境界の不安定
青白い警告灯が境界制御室全体を照らし、時間場のグラフがモニター上で激しく波打っていた。アレンは端末に向かい、指先が半透明のホログラフィック・インターフェース上を舞うように動かしていた。彼の動きには無駄がなく、各コマンドは最大限の効率で入力されていた。
「セクターC-7の時間流動性が標準値から37.8%乖離しています」彼は冷静に報告した。しかし、その声には僅かな緊張が混じっていた。「安定化プロトコルでは対応できない範囲です」
ドクター・クレイグの義眼が激しく点滅し、青と緑の光が交互に瞬いていた。「バックアップシステムを起動します。タイマー技師、補助時間障壁の展開を」
ミラは部屋の端に立ち、この二人の専門家による緊急対応を見守っていた。彼女のイマジネーターが不安定な時間場に反応し、淡い光を放っていた。彼女の髪は不安と興奮の混じった深い紫色に変化していた。
「私にできることは?」彼女は率直に尋ねた。
「現在のところ、観察だけにしてください」クレイグは画面から目を離さず答えた。「ユニティアとリベラリアの技術が同時に作動すると、時間乱流が悪化する可能性があります」
アレンはセクターC-7の詳細な時間場マップを表示させた。赤く点滅する領域は徐々に拡大し、隣接するセクターにも影響が広がりつつあった。彼は論理的に状況を分析し、計算を進めた。「乱流の発生源は...実験室です」
彼はミラと視線を交わした。二人とも同じことを考えていた。彼らの能力の共鳴実験が、この不安定性の引き金になった可能性があった。
クレイグの表情に一瞬、罪悪感のようなものが浮かび、すぐに消えた。「予想外の結果でした」彼は静かに認めた。「しかし今は原因よりも対応が重要です」
アレンは時間障壁展開のシーケンスを入力し、実行した。施設全体が微かに振動し、青白い光の膜がセクターC-7を包み込むホログラムが表示された。
「障壁展開完了」彼は報告した。「時間場が5.2%安定化しました...しかし、それだけでは不十分です」
「セクターC-7の文化交流センターには民間人がいます」別の技術者が報告した。「約30名が避難プロトコルに従っていますが、まだ全員が安全区域に到達していません」
「避難を支援しなければ」ミラが声を上げた。彼女の髪が決意を示す深い赤色に変わった。「私の現実操作能力が役立つかもしれません」
「危険です」アレンは即座に反対した。彼の声には予想外の感情が滲んでいた。「時間乱流の中心部には近づくべきではない」
ミラは彼をじっと見つめた。「あなたも行くつもりよね?」
アレンは言葉に詰まった。彼女は彼の意図を見抜いていた。時間技師として、彼には乱流を安定化させる訓練があった。そして彼は行くべきだと感じていた。
「セルジュ隊長に連絡を」クレイグが決断した。「境界警備隊と共に、お二人で避難支援をしてください。ただし—」彼は厳しい表情で二人を見た。「能力の使用は絶対的に必要な場合のみに限ります。更なる異常を引き起こす可能性があります」
アレンとミラは頷いた。警報がさらに大きく鳴り響き、施設のアナウンスシステムが作動した。
「注意:セクターC-7で時間場異常が発生しています。全職員は安全プロトコルに従ってください。繰り返します...」
-------
セルジュ隊長は制服に身を包み、厳格な表情で二人を迎えた。彼の鋭い目はアレンとミラを交互に観察し、特にミラの変化する髪の色に視線が留まった。
「状況の説明は受けています」彼は簡潔に言った。「私の隊員たちは既に現場に向かっていますが、時間異常によって進行が遅れています。タイマー技師の専門知識が必要です」
アレンは頷いた。「協力します」
セルジュはミラを見た。「クリエイターさん、あなたの現実操作能力は状況を複雑にする可能性があります。後方支援に回っていただけますか」
ミラは眉を寄せた。「私の能力は避難者の保護に役立ちます。恐怖に陥った人々を落ち着かせ、安全な経路を視覚化できます」
セルジュはしばらく考え、頷いた。「了解しました。ただし、私の指示に厳密に従ってください」
三人はトランジットポッドに乗り込み、セクターC-7へと向かった。途中、アレンはポッドの窓から外の景色を観察していた。ネクサスの通常の混合風景が、微妙に歪んで見えた。時間場の変動が視覚にも影響を与えていた。
「時間乱流が拡大しています」彼は冷静に述べた。「通常の安定化措置では効果が薄い。何か...異常なものがある」
「オルター」セルジュが小声で言った。
アレンは驚いて彼を見た。カレンが言及した名前だった。「あなたも知っているのか?」
