第13話


 思った通り、クリスがベッドに私を下ろそうとしている。


 「やっ、あのクリス!?」

 

 慌ててジタバタと抵抗する。


 「そ、そういうのはちょっと!よくないんじゃないかなって……!」


 だめだ、私の力じゃ暴れたって大した意味がない……!


 どどどうしよう!?このまま、私、クリスと……!?


 ぴたりとベッドに着く前に私の体が静止した。

 

 え。


 クリスはくるりと回るとベッドの縁に座って、その膝の上に私を座らせた。


 そのまま後ろからハグをして、固まる私の耳元でささやく。


 「どうすると思ってたんだ?」


 か、からかわれた!?


 恥ずかしさで真っ赤になる私と対照的に、クリスが余裕ありげに笑った。


 「ずっと昔からこうしたかったんだ」


 上機嫌にいうクリス。


 クリスはペンダントのせいで私を好きになっているわけだから、『ずっと昔から』なんてことはありえないはずなんだけど、不思議と実感がこもっているような気がした。


 ……あのペンダントって、昔の記憶を改変する効果もあるのかな……?

 だとしたら、私、尚更とんでもないことしちゃったんじゃ……。


 「……さっきからどうしたんだ、ソフィア?悩みがあるなら、なんでも話してほしい」


 青くなる私を気遣うように尋ねるクリス。


 ……言えない。リモさんに話しちゃダメだって口止めされたことを差し引いても、こんなの言えるわけない。


 絶対、もっと嫌われる。


 ぎゅっと無意識に拳に力が入る。


 クリスが不意に、私の手に触れた。


 「……ソフィア」

 

 クリスが、後ろから私の手を弄ぶように、揉みほぐしてくる。


 昔は私より少し低いくらいだったクリスの身長は、いつのまにか私を越えていて、私の手を包む手だって、昔より大きく頼りがいのあるものになっていた。


 「ソフィア、無理に話してほしいとは言わない。

 ……あんなことがあったから、私のことを信頼できないのは当然だと思う」


 ……?クリスの言っている意味がわからない。

 どうして私が、クリスのことを信頼していないなんて話になるの……?

 それにあんなことって……?


 「でも私はあれから、君のことを守るために努力してきた。全てをそのためだけに捧げてきた。

 ……ねえ、ソフィア。さっきは人目があったから『王都のみんなの役に立てて嬉しい』なんて言ったけどね、私が役に立ちたいのは、守りたいのはいつだって、ソフィアだけなんだよ」


 クリスは、私を抱く力を少し強めた。


「ソフィア、私にとって大切なのは君だけだ」

 

 ーーこの言葉はペンダントの力で言わせているものなんだって、頭では分かっていた。

 分かっていたはずなのに、それさえ包み込んで溶かしてしまうような、甘く力強い言葉だった。


 ……二人から嫌われて、自分だけ無能で、何にもできなくて、私って何なんだろうって、ずっと思ってきた。


 たとえそれが嘘だとしても、クリスから私の存在を肯定してくれる言葉を再び聞けるのは、媚薬のように私の理性を痺れさせ、陶酔させた。

 

 不意に、私の手を掴んでいたはずのクリスの両手が分かれ、ゆっくりと腰くらいの位置から、体の上と下に、それぞれ別れて進んで行く。


 どこに向かっているか気づいて、クリスの手首を掴んでそれを止めたけれど、全然力が入っていなかった。


「……深く考える必要はない。ただ、君を慰めるために私を使ってはくれないか」


 首筋に、強い唇の感触。


 私の手から更に力が抜けた。


 「…………ダメかな」


 クリスのかっこいい声で囁かれると、ゾクっとする。

 このまま流されてしまいたいって、クリスに体を委ねてしまいたい、そんな衝動に襲われる。


 「経験はないが、ソフィアのことをきっと満足させてみせる。だから……」


 クリスの更なる言葉に、私の手はすっかり抵抗する力を失って、もう辛うじて添えられているだけだった。


 「大好きだ、ソフィア……」

 

 …………私も…………、クリスのことが……。


 ……………………そうだ。だから、ダメなんだ。


 私はクリスのことが好きだ。

 

 好きだからこそ、こんなことをしたら、きっと一生後悔するし、なによりクリスを取り返しのつかないくらい傷つけてしまう。


 どうにかして、拒まないと。


 私はなんとか、なけなしの理性を奮い立たせ、知恵を絞り出す。


 ……そ、そうだ!


