水水水水氷水水水水 [改訂版]
大橋 知誉
一、リコとレリーフ
「おい! リコ! そっちに行ったぞっ!!」
「あ! はい! わ!! あわわわ~!!!!」
大きな虫取り網を持って待ち構えていたリコは、標的の予想外の動きに翻弄されて盛大にしりもちをついた。
「いたた~」
「こらぁ~リコぉ~!! 何やってんだっ!!! ほら、そっちに逃げたぞ!!!」
チームリーダーの清水が駆け抜けながら叫んだ。
慌ててリコも立ち上がり後を追う。
先週成人したばかりのリコは衛生班見習い一年生。そろそろ正式採用のお声がかかってもいいころなのだが、何しろ近年稀に見るドジっ子だ。
このままでは見習い期間の最長記録を更新してしまう…。
リコは必死で清水の後を追おうとしたが、その矢先に再び足元の何かにつまずいてコケてしまった。
ここはそれはそれは古い倉庫なので、棚も入り組んでいるし、いろいろなものが床に置きっぱなしになっているのだ。
ああ、もうだめだ。追いつけない…。
リコはあきらめてゆっくり立ち上がると、清水が消えて行った棚の間を進んで行った。
すると向こうから清水がボウガンに何かをぶら下げて戻って来た。
「お前なぁ…何してたんだよ」
清水は呆れた声で言った。
「す、すみません!!」
リコは必死で頭を下げながら、ボウガンに刺さっているものにチラッと視線を移した。
それはネコほどの大きさの生き物の死骸でとても邪悪な形状をしていた。
見ているだけで寒気がしてくる。
「な、何なんです? それ?」
リコは恐る恐る顔をあげると清水に訊ねた。
「ネズミだよ。見てわかるだろう」
「え"…それネズミなんですか?」
ネズミは今まで何度も見たことがあったが、こんなのは初めてだった。
リコの様子に清水は表情をゆるめた。
「初めて見るのか? こいつはクロオオネズミってやつだ。ずる賢いからなかなか姿を見せない」
「そうなんですね…気持ち悪い奴ですね…」
「そうだ、気持ち悪いだろう。じゃあ、こいつの処理は頼んだぞ」
そう言うと清水は図他袋にクロオオネズミの死骸を入れるとリコに渡した。
「うええ~!!! 私が…?」
「当たり前だろう、見習いくん」
リコは図他袋を受け取るとなるべく自分から遠ざけるようにして持った。
「じゃあ、頼んだぞ。跡形もなくよろしくな」
そう言い捨てて清水は行ってしまった。
クロオオネズミの死骸と共に一人残されたリコは、急に心細くなり足早に倉庫の出口へと向かった。
ここはヒューズイコロニオの第3層。
現存する最も古い倉庫のひとつである。
今から約千年前、戦争と環境破壊にあけくれた人類は汚染された地上を捨て地下に潜った。
ヒューズイコロニオは世界で五番目に作られた地下シェルターから発展した都市で、時代を追うごとに地下へ地下へとその領域を伸ばして来た。
現在は400層からなる巨大都市を形成しており、二百年前にはほぼ現在の状態となっていたと言われている。
下に伸びて行った建造物であるため、上に行くほど古い。
リコが今いる上層部はほとんどが建造初期の産物を保管する施設で人が出入りすることはほぼない。
いるとすれば、いまリコが持っているネズミかその他の害虫や害獣たち…。
こいつらを退治するのが、清水率いる上層階駆除チームの仕事だった。
衛生班というから掃除係みたいな仕事を想像して応募したのだが…。
こんなハードワークだとは想定外だった。パンフレットをよく読まないリコが悪い。
リコは80層まで下り、そこにある駆除専用焼却炉にネズミ入りの図他袋を放り込むと、人間が暮らすエリアへと向かった。
のだが、その途中で道に迷ってしまった。
端末を取り出して地図を表示するも、上層階は電波が悪いので自分の位置が正確に把握できなかった。
今まで何度も通った道なのに、迷うとは…。
リコは自分にうんざりしながら見覚えのない通路をウロウロ歩いた。
自分がいるのは80層のはずだが、この通路はもっと古い感じがした。
…こんなところあったけ?
リコは自分が迷子になっていることを忘れて、この古い通路にすっかり子心を奪われていた。
ヒューズイコロニオには誰も使わなくなって忘れられた通路や領域がたくさんある。
特に上層階にはそういった場所が多いのだ。
この通路はもしかしたら秘密の場所へと繋がっているのかもしれない。
リコの好奇心は最大に膨れ上がっていた。
(もしかしたらこれは、地上に繋がる秘密の通路かもしれない…)
地下世界で産まれたリコは地上に憧れていた。
語り部をしていた曾祖母から夜な夜な聞いていた物語。
かつて人類が地上で暮していた話。
地上には屋根がなくて、代わりに空と言うものがあり、夜にはキラキラと輝く無数の星というものが見えるのだということ。
リコはどうしてもそれらを見たいと思っていた。
現代の人々が、なぜこんな閉ざされた地下の世界に満足して生活しているのか…リコには理解できなかった。
みんなが恐れているのとは違って、人が住まなくなった地上は本来の美しさを取り戻しているに違いない。
出られるのなら出たらいいじゃない?
