境界での出会い

文化交流センターの会議室は、二つの異なる美学が出会う場所だった。天井の半分はユニティアの幾何学的な直線と均等に配置された光源、もう半分はリベラリアの有機的な曲線と生きているように色を変える照明で覆われていた。床も同様に分かれており、片側は実用的な硬質素材、反対側は足を踏み入れるとわずかに形を変える柔らかな物質だった。中央には、両方の素材が混ざり合う領域があり、そこにこそ参加者が座る円形のテーブルが配置されていた。


アレンは会議開始時刻の15分前に到着していた。彼は時間技師としての本能から、ユニティア側の区画に位置取りしていた。「タイムスタビライザー」は安定していたが、彼はそれでも周囲の空間に対する違和感を覚えていた。この境界近くの時間場は微妙に歪んでおり、彼の内なる能力がそれに反応していた。


昨夜はほとんど眠れなかった。彼の夢は時間の流れる感覚で満たされ、目覚めるたびに「タイムスタビライザー」が異常な熱を帯びていた。部屋のデジタル時計は一晩中、わずかに不規則なリズムで時を刻んでいた。


彼は腕時計を確認した。あと12分と37秒で会議が始まる。クレイグから彼は「技術アドバイザー」として紹介されると聞いていた。これはマーカスの指示によるものだろう—リベラリア側の技術的能力を評価するための口実だ。彼は、今日の会議が単なる文化交流を超えた目的を持っていることを直感的に理解していた。


参加者たちが徐々に部屋に入り始めた。ネクサスの職員、両社会からの研究者や文化使節団が、互いに挨拶を交わしながら席に着いていく。アレンは表面上は無関心な様子を装いながら、実際は全ての動きを細部まで観察していた。その様子は、生体維持機能の効率を計算する時間技師と、敵対的環境で情報を集める諜報員の両方の特質を示していた。


そして、彼女が入ってきた。


ドアが開くと、部屋の空気そのものが彼女の存在に反応したように感じられた。髪が淡い青緑色に輝く若い女性—ミラ・クリエイターだった。彼女が一歩踏み出すたびに、髪の色が微妙にターコイズへと変化していった。アレンには一目でそれがリベラリアの現実操作技術の一種だと分かった。感情に応じて外見が変化する技術—効率の観点からは非実用的だが、表現の観点からは興味深い現象だった。


彼女は部屋に入るなり、まるで何かを探すように周囲を見回した。そして、アレンと目が合った瞬間、彼女はわずかに動揺した様子を見せた。それは一瞬のことだったが、彼女の髪が突然、より深い青に変わったのを彼は見逃さなかった。まるで彼を認識したかのような反応だった。しかし、それは不可能なはずだ。二人は今日初めて顔を合わせるのだから。


アレンは自分自身の内側にも変化を感じていた。「タイムスタビライザー」が微かに振動し、彼の皮膚に対してより強く押し付けられているように感じた。彼の中の何かが、この部屋に入ってきた女性に反応していた。科学者として、彼はこの現象を理解しようとした—二つの異なる能力場の干渉、あるいは共鳴現象だろうか?


「皆さん、おはようございます」ドクター・クレイグが中央に立ち、会議の開始を告げた。彼の義眼が部屋を見渡す間、青と緑の光が交互に脈動していた。「今日から1週間、文化交流プログラムが行われます。両社会の相互理解と協力の機会として、実りある時間となることを願っています」


会議室の照明が微かに明るくなり、テーブルの中央にホログラフィック・ディスプレイが現れた。両社会の象徴—ユニティアの青い時間同期塔とリベラリアの虹色の創造節点—が並んで表示された。


クレイグは参加者を紹介していき、やがてアレンの名前を呼んだ。


「そして技術アドバイザーとして、ユニティア時間技師評議会からアレン・タイマー技師にお越しいただいています。時間技術の専門家として、技術的議論に貢献していただけるでしょう」


アレンは短く頷いただけで、余計な言葉は添えなかった。しかし、彼の内心は複雑だった。「技術アドバイザー」という公式な役割は、彼の本来の任務—情報収集—を複雑にする可能性があった。彼は周囲からの視線を感じ、特にミラ・クリエイターが彼を注意深く観察していることに気づいた。


「リベラリア芸術評議会からは、ミラ・クリエイター氏に若手代表として参加いただいています。彼女は環境芸術の新進気鋭のアーティストであり、文化交流プログラムの責任者でもあります」


