第2話 幼馴染の変化

『引っ越してキタ!』


 茜から連絡が来た。続いてなにかの住所も送られてくる。


 マップに入れたら、すぐ近くの学生マンション。どうやら彼女は、そこに引っ越したらしい。


『おつかれ』


『浅葱くんはこの後、時間ある?』


『あるよ』


『今からご飯食べに行かない? 浅葱くんのおススメで』


『じゃあ適当に考えるよ』


『オール・オア・ナッシング!』


『ナッシングの可能性もある、と』


 そんな博打みたいな場所に連れていくつもりはない。


 やり取りを終えて、ようやくパジャマから着替えた。もう暗くなってきたというのに。


 何もない日は、一日中同じ服を着ていたりする。


 去年はそんなことなかった。もっと活動的で、ファッションにだって気を使っていた。


 今では全部、馬鹿らしく思える。


『集合場所どうするー?』


『家の下まで行くよ。めっちゃ近いし』


『ありがと!』


 適当なパーカーとジーンズを着て、上着を羽織る。ショルダーバッグに財布とスマホだけ入れて、そのまま家を出た。


 茜の家までは歩いて五分。メッセージを送ると、すぐに降りてきた。


 オートロックの向こうから、ベージュのコートをまとった少女が現れる。


「あれ」


 知っている顔だ。だが、前会った時とは別人のようであもる。


 茜は髪をミルクティーのように軽い茶色に染め、肩のところまでの髪をくるりと内側に丸めている。一気に垢ぬけて、可愛らしさが増した。


 俺が瞬きを繰り返していると、茜は嬉しそうにぴょんぴょんする。


「気づいた? 気がついちゃった?」


「まあ、こんだけ変わったらな」


「それで、それで?」


「似合ってるよ」


「やったー!」


 こぶしを突き上げて感情を表現する茜。喜んでくれたようでなによりだ。


「店は中華でいいか?」


「いいね。私、こう見えてもけっこう中華なんだよ」


「なにのなにが?」


「アチョーッ!」


「カンフーは古いって」


「お父さんと酔拳観てたから」


「まだ吞めないだろ」


 妙にキレのある動きで虚空と戦う茜。なんだか今日は、テンションが高めだ。


 年末もわりと元気ではあったが……。


――私だったら、そんなことしないのになぁ。


 そういえばあの時の、あの発言はなんだったのだろう。気にしてしまうのは、俺だけか。


 学生たちが行きかう通りの、ひときわ赤い建物に入る。

 【七龍】という店だ。味とボリュームがよく、家から近いのでよくランチに来ている。


 春休み期間は、いつもより少し空いている。席についてメニューを広げた。


「浅葱くんはいつもどれ頼むの?」


「回鍋肉セット」


「うわぁ、いいね。それにする」


「餃子はいるか?」


「食べたい!」


「きまりだな」


 店員さんを呼んで、回鍋肉セット二つと餃子、デザートにゴマ団子を注文する。


 茜は物珍しそうに周りを見ている。


「活気のあるお店だね」


「この辺は学校が多いからな。客層が地元より若いんだろ」


「なるほどー」


「街も栄えてるしな」


「ね。普通に都会すぎてびっくりしちゃった」


 彼女と同じような感動を、去年の俺も持っていた。地元は田舎というほどではないが、確かに少子高齢化を感じさせるような規模の街。それに比べれば、ここは建物も人も多い。


 他愛のない話をしていたら、すぐに料理が運ばれてくる。

 出来立ての回鍋肉を食べて、茜が目を見開く。


「美味しい!」


「野菜がちょうどいい具合なんだよ、この店」


 シャキシャキすぎず、しんなりすぎず。どちらも楽しめるような加熱具合でいい。味も米が欲しくなる濃さで、若者に人気なのも頷ける。


「餃子なんて久しぶりかも」


「ちゃんとしたのって、意外と食べないよな」


 家で作るのは面倒だし、スーパーの冷蔵品でもけっこう満足できるから、こうやって店で頼まないと食べないがち。


 パリッと音を立てる羽根。柔らかい皮を箸で掴んで、茜は餃子を一口。


「ん~っ。やっぱり出来立ての餃子って最高。自炊してみよっかな」


「マジで?」


「作ったら呼ぶから、浅葱くん食べにおいでよ」