「境界の怪物ですか?」ミラも興味を示した。彼女の髪が好奇心を表す明るい青に変わった。
セルジュは周囲を見回し、声を落とした。「ネクサスに長く住む者は皆、オルターの噂を知っています。両社会の狭間に生まれた存在...時間と現実の境界に住むもの...」
「都市伝説だ」アレンは科学者として反射的に言った。
「本当にそうでしょうか、タイマー技師」セルジュの目は鋭く、アレンを見つめた。「あなたの姉は異なる見解を持っているようですが」
アレンは息を呑んだ。セルジュはカレンのことを知っていた。そして、カレンが彼に会ったことも知っているようだった。彼は警戒心を強めた。「カレンとは...」
「心配しないでください」セルジュは彼を安心させるように言った。「私とカレンは古くからの知り合いです。彼女の秘密は守ります。今は目の前の危機に集中しましょう」
トランジットポッドがセクターC-7の境界で停止した。その先は、通常の乗り物では安全に進めなかった。ドアが開くと、三人は異常な光景を目にした。
空気そのものが重く、動きにくく感じられた。光が不自然に曲がり、色が通常とは異なって見えた。遠くの建物が歪み、まるでレンズを通して見ているようだった。
アレンは「タイムスタビライザー」のデータを確認した。「時間流動性が通常の47%まで低下しています。私たちの動きも遅くなるでしょう」彼は装置を調整し、自分の身体が異常な時間場に適応できるよう設定した。
「私のイマジネーターも影響を受けています」ミラが言った。彼女の装置は通常より明るく光り、その表面に奇妙な模様が浮かび上がっていた。「現実の可塑性が通常より高い...まるで境界が薄くなっているみたい」
セルジュは前方を指さした。「文化交流センターはあの建物です。私の隊員たちが既に避難誘導を始めていますが、内部の時間異常がより深刻なようです」
三人は慎重に前進した。歩くことさえ困難に感じられた。まるで粘度の高い液体の中を移動しているような感覚だった。セルジュは標準的な境界警備隊の装備を着用していたが、通常の動きはできなかった。
「あなたたちは...特殊な能力があると聞いています」彼は息を切らしながら言った。「もしそれが今、役立つなら...」
アレンは「タイムスタビライザー」に手を当てた。本来ならば、自分の能力を使うことはマーカスへの裏切りに等しかった。しかし今は、人命が危険にさらされていた。彼は深く呼吸し、装置の制限を部分的に解除した。
すぐに彼の周りの時間場が調整され、三人にとって動きやすくなった。小さな「時間バブル」を作り出したのだ。
「これで移動が容易になります」彼は説明した。「この効果を維持できるのは限られた時間だけです」
ミラも彼女のイマジネーターを起動させた。彼女の周囲に淡い虹色の光のフィールドが形成され、三人をカバーした。「これで異常な視覚効果を相殺できるわ。少なくとも、私たちには正常に見えるようになる」
セルジュは感謝の表情を見せ、三人は文化交流センターに向かった。中心に近づくにつれ、時間の歪みはさらに強くなった。建物の周囲では、過去の瞬間の「残響」が半透明の映像として現れては消えていた。昨日の文化交流プログラムの断片が、幽霊のように再生されていた。
「時間残響...」アレンは確認した。「非常に強力な時間場の乱れを示しています」
彼らが建物に入ると、さらに混乱した光景が広がっていた。廊下では同じ人物が複数の時点で同時に存在しているように見え、空間そのものが波打っていた。数人の参加者たちが、恐怖で凍りついたように動けなくなっていた。
「私が彼らを集めます」ミラは言った。彼女はイマジネーターを使い、明るく安定した光の道を床に投影した。「この光に従えば安全に出られます!」彼女は大きな声で避難者たちに呼びかけた。
セルジュは隊員たちに指示を出し、アレンは別の廊下へと向かった。彼は「タイムスタビライザー」のセンサーを使い、時間異常の震源地を探そうとしていた。
大会議室に入ると、アレンは衝撃的な光景を目にした。部屋の中央に、渦巻く青白い光の球があり、その周囲の空間が大きく歪んでいた。まるで現実に開いた穴のようだった。
「これは...」
彼の言葉が途切れた瞬間、光の球から人影が現れた。それは人間の形をしているものの、輪郭がはっきりせず、常に形を変えている存在だった。アレンは凍りついた。現実とも幻覚とも思えない存在。一瞬、カレンの警告が頭を過ぎった—「オルター」。
存在は部屋の中を漂い、アレンの方向に向かってきた。彼は後退しようとしたが、足が動かなかった。周囲の時間場があまりにも歪んでいて、彼の「タイムスタビライザー」でさえ完全には対応できなかった。