ミラは明るく微笑み、参加者全員に向けて挨拶した。「皆さん、お会いできて光栄です。この1週間が、私たち全員にとって新たな視点と理解をもたらすことを願っています」


彼女の声には抑えきれない情熱が宿っていた。アレンは自分が無意識のうちにその声に引き寄せられるのを感じた。それは効率性を重んじるユニティアの公式会合では決して聞かれない種類の感情表現だった。彼は自分の反応に戸惑いながらも、この女性の声と存在感に対する自分の注意を客観的に分析しようとした。


開会の挨拶が終わると、参加者たちは小グループに分かれて議論を始めた。アレンは意図的に距離を置いていたが、クレイグが彼とミラを同じグループに配置した。明らかに意図的だった。


彼はグループに加わりながら、「タイムスタビライザー」の出力を8%上げた。彼は不安定さを感じていた—単なる境界の時間場の影響だけでなく、ミラ・クリエイターの存在が何らかの形で彼の能力に干渉しているように思えた。


「タイマー技師、昨日の施設点検は問題なく終了しましたか?」クレイグが会話を始めた。


アレンは客観的な報告に集中することで、内なる混乱を抑え込もうとした。「はい。しかし、追加データが必要です」アレンは簡潔に答えた。彼は慎重に言葉を選んだ。「特に過去3週間のリベラリア側からの文化交流イベントの詳細な記録を」


ミラはその言葉に反応した。彼女の髪が微かに色を変え、より鮮やかな青へとシフトした。「それはどういう意味ですか?文化イベントに何か問題があるというのですか?」


彼女の声には明らかな防御的な調子があった。アレンはミラの反応から、彼女が既に境界の不安定性について何らかの情報を持っていることを推測した。彼女はクレイグからブリーフィングを受けていたに違いない。


「問題を特定するためには、全ての変数を考慮する必要があります」彼は感情を排除した科学者の口調で答えた。「時間場の変動パターンとイベントのタイミングに相関関係があるようです」


ミラは眉を寄せた。「まるで私たちが意図的に何かをしているかのような言い方ですね」


彼女の髪がさらに鮮明な青に変わり、彼女の腕に装着されたイマジネーターが微かに発光し始めた。アレンはそれが彼女の感情的反応によるものだと理解した。同時に、自分の「タイムスタビライザー」がさらに強く振動し始めたことに気づいた。二つの装置が何らかの形で影響し合っていることは明らかだった。


「意図的かどうかは関係ありません。結果として影響があるなら、それは分析すべき要素です」アレンは感情を排除した口調で返した。しかし、彼の内面は波立っていた。彼はミラの目に浮かぶ憤りと同時に、それ以上の何か—深い知性と、彼自身の内面を見通すような洞察力—を感じ取っていた。


空気が張りつめた。彼らの間には単なる文化的対立以上の何かがあった。周囲の時間と現実の場が微妙に歪み始め、テーブルの上のホログラフが不安定に揺らいだ。


クレイグは二人の間の緊張と、それがもたらす現象的影響を感じ取り、話題を変えようとした。「今日の午後は、両社会の技術展示があります。興味深い議論の機会になるでしょう」


しかし、ミラは引き下がらなかった。「タイマー技師、あなたは統合についてどうお考えですか?」


その直接的な質問にアレンは一瞬、言葉に詰まった。これは技術的な質問ではなく、個人的な見解を求めるものだった。ユニティアの標準プロトコルでは、このような主観的質問に対しては中立的で制度に沿った回答をすべきだった。しかし、彼は自分が標準的な回答を避けたいという衝動を感じた。


「統合は複雑な問題です」彼は慎重に言葉を選んだ。自分の声が普段より少し柔らかくなっていることに気づいた。「技術的側面だけでも、時間場の完全な融合は前例のない挑戦です」


「技術だけの問題ですか?」ミラの声には挑戦的な響きがあった。彼女の目は彼をまっすぐに見つめ、彼の心の奥底に何かを探るようだった。「人々の望みや夢は考慮しないのですか?」


アレンは自分の論理的思考と、新たに浮かび上がってきた直感的な感覚の間で揺れ動いた。彼は通常、人間の感情や願望を効率性の障害とみなすユニティアの考え方に従ってきた。しかし今、彼の前にいるこの女性の目を見つめると、その単純な図式が崩れ始めるのを感じた。