 クリスはラピスとそう言う関係っぽいし……、ラピスの名前を出せば踏みとどまってくれるかも……!


 「ちょ、ちょっと待ってよ、わ、私なんかじゃなくて、さ。私より可愛い子はもっと他にいっぱいいるでしょ?た、たとえばほら、ラピスとかさ……?」


 すっ、と密着していたクリスが離れていくのを感じる。


 よ、よかった、正気に戻ってくれた……のかな……?


 そう安心しかけた私は、振り返ってゾっとした。

 クリスは口元はさっきと変わらず笑みを浮かべていたけれどーー目が全く笑っていなかったからだ。


 「ああ、そうなんだな。私は、そこまで君の信頼を失ってしまったんだな」

 

 呟くようにクリスはそう言ってから、


「機会をくれないか。私の覚悟を、愛を、君に証明したい」


 しょ、証明……?


 クリスは再び私の耳元に近づいて囁いた。


 「ソフィアが望むなら、ラピスを斬ろう」


 …………え…………?


 「ラピスだって、騎士団の子たちだって、王だって、さっきの子どもでも、王都全員だって、誰でも何人でも構わない。……私が本当にソフィアだけを愛していると、証明するために」


 さっき振り返ってクリスの顔を見た時よりもゾッとした。


 クリスの口調は本当にやりかねない危うい雰囲気をはらんでいた。


 「ソフィア、私にとって大切なのは君だけなんだ」


 ……ついさっき聞いたのと同じようなセリフ。

 

 だけど、その言葉に込められた本当の重みに気づいたせいで、さっきまでの甘い気持ちはどこかへ行ってしまった。


 何よりも、クリスの言葉への衝撃と、こんなことを言わせてしまった、思わせてしまったショックで、胸がいっぱいだった。


「ソフィア……」


 私の頬に手を添え、クリスが唇にキスをしようとする。


 私は呆然として動けなくて、クリスを拒むこともできなくて……。





 不自然に、クリスの顔が私の顔の前で停止する。


 「?」


 半透明の壁が、私とクリスの間にあった。


 これってバリアだよね、魔法の。

 魔法ってことは、もしかして。


 「……ん、ソフィア、嫌がってる」


 いつの間にか、部屋の入り口にラピスが立っていた。

 ラピスが魔法のバリアを張って、キスを阻止したんだ。


 膝の上から私を下ろし、チッ、とクリスが舌打ちをした。


 「早かったじゃないか。まだ訓練の時間のはずだろう?ちゃんと指導しなきゃダメじゃないか」


 「よく言う。私はクリスを連れ戻しにきた」


 「……なに?」

 

 「……クリスが騎士団の人たちを気絶させたまま放っておくから、また強いモンスターに襲われたんじゃないかって城中がパニックになった。

 いいから、早く城に事情を説明しに行って」


 ……やっぱりあれ、だめだったんだ。

 

 「…………」


 クリスが無言で剣に手をかけたまま私を見る。


 『ソフィアが望むなら、ラピスを斬ろう』


 そんなクリスの言葉を思い出して、私は慌てて首を横に振った。


 クリスが剣から手を離す。


 「……ん、ごめんね、ソフィア。悪いけど、クリスを連れて行く」


 「また後でな、ソフィア」


 そう言って二人は部屋を後にした。




 二人が出て行ってからも、私はしばらく動けずにいた。

 それほど、クリスの言葉が衝撃的だった。

 

 ……だけど、いつまでもこうしているわけには行かない。


 「…………リモさんのところに行こう……」


 誰に聞かせるでもなく言って、私はリモさんの店へ向かった。


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