そのとき、彼の内側から何かが湧き上がってきた。「タイムスタビライザー」を越えて、彼の本来の能力が発現し始めた。恐怖と危機感が引き金となり、長年抑圧されてきた力が解放された。
周囲の時間が完全に停止した。
アレンは驚愕した。ユニティアでこの能力を使ったのは6歳の時以来だった。当時は無意識的なものだったが、今回は彼自身が能力を制御していた。光の球も、オルターも、部屋のすべてが静止画のように凍結していた。
彼はようやく動けるようになり、慎重に後退した。そのとき、部屋の入口からミラが入ってきた。彼は衝撃を受けた。時間停止の中で、彼女だけが動くことができたのだ。
「アレン!」彼女は驚いた声で呼びかけた。「何が起きているの?」
「私の...能力が発動した」彼は告白した。「周囲の時間が停止している」
「それなのに、私は動ける...」ミラは混乱した様子だった。彼女の髪は驚きと興奮で青から金色へと急速に変化していた。
二人は互いを見つめ、そして再び部屋の中央の存在に目を向けた。凍結したオルターは、今でも微かに輝いていた。まるで時間停止の効果でさえ、完全にはこの存在を捉えられないかのようだった。
「あれが『オルター』?」ミラが尋ねた。彼女の声には恐怖よりも好奇心が強かった。
「そう呼ばれているようだ」アレンは答えた。彼は科学者として、この現象を論理的に理解しようとしていた。「カレンも、セルジュも、その存在について言及していた」
「境界の怪物...」ミラはつぶやいた。「両社会の狭間に生まれた存在...でも、これは単なる都市伝説ではなさそうね」
二人は慎重に近づいた。オルターの輪郭はぼやけており、その内部では光と影が渦巻いていた。存在の中心部に、一瞬だけ人間の顔のようなものが浮かび上がり、消えた。それは女性の顔のようにも見えた。
「私のイマジネーターが反応している」ミラは腕の装置を見た。その表面は通常とは異なるパターンで輝いていた。「この存在は...現実の一部でありながら、同時に現実の外にあるみたい」
「理論上ありえない」アレンは呟いたが、彼の科学的信念は揺らいでいた。目の前にある存在は、ユニティアの物理学では説明できないものだった。しかし、彼は自分自身も「理論上ありえない」能力を持っていることを思い出した。
その瞬間、アレンの「タイムスタビライザー」が過熱し、彼の能力の制御が崩れ始めた。装置から煙のようなものが立ち上り、彼の腕に鋭い痛みが走った。周囲の時間が少しずつ通常の流れに戻り始めていた。
「ここから出るべきだ」彼は緊急を要する声で言った。「すぐに」
ミラは頷き、二人は急いで部屋を出た。廊下に出たとき、時間が完全に通常の流れに戻った。セルジュと他の隊員たちが彼らに向かって走ってきた。
「一体何があった?」セルジュが尋ねた。彼の表情には明らかな心配が浮かんでいた。「二人とも突然消えたように見えた」
アレンとミラは視線を交わした。彼らは確かに「消えた」わけではなかったが、彼らの周りの時間が停止していたため、他の人々にはそう見えたのだろう。説明するのは難しい状況だった。
「場所によって時間の流れが異なっているようです」アレンは技術的な説明を選んだ。常にデータと観測結果に基づく報告をするよう訓練されていた彼にとって、この説明は最も自然だった。「大会議室は特に不安定で、中に...何かがあります」
「何か?」セルジュの目が鋭くなった。
「青白い光の異常」アレンは答えた。彼はオルターについての完全な説明を避けた。まだ彼自身、その存在を理解していなかった。「あらゆるデータパターンを超えています」
セルジュはアレンをじっと見つめた。彼の目には疑いがあったが、それ以上は追求しなかった。「避難はほぼ完了している。もう一度、建物内を確認し、残っている人がいないか調べよう」
彼らはさらに建物内を探索し、数人の避難者を発見して安全に誘導した。全ての部屋を確認した後、彼らはようやく建物を後にした。セクターの外に出ると、アレンとミラは呼吸を整えた。他の避難者たちが応急処置を受けたり、動揺した様子で座り込んだりしている。
「タイマー技師、クリエイターさん」ドクター・クレイグが彼らに近づいてきた。彼は明らかに疲れた様子だったが、その眼差しは鋭く、二人を注意深く観察していた。「無事で何よりです。報告を」
アレンは冷静に状況を説明した。時間残響現象、空間の歪み、そして大会議室での「異常な光の球体」について。しかし、彼の本当の能力や、ミラだけが時間停止中に動けたことについては言及しなかった。ミラも同様に、具体的な現象について話したが、二人の能力の特殊な相互作用については触れなかった。