「個人の感情は変数として不安定です」アレンは言った。しかし、彼の声には微かな躊躇いがあった。「社会システムの設計では、より安定した要素に基づいて判断すべきです」


ミラは首を振った。「典型的なユニティア的思考ですね。全てを数値化し、効率で計る。しかし、人間の経験の本質は測定できないものにこそあるのに」


その瞬間、アレンは彼女の目に浮かぶ何かを見た。単なる怒りや反発ではなく、より深い何か—彼が理解できない種類の情熱だった。それは彼のユニティア的訓練では対処できないものだった。そして彼は、自分の内側で何かが応答しているのを感じた—長い間抑圧されてきた、彼自身の深い部分からの共鳴。


「測定できないものは管理できません」彼は静かに言った。しかし、彼の言葉には以前のような確信が欠けていた。「管理できないものは安全を保証できません」


「安全だけが人生の目的ではありません」ミラは微笑んだ。しかし、その笑顔には悲しみが混じっていた。「創造、発見、成長—これらは全て、未知への一歩を必要とします」


彼女の髪が青から紫へと変化し、彼女のイマジネーターが放つ光が部屋の中の現実の波紋を生み出した。同時に、アレンの「タイムスタビライザー」からも微かな青い光が漏れ出し、二つの光が空中で交差した瞬間、周囲の時間の流れがわずかに変化した。


二人の議論は他の参加者の注目を集め始めていた。彼らの間の対話は単なる文化的な違いを超えた何かを示唆していた。テーブルの周りの空気が微妙に振動し、光の反射が通常とは異なるパターンを描いていた。


クレイグは再び介入した。彼の義眼が異常に早く点滅していた—明らかに彼は二人の間で起きている現象を計測していた。


「この対話こそが、私たちが目指す交流の本質です。異なる視点から学び合うこと」彼は穏やかに言った。しかし、彼の声には微かな興奮が含まれていた。「午前のセッションはここまでにしましょう。昼食後、技術展示に移りましょう」


参加者たちが解散する中、アレンとミラは一瞬だけ視線を交わした。その瞬間、アレンは奇妙な違和感を覚えた。彼女の目に映る自分の姿が、普段とは異なって見えたかのような感覚。まるで彼女の目を通して、彼は別の可能性の自分を見ていたかのようだった。


ミラも同様の感覚を抱いているようだった。彼女の表情には驚きと認識が混ざっていた。彼女の髪は落ち着いた紫色に変わり、彼女のイマジネーターの光は静かになった。


二人は無言で別れたが、互いの存在が与えた影響は消えなかった。アレンは廊下を歩きながら、自分の「タイムスタビライザー」を確認した。装置は通常の範囲内で機能していたが、何かが変わっていた。彼の能力が、ミラとの接触によって影響を受けたのかもしれなかった。


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「彼は正確に私が予想した通りの人物だわ」


ミラは昼食を取りながら、同僚のリベラリア代表に言った。彼女の声は確信に満ちていたが、その目には混乱の色が見えた。「効率と管理を何よりも重んじる典型的なユニティア人」


「でも、あなたは彼を挑発したわね」ヴェラが笑った。「あれは文化交流の作法ではないんじゃない?」


ミラは小さく息をついた。「そうね。感情的になりすぎたかも。でも、彼の話し方には何か...いらだちを覚えるものがあるの」


彼女はこれ以上の言葉を加えなかったが、心の中では、彼との出会いについて混乱していた。彼女のパーソナル・リフレクターが予見した通りの出会いだった。しかし、実際に彼と対面したときの感覚は予想外だった。彼の目には、ユニティアの技術者として期待される冷たい効率性だけでなく、より深い何か—抑圧された可能性のようなもの—が見えた気がした。


「それとも、彼があなたの予知能力に何か影響を与えているの?」ヴェラは周囲に誰もいないことを確認して、小声で尋ねた。


ミラは動揺した。「あなたも知ってるの?」


ヴェラは申し訳なさそうに微笑んだ。「リアから聞いたわ。心配しないで、秘密は守るから」


「もう秘密でもなさそうね」ミラは皮肉っぽく言った。「でも、そうかもしれない。初めて会った時、彼が私のパーソナル・リフレクターに映っていた人物だと分かって、既視感があった。そして彼の周りの時間場は...異常に感じるの」