それがリコの人生感だった。
リコはヒューズイコロニオには出入口があるものと信じてずっと探していた。
衛生班に志願したのも、掃除をするついでにあちこちを探し回れるのではないかと期待したからだった。
まあ、言うほど自由もなくて、これまで全く探索はできていなかったのだが。
しかし今日は、意図せず…決してわざとではなく、偶然に、彼女は未知の通路を発見してしまったのだ。
これは事故だ。リコは何も悪くない…。何も悪くないはず…。
リコはそう自分に言い聞かせながら、古い通路を進んで行った。
通路はしばらく行くと行き止まりになっていた。
リコはがっかりした。
せっかく魅力的なそれっぽい通路を発見したのに…。
そして折り返そうとした時、行き止まりの壁に何やら小さな模様が刻まれているのが目に入った。
近寄ってよく見てみる。
小さな繰り返しの模様で、美しい彫り物のようにきれいに並んでいた。
それはこのように見えた。
『水水水水氷水水水水』
「何の模様?」
思わず声に出しながら、リコは模様の上を指で触ってみた。
すると、真ん中の『氷』の部分が緑色に点滅し、どこからか人が喋る声が聞こえて来た。
≪◎×&▼#%■…≫
何と言っているのか解らなかった。
ふと思い立って、考古学の授業の時に入れてそのままになっていた、古文解析アプリを急いで立ち上げてみた。
≪…てください≫
「やった!」
最後の方しか聞き取れなかったが、これで翻訳できるようだった。
はたと気が付いて、今度はアプリのカメラを起動し、壁のレリーフへと向けてみた。
すると、その模様が文字であることがわかった。
古い文字で「水」と「氷」を表すようだ。
先ほどリコが触った時に光ったのは「氷」という文字だ。
「これ、文字だったのか」
言いながらもう一度、並んでいる文字の上を指で触ってみる。
「氷」の文字にリコが触れると、そこが光り、先ほどの声が再び聞こえた。
今度は最初から翻訳することができた。
≪起動しました。DNA鑑定開始。《氷》に一致しました。残りの鍵を解除してください≫
翻訳はできたが何のことかさっぱりわからなかった。
だがしかし、大発見かもしれない。
何だかさっぱり解らないが、古いものであることは間違いなさそうだ。
(ジュンなら何かわかるかもしれない…)
ジュンはリコの幼馴染で、考古学に詳しい。
リコは地図を起動すると現在地を確かめた。
「え"…」
リコのいる場所は地図上の何にもない場所を示していた。
そこは、公式の地図では何もない…というかヒューズイコロニオの外、つまり土の中ということになっていた。
電波状況を確認したが、このあたりは正常に電波を拾っているようだった。
つまり、この位置情報は間違えていないはず…。
ますますこれは、とんでもないヒミツを暴いてしまったのかも!! とリコは興奮するのであった。
ひとまず、現在地にピンをとめると、リコは端末をルート記憶モードに切り替えて、来た道を引き返しはじめた。
幸い、地図上では何もない場所でもルートは記憶してくれているようだった。
リコは道のない地図と目の前の通路をにらめっこしながら、なんとかナビの使える場所まで辿りつき、そこから自分の居住区へと戻って来ることができた。
詰め所に戻ると、予想以上に時間がかかったことに対して清水からお小言を喰らったが、リコは上の空でそれを聞いていた。
一通りの説教を右から左へ受け流し、急いで本日の報告書をまとめ(もちろん謎の通路のことは伏せておいた)、ドタバタと職場を後にすると、その足でジュンの家へと向かった。
ジュンの家につくと、リコはピンポンピンポンピンポンピンポン!!!! と何度も呼び鈴を押した。
数秒後、眠そうな顔をしたジュンが出てきた。
「やっぱりお前か…そんなに何度も押さなくても…ちょっまてよ」
リコはジュンの言葉を最後まで聞かずにズカズカと彼の家の中に入った。
そして端末を彼の鼻先に突き出すと、先ほど古い通路で撮った古い文字のレリーフの写真を見せた。
「これ、何だと思う?」
リコは自慢げにジュンに言った。
ジュンは一瞬でこの写真に興味を引かれたようで、リコから端末を奪い取ると、まじまじとその画像に魅入った。
「何これ? どこで? いつ?」
ジュンはリコの予想以上に礼のレリーフに喰いついたのだった。
(つづく)
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