「時間乱流の原因は特定できましたか?」クレイグが尋ねた。彼の義眼が不規則に点滅していた。
「明確には」アレンは慎重に答えた。「しかし、現象のエピセンターは大会議室でした。そこで何かが...時間と現実の境界に穴を開けたように思われます」
クレイグはアレンの説明を聞きながら、何かを考えているようだった。「興味深い。非常に興味深い」彼は言った。「我々の実験と関連している可能性もありますね」
「可能性はあります」アレンは中立的に答えた。彼はクレイグが全ての情報を共有していないことも感じていた。彼の態度には何か...隠し事をしている雰囲気があった。
クレイグは二人を見つめた。「お二人の勇気と専門知識に感謝します。リスクを冒して現場に向かったことは記録しておきます」彼の口調には公式の感謝の言葉以上のものがあった—科学者としての興味と、何か計画を練っているような雰囲気。
クレイグが去った後、アレンとミラは静かに離れた場所に移動した。他の人々の耳には届かない場所で、彼らは初めて正直に話し合うことができた。
「あの場で起きたこと...」ミラは小声で言った。彼女の髪は深い思索を示す濃い青紫色だった。「あなたは時間を止める能力があるのね」
アレンはしばらく黙っていた。この能力について話すことは、時間技師評議会に対する裏切りだった。しかし、ミラは既に彼の能力を目撃していた。そして何らかの理由で、彼女だけが時間停止の影響を受けなかった。
「幼い頃から」彼はついに認めた。「通常は『タイムスタビライザー』で抑制している。ユニティアでは、このような『異常』は...容認されていない」
「そして私が時間停止中に動けたのは...なぜ?」
「理論的には説明できない」アレンは正直に答えた。「私たちの能力間に何らかの共鳴があるのかもしれない。あるいは...」彼は言葉を選んだ。「私たちが何らかの形で『同調』しているのかもしれない」
ミラは自分のイマジネーターを見つめた。「それでこの装置が反応したのね。あなたの時間場と私の現実場が...互いを認識している」
「あの存在...オルター」アレンは話題を変えた。「それは何なのだろう?空間異常?時間残響の一形態?」
「それ以上のものよ」ミラは確信を持って言った。「わからない?あれは生きていた。意識があったわ」
アレンは科学者として、そのような非論理的な結論に抵抗を感じた。しかし、彼自身の経験と観察結果は、ミラの言葉を裏付けていた。オルターには何らかのパターン、意図のようなものがあった。
「明日、カレンに会いましょう」彼は決断した。「彼女は両社会の技術について独自の視点を持っている。そして彼女も...『特殊』な能力を持っている」
「彼女もあなたと同じ?」ミラは興味を示した。
「似ているが、違う」アレンは答えた。「より複雑だ。彼女は説明できるだろう」
二人は別れる前に、翌朝の待ち合わせ場所と時間を確認した。アレンは手帳からページを破り、カレンのオフィスの場所を書き記した。公式の通信手段は監視されている可能性があった。
「気をつけて」ミラは最後に言った。「あなたの『タイムスタビライザー』が損傷しているようね」
アレンは腕の装置を見た。表面に微かな亀裂が入り、青い光が不規則に点滅していた。オルターとの遭遇と、能力の全開放が装置に負担をかけたのだろう。彼は無言で頷き、それぞれの宿舎に向かった。
-------
技術者宿舎に戻ったアレンは、「タイムスタビライザー」の診断を行った。装置はかろうじて機能していたが、時間場制御回路の30%が損傷していた。彼は補助キットから工具を取り出し、基本的な修理を始めた。
ユニティアでは、このような修理は専門の技術部門が行うべきものだ。しかし、彼はマーカスに報告したくなかった。それは今日の出来事、特に彼の能力使用について説明する必要が生じるからだ。
修理を進めながら、彼は考えを整理しようとした。今日起きた全てのことは、彼の世界観を揺るがすものだった。オルターの存在、彼の能力とミラの能力の相互作用、そして境界の不安定性—これらは全て繋がっているように思えた。
彼はデータブレッドを取り出し、正式な報告書を作成し始めた。マーカスへのレポートだ。彼は客観的事実—時間乱流の発生、避難支援、異常な光の観測—に焦点を当てた。しかし彼は意図的に、最も重要な詳細を省略した。彼の能力の使用、ミラとの特殊な相互作用、そしてオルターの正体についての推測。