「異常?」


「言葉では説明しづらいわ。まるで彼の周りの時間が、他の場所とは異なる流れ方をしているような。そして私のイマジネーターが彼の近くにあると、より強く反応する」


「興味深いわね」ヴェラはコーヒーをすすりながら言った。「タイマー技師はユニティア側の重要人物のようだから、彼との協力関係は有益かもしれないわ。あるいは、あなたの能力と彼の能力の間に何らかの相互作用があるのかもしれない」


ミラは窓の外を見た。ネクサスの独特の風景—ユニティアの整然とした設計とリベラリアの自由な形状が混ざり合う景観。それは本当の統合の姿なのだろうか、それとも単なる表面的な併置に過ぎないのか。


「午後の技術展示では、もう少し穏やかに接するわ」彼女は決意した。「彼の技術と私の技術の間にある共通点を探ってみる」


「賢明ね」ヴェラは頷いた。「対立よりも協力の方が多くを学べるわ。特に、境界の不安定性が問題になっている今は」


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技術展示会場は、文化交流センターの大ホールに設置されていた。ユニティアとリベラリアの最新技術が対照的に展示され、両社会の技術的アプローチの違いが一目瞭然だった。


ユニティア側の展示は整然と配置され、各装置は機能性を強調した無駄のないデザインだった。効率性と実用性が最優先され、説明パネルには詳細な技術仕様と効率指標が記載されていた。


対照的に、リベラリア側の展示は有機的なレイアウトで、装置は芸術的表現と技術的機能が融合したデザインだった。展示品は訪問者の行動に反応して形状や色を変え、説明は技術的仕様よりも体験的な価値を強調していた。


アレンはユニティアの展示エリアで、最新の時間制御機器を点検していた。それは「マイクロタイムシフター」と呼ばれる実験装置で、極めて限定された空間内での精密な時間操作を可能にするものだった。その小さな半透明の立方体の内部では、微小な光の粒子が通常よりも遅く動いていた。


「印象的な装置ですね」


彼の背後からミラの声がした。アレンは振り返った。彼女の髪は落ち着いた水色になっており、午前中の緊張した雰囲気はなくなっていた。彼女の目には純粋な好奇心が輝いていた。


「効率的な設計です」アレンは応じた。彼は今回、より柔和な口調を意識的に選んだ。「無駄な装飾はありません」


「装飾が常に無駄とは限りませんよ」ミラは微笑んだ。その笑顔には午前中の対立の痕跡はなかった。「午前中は少し感情的になってしまってごめんなさい。新たに始めましょう」彼女は手を差し出した。「ミラ・クリエイターです」


アレンは一瞬躊躇した。ユニティアでは、身体的接触は最小限に抑えられ、特に公式の場では握手すら儀式的なものに限られていた。しかし、彼は何かに導かれるように彼女の手を取った。「アレン・タイマー」


彼はミラの手に触れた瞬間、微かな電流のようなものを感じた。それは物理的な感覚というより、何か別の種類の認識だった。まるで彼の時間感覚と彼女の現実感覚が一瞬交差したかのようだった。彼女も同様に何かを感じたようで、わずかに目を見開いた。


「この装置が何をするものか、説明していただけますか?」ミラは装置に視線を移した。しかし、彼女の髪の色は興奮を示す明るい青に変わっていた。


アレンは専門家としての口調で説明を始めた。「マイクロタイムシフターは、医療分野での応用を目的としています。極小範囲で時間の流れを精密に制御することで、細胞レベルでの治療が可能になります」


彼は装置の操作パネルに触れると、内部の青い光がより強く輝き、立方体内の小さな生体サンプルの周りにミニチュアの時間場が形成された。サンプル内の細胞分裂プロセスが肉眼で見えるほど遅くなっていった。


「時間を操作して病気を治療するのですか?」ミラの声には純粋な驚きと好奇心が含まれていた。


「ある意味では。例えば、癌細胞の進行を停止させたり、組織再生を加速したりできます」アレンは説明した。彼は自分が通常よりも詳細に、そして情熱的に説明していることに気づいた。「特定の病理組織の時間だけを選択的に遅らせることで、治療の時間的余裕を作り出します」


