空虚で、愚かな恋だった。


「私はね――ずっと、聞いてる」


「ずっと?」


「うん。中学生のころから、ずーっと」


 赤信号。ブレーキを踏んで止まる。


 右手の海をちらっと見る。今日はずいぶんと穏やかだ。


「あ、そうだ。からあげさんあげる」


 思い出したように、茜が爪楊枝にさしたからあげを差し出してくる。顔の前。


 あーん、だなんて甘いものじゃない。ただ俺の手がふさがっているので、こうしているだけだ。


 からあげを噛む。うま味が口の中に広がっていく。


「美味いな」


「でしょ。私ね、遠出のときはからあげさんって決めてるの」


「塩味?」


「そう。塩味」


「いいな。そういうルーティーンがあるの」


「浅葱くんも作ればいいじゃん。遠出のときは絶対、のど飴を買う。みたいな」


「のど大事だけどな。でももうちょっと、楽しい雰囲気のがいいよ」


「注文が多いなぁ」


「まだ一個目だぞ」


 あきらめるには早すぎる。


「じゃあさじゃあさ、旅の夜はコンビニスイーツを食べる! とかはどう?」


「それ、採用」


「やりぃ! じゃあ今夜のスイーツ買わないとね」


 言いながら、次のからあげを近づけてくる茜。食べる俺。


 餌付けされながらドライブを続けて、休憩がてら、道の駅に寄ることにした。





 運転していると、体が硬くなる。全身をストレッチして時々ほぐしてやらないと。


「浅葱くーん。こっち、海見えるよ!」


 小走りで先に行った茜が、手を振って呼んでいる。


 道の駅の隣は公園になっていて、その向こうに海が広がっている。もう少し温かくなれば、サーファーたちが集まってくるのだろう。


「いやぁ、海だねえ。潮風だねえ」


「さすがに寒いな」


 気温が上がってきたとはいえ、風が強ければ体感温度はぐっと下がる。車に上着を置いてきたのは失敗だった。


 首をすくめていたら、茜が気がついた。


「マフラー貸そっか」


「いや、いいよ」


「まあまあそんなこと言わずに。ね?」


 あっという間に外した赤いマフラーを、差し出してくる。


 俺が渋っていると、茜は近づいてきてつま先立ちになった。


「よっ」


 器用にマフラーの端を投げて、俺の首に回す。わっかを通してきゅっと締めたら完成。


「どう? あったかいでしょ」


 目の前では茜がにこにこしている。首元から、彼女の甘い香りがした。


 得も言われぬ居心地の悪さを感じて、目をそらした。


「ありがとな」


「お安い御用!」


 マフラーに手を添える。柔らかくて、ほんのりと熱を含んでいる。


 軽やかに歩いていく茜の後を、俺もなぞっていく。


「海っていいよね。おっきくて、見てると落ち着く」


「不思議な気分になるよな」


 俺たちの育った街には、海がなかった。山と川はあるけど、海は車に乗らないと行けない場所で、だから特別だった。


「海の見える街に住みたいな~」


「鎌倉とか?」


「いいね鎌倉。すっごくいい。浅葱くんは、どこに住みたいとかある?」


「あんまり。どうせ就職したら、会社に決められるし」


「現実主義~」


 面白みのない答えだ。でも、今は未来の楽しいことなんて考えたくもない。


 どうせ崩れると、悲観的な自分が囁いてくるから。


「ま、そんなもんだろ。実際」


「じゃあさじゃあさ。浅葱くんのこと、私が楽しい場所に連れてってあげるよ」


 にっと力強く笑って、また茜は歩き出す。前へ前へ。潮風に髪をなびかせながら。


 彼女の小さな背中を見つめながら、思い出す。







 ――俺は、中学の頃。


 ――茜のことが好きだった。

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