「それは行こうかな」


「いつでも来ていいんだよ。そうだ。合鍵あげよっか?」


「それはいらない」


「浅葱くんちの合鍵、持っておこうか?」


「や、大丈夫」


「でもでもさ、鍵なくして家に入れなくなったときとか、お互いに合鍵持ってたら安心じゃない?」


「管理会社に連絡するよ」


「もー。浅葱くんは素直じゃないんだから」


「素直とかそういう問題じゃないだろ」


「誰かに渡したくなったら言ってね」


「どういう心理状況だよ」


 不可解なことを言って、茜はまた食事に戻る。定食と餃子が食べ終わって一段落。ゴマ団子は、食後に持ってきてもらうように頼んである。


 お冷を口にしながら、思い出したように茜が言った。


「そういえば私、苗字変わったんだよね。来栖じゃなくて、里田さとだになったの」


「……マジ?」


 茜の目は笑っていない。冗談ではないらしい。


 だが、なにかを求めているわけでもないみたいだ。


「でもほら、浅葱くんには関係ないから平気だよ。混乱させるといけないから、報告しただけ」


 関係ない。そう言われてしまえば、否定はできない。


 茜の家族と仲良くしていたのは、もう何年も前のことだ。


「……なるほど。わかった」


 わかった。

 なにがわかっただろう。


 口から出た言葉は適当だ。


 茜は力の抜けた笑みを浮かべるだけ。


「実は私、やりたいと思ってることがあるの」


「なに?」


「免許を取って、車を買いたい」


「車とか好きだったっけ」


 茜は首を左右に振る。


「ううん。ただ、どうしても行きたい場所があるの」


「そっか。……ちなみに、あるぞ」


「なにが?」


「俺、免許も車も持ってる。そんなに行きたい場所なら、連れてくけど」


「いいの?」


 茜がじっと見つめてくる。俺は目をそらした。


 別に、さっきの話で憐れんだわけじゃない。ただ幼馴染が困っていそうだから、力になりたいだけだ。


「いいよ。遠くまで行ったっていい」


「ありがと。浅葱くん、やっぱり優しいね。最高の人だよ」


「気にすんな」


 空いた右手で頭を押さえる。


 ああもう、調子が狂う。


 ゴマ団子、早く来てくれ。




 夕食の後、茜を連れて俺のアパートに行くことになった。


 部屋に入れるわけじゃない。車を見せるだけだ。


「ほら、これが俺の車。七人くらい乗れる」


「わっ! 思ってたより大きい!」


 茜は俺の黒い車を見て歓声を上げると、ぐるっと一周回ってくる。


 大学生で普通車を持ってるのは珍しいことだろう。所有している感想としては、軽自動車でいい。


 大勢の友達がいるわけでもないので、このサイズを持て余している。


「親戚がいらなくなったのを貰ったんだ。古いけど、けっこう綺麗にしてるだろ」


「ね。これならどこでも行けそう……」


「どこでも?」


「そう。どこでも」


 どこでも。

 茜の言葉が、不思議と目の前の車に馴染んでいくような気がした。


 デートのときにあると便利。

 くらいにしか思っていなかったけれど……そっか。


 もっと遠くに行ってもよかったんだ。


「浅葱くん」


「ん?」


「行きたい場所――泊りがけになっちゃってもいい?」


「泊まり? そんなに遠いのか」


「それもあるけどね。そうしないと見れない景色があるの。……ダメだったら、やっぱり自分で――」


「いいよ。宿も取った方がいいのか?」


「ううん。できれば車がいい」


 茜はじっと車を見つめる。車で夜を越して、なにかの景色を見る。


 それは俺が思うよりずっと、茜には大切なことのような気がした。


「車中泊な。ま、こいつなら余裕だろ」


 俺が運転席で横になって、茜は後ろで寝ればいい。季節としてもちょうどいいぐらいだし、なにより宿代がかからないのは嬉しい。


「ありがと」


 茜は柔らかく笑って、くるりと後ろを向いた。


 彼女が指で目のあたりを拭ったのを見て、俺は静かに視線を外した。

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