ミラは感心した様子で装置を見つめた。「私たちの技術とは全く異なるアプローチですね。リベラリアでは、創造的イメージングで病気を視覚化し、現実操作で治療するのが一般的です」


「それは...科学的根拠があるのですか?」アレンは疑問を隠せなかった。しかし、彼の口調には侮蔑ではなく、純粋な知的好奇心があった。


ミラは微笑んだ。「あなたの定義する『科学』とは違うかもしれませんが、効果はあります。私たちの現実は観測者の意識によって形作られるという原理に基づいています」


彼女は自分のイマジネーターを起動させ、手をマイクロタイムシフターの近くに置いた。小さな虹色の光が彼女の指先から放射され、立方体の周りの空気がわずかに歪んだ。


「私は病気を異なる形状や色として視覚化します」彼女は説明した。「そして、それを健康な形状や色に変換するイメージを投影します。単純に言えば、現実に対する強い意図を持った観察によって、量子レベルでの変化を誘導するのです」


アレンは科学者として、このアプローチに懐疑的だった。しかし、彼は彼女の説明に魅了され、何らかの理論的根拠があるのではないかと考え始めた。量子観測がミクロレベルの現実に影響を与えるという概念は、理論的には科学的に支持できるものだった。


「リベラリアの展示も見せていただけますか?」彼は尋ねた。彼の声には、ユニティア人としては珍しい、純粋な好奇心が含まれていた。


ミラは頷き、彼をリベラリア側のセクションに案内した。そこには様々な形状と色彩の装置が展示されていた。それらはユニティアの機器とは全く異なり、有機的で流動的なデザインで、周囲の環境や観察者の存在に反応して微妙に形を変えていた。


「これが私たちの最新のイマジネーターです」ミラは半透明の結晶質のデバイスを指さした。それは佩用者の手首に巻くように設計されていた。表面には複雑な有機的パターンが刻まれ、内部には微かな光が脈動していた。「装着者の思考を現実に投影し、物理環境を変化させることができます」


彼女は自分のイマジネーターを起動させ、装置の上に手をかざした。すると、二人の周囲の空気が微かに色づき始め、小さな光の点が舞い始めた。それは単純な視覚効果を超えて、実際に空気の分子構造を変化させているようだった。


「私の創造を物理空間に投影しています」ミラは説明した。「これは単純な例ですが、訓練を積めばより複雑な現実改変が可能になります」


アレンは目の前で起きていることの科学的原理を理解しようとしていた。量子場への意識的干渉?観測者効果の増幅?どちらにしても、ユニティアの厳格な物理法則の理解からすれば異端的だった。しかし、彼の科学者としての精神は、その原理をより深く理解したいという衝動に駆られていた。


「これは...実用的な用途があるのですか?」彼は尋ねた。彼の声には批判ではなく、本物の興味が含まれていた。


「芸術、教育、心理治療、建築...様々な分野で使われています」ミラは答えた。彼女の目には情熱が宿り、髪はより明るい色調に変わっていた。「例えば、トラウマ治療では患者の恐怖体験を視覚化し、安全な環境で向き合うことで克服を助けます」


彼女はイマジネーターに別のコマンドを入力した。周囲の空間に小さな球体が形成され、その内部には暗い色の雲のような形状が漂っていた。


「これはトラウマの視覚化です。セラピストは患者と協力して、この『雲』を形を変えていき、最終的には光に変換します。メタファーを使った心理療法ですが、リベラリアでは現実的な効果をもたらします」


アレンは無意識に自分の「タイムスタビライザー」に触れた。自分のトラウマと向き合うという考えは、彼にとって不快なものだった。ユニティアでは、そのような非効率的な感情処理よりも、薬理学的抑制や認知調整が一般的だった。感情を表層の意識から深部に押し込める方が、効率的だとされていた。


「興味深い応用法です」彼は淡々と言った。しかし、彼の目には微かな動揺の色が浮かんでいた。


ミラはその反応に気づき、展示の別の部分に目を向けさせた。「こちらは、より実用的な用途です」彼女は別の装置を指し示した。「建築設計のためのイマジネーション・エンハンサーです」


