餞別

第12話

 一史の熱意を感じたのか本間は自分の横に置いた台本をテーブルの上にのせた。


「そこまで本気に知りたいなら正直に言おう。最初は一史でいいと思っていた、俺はね。けどNGが出たんだ」


 本間はポケットに入れていた携帯を取り出し、かかってきた相手を確認すると電源をその場で切った。


「それってどういう意味?」


 一史は本間が自分を優先してくれたことに少しホッとしながら質問する。


「今回の主役は無名の俳優を使いたいってことになったわけさ」


 ソファに深く腰かけた本間は笑顔を見せ「どこかで聞いた話に似ているだろう」と一史を見つめる。


 まるで四年前、本間と一史が出会った時のようだ。


「まぁ~正直、お前に拘る必要もなかったし、何より俺だけの判断で決定は出来なかったしな」


 煙草を灰皿に押しつけて彼は告げた。


 そんな話だったらなおさら納得がいかない。


 本間はこのドラマ制作の総責任者だ。


 彼の判断に逆らえる者はいないはずである。


「そんなのおかしいじゃないですか?」


 ムキになって一史は問いただした。


 熱い眼差しを受け止め、本間は首を捻る。


「何が?」


「ドラマ制作に対して全ての権利を握っているのは本間さんでしょ? それにNGを出せる人って言えばオレの事務所に依頼してきた上の人間しかいないじゃないですか?」


 一史の説明に本間は笑みを浮べ、微かに顔を横に振った。


 その仕草に一史の表情は曇る。


「いつもならというか、通常ならそうだが今回は違うんだよ。このドラマに関しては俺よりも偉い人がいる」


 思わせぶりな彼に一史は発言を急がせた。


 その一史の落ち着きのなさに少し呆れながら本間は煙草をもう一本取り出し、テーブルの上にのせてある台本を指差した。


「俺は自分の上の人間なんて怖くもないさ。だが原作者の機嫌を損ねるわけにはね」


「原作者?」


「ああ。今回の作品は俺が直々に頼み込んで、消えてしまう作品を半ば無理やり頂いたんだ」


 白い煙が天井に向かってゆっくりとあがっていくのを本間は見つめながら答えた。


「オレを外して欲しいって言ったのは」


「彼女だよ。それにお前を外したい理由を聞かされた時、俺も納得させられた」


 まぁ今回は勘弁してくれよ、と本間は背伸びをして軽く謝る。


 だが、そんな理由なら余計に引き下がるわけにはいかなかった。


「そ、その理由って何? 本間さんが自分の意志を曲げてまでもやりたいって思うほど、その作品はいいってこと?」


 どこに行っても誰もが頭を下げる、言わば一流と呼ばれる人間になっていることすら忘れて一史は尋ねる。


「そういうことだな」


 納得していない一史の気持ちを汲み取った本間は続けた。


「四年前のことを思い出してみろ。それと同じだ。俺はいいものを創りたい。その為なら俺は何だってするさ」


 自信満々の本間は「今のお前でも俺はあの時と同じように、堂々と戦うよ」と付け加えた。


 体を乗り出していた一史は両手から力を抜くと、同時に背中をソファに預けた。


 その仕草は一史の敗北を意味しているようだった。


「四年経っても相変わらず本間さんの嫌味は、他の誰に言われるよりも腹が立つよ。悔しいけど、それだけ的を射ているってこと?」


 四年前、自分が本間に抜擢された時、誰もが一史を非難し、罵声し、元々決まっていた俳優の代わりに使うのは間違っていると言った。


 本間以外、当時の人気俳優と戦う者は誰一人とていなかったのだ。


 あれから四年。


 気づけば一史は当時の人気俳優と同じ立場にいる。


 誰もがあの時、一史に浴びせた非難も罵声も口にはしない。


 顔を合わせれば向こうから頭を下げ、近寄ってくると小学生でも分かるようなおべんちゃらをひたすら続ける。


 最近ではもう聞こえていても目の前を通り過ぎていくようなものだ。


 露骨に不機嫌な態度を示しても相手は嫌な顔を一つ浮かべなかった。


 いや、違う。


 浮かべられないのだ。


 そして一史はそれを十分分かっていてやっていた。


 本間の嫌味を正面から受け止めた一史は、この数年の自分の甘えと驕りを身に染みて感じ始めさせられていた。


「思い当たることがあるなら、そうなんじゃないか」


 一史の問いに本間は単純に肯定する。


 思わず苦笑いしか一史には返せなかった。


「そういうことならオレも戦わせてもらうよ。どんな汚い手を使っても」


 真向かいに腰を下ろして寛いでいる本間に、一史はもう一度、体をゆっくりと乗り出して断言する。


 突然の宣戦布告に本間も一瞬目を丸くしたが、すぐに正気になると銜えていた煙草を灰皿にさっきより強く押しつけた。


「そうか。分かった。一史がそこまで言うなら」


 本間は上着から手帳を取り出して近くにあったメモ紙にペンを走らせる。


 一史が覗き込むと、本間は書き終わった紙を机の上に置いて笑顔を見せた。


「そこに原作者がいる。さっき戦うって言ったよな。だったら、お前の相手は彼女だろう。まぁ直談判して奪い返してこいよ、主役。ここまで来て、プライドもへし折ってもいいくらい欲しかった役なんだろう? だったら正々堂々と勝負して勝ちとってこいよ」


 本間のあまりにも悠然とした感じがちょっとムカついた。


 こんなにコケにされたのは思い出せないくらい前のことだったような気がする。


 それでもカチンときて怒るのはどうしても嫌だった。


 何だがその方が本間の思う壺のように思えて仕方なかったからだ。


 黙って席を立った一史の行動に本間は嬉しそうな表情を静かに浮かべ、煙草に火をつけながら彼を呼び止めた。


「一史。…俺からの餞別!」


 振り返った一史に、自分が座っているソファに無造作に置いてあった台本を一冊、本間は彼に向けて投げた。

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