「この報告書は不完全だ」彼は自分に言い聞かせた。「効率的ではない」
しかし、彼は送信ボタンを押した。彼の中で何かが変わり始めていた。時間技師としての訓練と忠誠心が、新たな経験と真実の探求への欲求と衝突していた。
窓の外を見ると、ネクサスの夜景が広がっていた。ユニティアとリベラリアの光が混ざり合う独特の風景。それはかつて彼が「不調和な混合」と考えていたものだが、今は違った見方をし始めていた。二つの異なる美学、二つの異なる哲学が出会う場所。そしてその交差点に、彼とミラがいた。
彼の「タイムスタビライザー」が突然、強く振動した。アレンは驚いて腕を見た。装置のディスプレイにはエラーコードが表示され、青い光がより強く点滅していた。彼は急いで診断プログラムを実行した。
「異常なエネルギーパターンを検出」装置は報告した。「未知の時間場干渉。起源:不明」
アレンは窓に近づいた。外では何も異常は見えなかったが、彼は何かが変わったことを感じていた。空気そのものが微かに電荷を帯びているかのような感覚があった。
彼は思わず「タイムスタビライザー」の制御を緩め、周囲の時間場をより直接的に感じようとした。すると、部屋の空気がわずかに振動し始めた。彼の周りの時間が不安定になり、一瞬だけ彼の視界に青白い光のフラッシュが走った。
アレンは急いで制御を戻し、深呼吸をした。「何が起きている?」彼は独り言ちた。彼の科学者としての精神は、これらの現象を理解したいという強い欲求に駆られていた。
彼はベッドに座り、「タイムスタビライザー」の修理を続けた。しかし、彼の手が震えていることに気づいた。これは彼にとって異例のことだった。時間技師の訓練では、身体的制御は基本中の基本だった。感情や生理反応を抑制することは、時間場の操作と同様に重要とされていた。
「制御する」彼は自分に言い聞かせた。しかし、今日の出来事—オルターとの遭遇、時間停止能力の全開放、そしてミラとの奇妙な共鳴—は彼の内面に大きな動揺をもたらしていた。
彼はカレンのことを考えた。姉が言っていたことは本当だったのか?両社会の技術には共通点があり、統合が可能なのだろうか?そしてオルター—彼女はそれを実在する存在として警告していた。彼は今日、その存在を目の当たりにした。
アレンは再び窓の外を見た。遠くにセクターC-7の青白い光が見えた。時間障壁が依然として機能しており、乱流を封じ込めていた。しかし、それは一時的な措置に過ぎなかった。根本的な原因に対処しなければ、境界の不安定性は続くだろう。
そのとき、彼の通信装置が鳴った。マーカスからの通信だった。
「タイマー技師」マーカスの冷静な声が響いた。「君の報告書を受け取った。しかし、詳細が不足している」
アレンは姿勢を正した。「評議員、申し訳ありません。状況が混乱しており...」
「直接報告してもらいたい」マーカスは彼の言い訳を遮った。「明朝、8時にユニティア側境界施設で会おう」
アレンは一瞬躊躇した。彼はカレンとミラとの約束を思い出した。「了解しました」彼は答えた。彼は時間をずらして両方の約束を守れるよう、頭の中で計算し始めた。
「そして、タイマー技師」マーカスは続けた。「君の『タイムスタビライザー』のデータログも持ってきてくれ」
通信が切れた後、アレンは複雑な思いに沈んだ。マーカスは何かを疑っているようだった。もしデータログを見れば、彼の能力使用や異常な共鳴現象についてすぐに発見されるだろう。
彼はデータログを操作して隠す方法を考えたが、それは詐欺行為に等しかった。時間技師評議会に対する直接的な不服従だった。彼はこれまでの人生で一度もそのような行為を考えたことがなかった。
しかし、今の彼には別の忠誠も生まれていた。カレンへの兄としての責任。ミラとの不思議な繋がり。そして何より、真実を追求する科学者としての誠実さ。彼はマーカスが全ての真実を知るべきではないと直感的に感じていた。
「時間と現実の境界が薄れている」彼は呟いた。それは単なる物理的現象の説明ではなく、彼自身の世界観の変化を表していた。
彼は「タイムスタビライザー」の修理を続けながら、データログの部分的な削除方法を考え始めた。彼はかつてないほど効率的ではない選択をしようとしていた。そしてそれが、正しい選択だと感じていた。
窓の外では、ネクサスの夜空に青白い光が僅かに広がっていた。境界の不安定化は始まったばかりだった。そして、アレンも知らないうちに、彼自身の内なる境界も揺らぎ始めていた。
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