彼らが新しい展示に近づくと、周囲の環境が一変した。彼らの周りに小さな建築物のホログラムが現れ、観察者の思考に反応して形状を変えていった。


「建築家はこれを使って、物理的な模型を作る前に空間を直接体験します。エンジニアは構造的完全性をリアルタイムでテストできます」


アレンはこの展示により強い関心を示した。それは芸術的表現を超え、効率性と実用性を持った応用だった。


「これは...実際に効率的かもしれません」彼は素直に認めた。


「試してみませんか?」ミラが突然提案した。「基本的な現実操作なら、初心者でも可能です」


アレンは即座に断ろうとしたが、周囲の目を意識して躊躇した。これは文化交流の場であり、彼の反応は両社会の関係にも影響する。そして、科学者としての好奇心も彼を突き動かしていた。さらに、技術的な理解を深めることは、マーカスからの任務の一部でもあった。


「簡単なものであれば」彼は渋々同意した。


ミラは模範用のイマジネーターを彼に手渡した。「手首に装着してください。思考を集中させると反応します」


アレンは指示に従い、装置を装着した。それは彼の「タイムスタビライザー」の隣に、違和感なく収まった。しかし、二つの装置が近接すると、微かな振動が走った。二つの技術が互いを認識し、反応しているかのようだった。


「何を想像すればいいですか?」彼は少し緊張して尋ねた。


「単純なものから始めましょう。光の球を思い浮かべてください」ミラは優しく導いた。彼女はアレンの側に立ち、必要以上に近い距離で指導していた。二人の間に形成された場が周囲と異なっていることを、彼女は直感的に理解していた。


アレンは集中した。しかし、何も起こらなかった。彼は時間技師としての訓練で身につけた冷静で分析的な思考を使っていたが、それはリベラリアの装置には響かなかった。


「効率的に想像しようとしないでください」ミラは少し笑みを浮かべた。彼女の髪が微かに紫がかった色に変わった—彼女が感じている共感と理解を示す色だった。「感情を込めて、本当にその光の球が存在すると信じて想像してください」


彼女は自分のイマジネーターで小さな導きの光を作り、アレンの手のひらの上に浮かばせた。「この感覚に集中してみてください」


アレンは再び試みた。今度は効率や論理ではなく、単純に光の球の存在を信じることに集中した。彼は幼い頃、初めて自分の時間能力に気づいた瞬間を思い出した—あの驚きと畏怖の感覚を。


すると、彼の手のひらの上に、かすかに光る小さな球体が現れた。それは青白い光を放ち、微かに脈動していた。


「できました」ミラは嬉しそうに言った。彼女の髪が喜びを示す黄金色に輝いた。「感覚をつかむのは早いですね」


アレンは自分の創り出したものを不思議な気持ちで見つめた。それは彼の意識の直接的な投影だった—制御された、安定した、しかし疑いなく現実の物理法則に反する現象。彼は科学者として、このプロセスの物理的メカニズムを理解したいと強く思った。


「どのような原理で...」


突然、彼の「タイムスタビライザー」が激しく振動し始めた。同時に、イマジネーターも不規則に明滅し始めた。光の球が拡大し、制御不能に陥ったように見えた。その球の内部で、時間の流れが歪み始めた—ミラが作った導きの光と、アレンの創造した球体が共鳴していた。


「何が起きているのですか?」アレンは警戒心を露わにした。彼は球体を消そうとしたが、それは彼の意図に反応しなかった。


ミラも状況を理解できない様子だった。「通常こういうことは...」


彼女の言葉が途切れたとき、周囲の人々が驚きの声を上げた。アレンとミラの手の間に浮かぶ球体が急速に拡大し、その内部で青と緑の光が渦巻いていた。球体の表面には時間と現実のパターンが浮かび上がっていた—ユニティアの時間流動性のグラフとリベラリアの現実波形が混じり合った複雑な図形だった。


そのとき、二つの装置の間で小さな青白い放電が走り、アレンとミラは同時に感電したかのように手を引っ込めた。放電の瞬間、周囲の時間と現実が一瞬歪み、会場内の全ての装置が一斉に反応した。時計が不規則にチクタクと音を立て、リベラリアの展示物が予期せぬ形に変形した。


光の球は消え、周囲の現実は元に戻った。しかし、何かが変わっていた。アレンはミラを見た。彼女の目には驚きと、何か別の感情—認識?—が浮かんでいた。彼も同様の感覚を持っていた。まるで、一瞬だけ二人の間に何らかの精神的接続が生まれたかのようだった。


彼はミラの思考の断片を捉えたようだった—彼女の現実に対する理解、創造の喜び、そして彼女の特別な能力についての不安。それらは彼の思考ではなかったが、一瞬だけ彼の意識の中に存在していた。そして彼女も彼の思考を感じたはずだった—時間技師としての訓練、抑制された能力、そして深い孤独感。


「何が起きたのですか?」近くにいたドクター・クレイグが二人に駆け寄った。彼の義眼は通常よりも激しく発光していた。


「分かりません」アレンは正直に答えた。彼は自分の声が普段より震えていることに気づいた。「二つの技術の間で何らかの干渉が発生したようです」


彼は「タイムスタビライザー」を確認した。装置は機能していたが、通常より暖かく、出力パターンが変化していた。彼の能力が何らかの形で刺激されていた。


ミラは彼を見つめていた。「あなたの...装置は時間制御のためのものですか?」


アレンは「タイムスタビライザー」を隠そうとしたが、もう遅かった。「ある種の時間関連技術です」と曖昧に答えた。彼は自分の特殊能力について言及することを避けた。


クレイグは二人を交互に見た。その顔には科学者特有の好奇心が浮かんでいた。「非常に興味深い現象です。時間技術と現実操作技術の相互作用はほとんど研究されていません。この偶発的な実験は貴重なデータになりました」


彼の声には興奮が含まれていたが、それは単なる科学的好奇心を超えた何かがあるように思えた。彼の義眼は二人の間の空間を集中的にスキャンしていた。


「明日、より詳細なテストを行いたいと思います」クレイグは続けた。「もしお二人が協力してくださるなら」


アレンは本来なら即座に拒否するところだった。彼の能力は機密事項であり、それに関する実験は時間技師評議会の承認なしには行えなかった。しかし、何かが彼を踏みとどまらせた。ミラとの間で起きた現象は、彼の科学者としての知的好奇心を強く刺激していた。さらに、この現象が境界の不安定性と関連している可能性もあった。


「検討します」と彼は言った。


「私も同じです」ミラも同意した。彼女の髪は興奮と好奇心を示す明るいターコイズ色に変わっていた。


クレイグは満足げにうなずいた。「素晴らしい。今日のところはこれで終わりにしましょう。明日、9時に実験室でお待ちしています」


彼が去った後、ミラはアレンに近づいた。「あなたの腕の装置...それは通常の時間装置ではありませんね」


アレンは彼女の鋭い直感に驚いた。「あなたのイマジネーターも、標準的なものとは思えません」


二人は一瞬、言葉を交わさずに立っていた。そこには奇妙な緊張感があったが、それは敵意からくるものではなかった。むしろ、二人の間に形成された未知の繋がりからくる緊張だった。


「明日、話しましょう」ミラは最後に言った。「私たちの間で起きたことについて」


「興味深い現象でした」アレンは科学者として返答した。しかし、彼の目には単なる好奇心以上のものがあった。彼は、ミラとの短い精神的接続が彼の内側に何かを変えたことを感じていた。


彼らは別れ、それぞれの宿舎に向かった。アレンは技術者宿舎への道を歩きながら、頭の中で起きたことを整理しようとした。彼は全ての情報をマーカスに報告すべきだろうか?ミラの能力、彼らの間の共鳴現象、そして彼自身の能力が活性化していることを?


純粋な職務の観点からは、全てを報告すべきだったが、彼は躊躇していた。彼が報告すれば、マーカスは彼を即座に任務から外し、更なる調査を禁止するかもしれない。そして何らかの理由で、彼はこの現象をもっと探求したいと強く思っていた。


彼は宿舎に戻り、詳細な報告書を書き始めたが、最も重要な部分—彼とミラの間の共鳴現象と、彼自身の能力の変化—については意図的に言及しなかった。それは時間技師としては前例のない不服従だったが、科学者として、そして彼自身の本質として、彼はこの探求を続ける必要があると感じていた。


窓の外では、ネクサスの夜景が広がっていた。二つの世界の光が混じり合う風景。アレンは思った。今日、彼もまた自分の境界線を越えたのかもしれない。彼の前には、未知の可能性の領域が広がっていた。


そして彼は、明日ミラに会うことを心のどこかで楽しみにしていることに気づいた。それは「効率的な時間の使用」という彼の通常の思考パターンとは無関係だった。彼女との再会を望む気持ちは、単純に彼自身のものだった。

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